さあ、大戦の始まりです。しかし…また色々変わってる!?
秀康が合流した事により徳川方の準備も整ったので、いざ決戦ですが…色々また変わってきてますようで。
~秀康が到着した三日後、赤坂・家康の陣にて~
「本多正信、遅くなりましたが、ただいま到着いたしました」
「うむ、そなたが間に合ってくれた事、心強い思いじゃ」
正信を見た家康の顔に安堵の色が浮かぶ。
「残念ながら康政殿は未だ上田城を囲んでおりますようので、こちらには間に合わないようですが」
「確かに康政がおらんのは少々残念ではあるが、そなたの兵も含めて二万六千がこちらに合流した。これは徳川にとって大きな事ぞ」
「それもこれも全ては秀康様のご采配の賜物ですな」
正信のその言葉に家康の表情が曇る。
「正信、そなたも秀康は非凡と見るか?」
「非凡ではございまするが…世子が誰かはあくまでも殿がお決めになる事、それに対して異議を申し立てる者など家中にはおりますまい。秀康様が大将の任を免ぜられた事は某も聞きましたが、それに対する不満が特に出ていない事がその何よりの証拠かと」
しかし、正信のその回答を聞いた家康はかすかに笑みを浮かべていたのであった。
~同時刻頃、大垣城にて~
「何故じゃ、何故徳川本軍が美濃に来ておる?これでは我らとの兵力の差が大きいものになるではないか」
そう言って困ったような表情を浮かべて部屋をうろうろしているのは、石田三成である。徳川本軍を信州で足止めさせて、家康に戦力不足のまま戦をさせる事を想定してたのに、それに反してその大半の兵が美濃に集結しているこの状況に実際困り果てていたのであった。
「三成様、少しは落ち着かれよ。総大将がそのような有様では全軍の士気に関わりまする」
そう言って三成を落ち着かせようとするのは、三成の側近である島左近である。
「これが落ち着いてなどいられるか!真田め、あれだけ大口を叩いておきながらこの体たらく…戦に勝利した後もあやつらに褒賞は無しだ!」
「今それを話していても仕方ございますまい。まずは目の前の徳川勢に対する備えこそ重要。兵力の差をお気になさるのならば、一刻も早く大坂の秀頼様や毛利様にご出陣を願う事こそが肝要かと」
「それは左近に言われずとも分かっておる!既に大坂へは何度も使者を出したが、秀頼様からも毛利様からも一向に返事が来ぬのだ!…どうする、どうすれば良いのだ!?」
三成はそう言って再び部屋の中をうろうろし始め、左近はそれを見てため息をつくのであった。
~その頃、大坂城にて~
「徳川本軍が既に美濃に…これではさすがの三成とはいえ、どうする事も出来ないかの」
そう一人呟くのは、本来石田方の総大将である毛利輝元である。輝元の所には家康からの調略の書状が届いており、輝元が大坂から動かない事・三成の許にある秀元の軍勢を戦に動かさない事を約束すれば所領は安堵するとの事が明記されていたのであった。
「しかし…結城秀康、あの真田に対しあそこまでやるとはの。太閤殿下の養子だった頃はそのようなものは一切見せておらならんだというのに…やはり家康殿の子という事か。三成は色々言ってきているが、しばらくは様子見じゃな。秀頼様や淀の御方様へもそう言っておこう」
輝元はそう言ってほくそ笑んでいた。
「秀康様、我らが赤坂に到着してから早や数日…正信様もご到着されたというのに未だ動きがありませぬが、何時大垣へ攻めかかるのですか?」
「多分だが、父上は大垣での決戦は望んでおらんはずだ」
「?…それは何故ですか?」
「城攻めはどうしても時間がかかる。父上は一気に勝負を決する事を考えているはずだ」
「なるほど…だとすれば何処かで野戦という事にですな。しかし、どうやって石田を大垣から引きずり出すのです?」
「さあ?そこまではさすがに…まあ、父上の事だ。良きお考えがあるはずだ」
どうも、結城秀康です。富正さんが言った通り、赤坂に着いてから数日経ちましたが家康さんからは特に指示は出ていません。本来なら杭瀬川で一戦あるはずなのですが、こちらの兵力が当初の想定より多いからか向こうから一切アクションはありません。とはいえ、実際このまま動きがないのは家康さんだけでなく三成さんにとっても良い事ではなさそうな気がするので、そろそろ何かしらあるとはおもうだけれど…確か、元々の歴史では三成さんの居城である佐和山城を攻めるって噂を流して三成さん達を関ヶ原へ誘い出すんだよな。ここでもその通りにするのかは分からないけど…でも、普通に考えればおびき出す為にはそうするしかないと思うのだけどね。すると…。
「秀康様に申し上げます!家康様よりこれより全軍関ヶ原へ向かう為、すぐに出立の準備をとの事にございます!」
家康さんからの使い番が駈けこんで来てそう告げる…うん?いきなり関ヶ原?佐和山へ向かうとかじゃないのか?…まあ、何かしら考えがあるんだろう。とりあえず言う通りに進む事にしよう。
~関ヶ原・松尾山にて~
「徳川様、お待ち申し上げておりました。約定通り、我ら小早川勢は徳川様にお味方いたします。松尾山の方は既に空けてございますれば、ご自由にお使いくださいますよう」
「うむ、秀秋殿のご配慮かたじけなく思う」
「それと…伏見城の事は誠に申し訳なく」
「いや、秀秋殿は積極的に参加しなかったと聞いた。それ故、元忠もあそこまで長く戦えたのだ。それについて儂からどうというつもりはない。秀秋殿の今後の働きに期待する」
「ははっ、粉骨砕身徳川様の御為に働きます」
関ヶ原に着くなり俺達…というか家康さんを出迎えたのは何と小早川秀秋君であった。えっ、裏切りじゃくて最初からこっち側?どういう事?しかも、この辺にいた石田方は皆追い払ったっていうし…そういえば、南宮山にいる毛利軍は家康さんが現れても一切動きがなかったな。そっちも家康さんは調略済という事か?それとも史実通り吉川さんの方を調略しているのだろうか?
「おおっ、これは秀康殿。此度はご活躍でしたな」
とか思っていたら秀秋君の方から俺に話しかけてくる。まあ、俺も秀吉さんの養子として大坂にいた時に秀秋君とは普通に面識はあるから当然だけどね。
「秀秋殿もご苦労な事でしたな。しかし、良いのですか?豊臣の一門である貴方がこんなにはっきりこちらに味方をするなど…それとも北政所様から何かございましたか?」
「豊臣の一門?それにもはや何の意味も…鶴松様や秀頼様が生まれ太閤殿下がそこしか向かなくなった時点でそんなものは終わったのです。秀次様やその御子達が殺され、秀康殿が結城家へ養子に出され、私が小早川家に養子に出されたようにね。確かにおば上からも徳川様にお味方するようにとは仰せつかってはおりますが、これは私自身で決めた事ですよ。戦となれば徳川様に勝る御方はこの日ノ本にはおりませぬ」
秀秋君はそう言って笑っていた。何というか、実際付き合ってみて分かった事だが、秀秋君は俺が前世の時に本やドラマで見た印象とは違う人なんだよな。ひ弱で優柔不断で関ヶ原の時も家康さんに鉄砲を撃ちかけられてビビッて土壇場で西軍を裏切るとか目の前の秀秋君からはまったく感じない。しかも、豊臣に対する気持ちとか一切感じないし。今もそんな事心底どうでもいいような顔をしている。
「しかし、よくご家中をまとめましたな。稲葉殿や平岡殿はともかく、松野殿は反対はされなかったのですか?」
「ああ、それでしたらご安心を。重元は殺しましたから」
えっ…殺した?それはどういう…?
「あやつめは、私が豊臣の一門である事とか太閤殿下への恩義がどうとか口やかましく言ってくるものですから、稲葉と平岡に命じて郎党共々皆殺しにしました。何なら奴の首は首桶に入れてありますから見られますか?」
「いや、別にそこまでは…秀秋殿も思い切った事をしましたな」
俺がそう言うと秀秋君は笑っていたが…正直な話、俺は内心ビビりまくりです。皆殺しとか首桶とか聞くとやっぱり戦国の世なんだなぁと思ってしまうわけで。しかし、ここまで本来の史実と異なってしまうと、一体今後はどうなってしまうのやら?関ヶ原へは来たのはいいけど、結局佐和山を攻めるとは言ってないから向こうは大垣に籠ったままだし。ここからどうやって野戦に持ち込むのだろう?
~その頃、大垣城にて~
「小早川め…太閤殿下の一門でありながらその御恩を忘れるとは不届き至極!」
秀秋が家康に味方した事を聞いた三成はそう言って激昂していた。
「やはり島津殿が申された通り、徳川達が西に進んだ時に後ろから追撃しておくべきでしたかな、三成様。まあ、それはともかく重要なのはこれより如何されますかという話でしょう。このまま大垣に籠って大坂の毛利様と連携されますか?それとも大垣を出て関ヶ原にいる家康と一戦交えまするか?徳川が関ヶ原に入っても一切動かなかった毛利秀元様の動向も気になる所ではありますが、このまま何もしないでは我らが立ち行かなくなる可能性がございます」
その三成に左近がそう問いかける。ちなみに左近の言葉の通りに、徳川方が西に軍を進めたと知らせが来た時に島津義弘は追撃を主張し多くの将もそれを支持したのだが、三成が『小早川や毛利が動いてくれるであろうから、我らはすぐには動かない。小早川達が動いたのを見届けたのと同時に我らも討ってでて敵を挟み撃ちにする』と主張し、今の状況になってしまった経緯がある。小早川の裏切りや毛利の日和見が三成にとって想定外の事だったとはいえ、徳川の動きを防ぐ事が出来たかもしれない好機を逃した三成に対し、島津義弘ははっきり『信ずるに値しない』と言い切ってそれ以降三成との連絡を絶った状態になり、宇喜多秀家始め他の諸将も三成に対して冷ややかな対応となっている状況であった。左近の懸念はそれを含めたものであった。
「このまま我らが大垣にいても、もし徳川に佐和山や大坂に進まれでもすれば兵達の動揺も大きくなろう。忸怩たるものはあるが、ここは関ヶ原へ向かう。我らが進めばさすがに毛利も南宮山から動くであろうからな」
「であれば良いのですが…さすれば兵を動かす準備をしてまいります」
三成の言葉に左近はそう言ってその場を離れたが…。
(正直、この戦は当初の想定以上に我らにとって不利になっている。秀頼様や毛利様のご出陣が無いこの状況では勝ちは難しいかもしれぬな…やはり、三成様の命に背いてでも徳川が動いた時点で兵を動かすべきであったな。このまま動いて、果たして諸将がどれだけ動いてくれるものやら…もはや今更か)
そう心の中で一人ごちていたのであった。
~数日後、関ヶ原にて~
「来ましたぞ、秀康様」
「ああ、俺にも見えている」
俺達の目の前には石田方の軍勢が現れたのが見えていた。既に小早川がこちらに付いているので、本来の数よりは大分少ないが、それでも数万にも及ぶ軍勢が見えると否が応でも緊張が高まってくる。何だかんだで野戦に持ち込むのだから、さすがは家康さんという事なのか一応何かしらの修正力的な物が働いているのか…まあ、今更だなもはや。
現状を説明すると、松尾山に家康さんの本陣があり、その北の天満山と合わせて関ヶ原の西側から南西側にこちらの軍が展開しており(ちなみに秀秋君の軍勢は天満山にいます)、桃配山・南宮山を中心とした東側に石田方の軍勢が展開している状況である。本来の史実と全然違う配置になってるし。しかも、俺が連れてきた徳川本軍に加えて秀秋君も既にこっちにいるから、こちらの数は既に十一万以上になっており、逆に石田方の軍勢は見た限りでは後背定かならない南宮山の兵と合わせても六万余りにしか見えない…っていうか、三成さんこんな状況でも大津城と田辺城に向けている軍勢とかそのままにしてるし。俺だったらとりあえず立花宗茂さん位はこっちに呼ぶけどね。という事で、既に数だけだとこっちの勝利に見えなくもないが、戦は終わってみないと分からないので油断は禁物だ。ちなみに俺の手勢は松尾山の東南の麓の辺りにいます。先陣ではないけれど、戦が始まったらこのまま動かないってわけにもいかないだろうしな…折角、戦無しで大大名になれるポジションに転生したはずだったのに、何でこうなった!?まさかの関ヶ原参戦って!?嘘だと言ってよバー…じゃなかった家康さん!俺の目標はあくまでも『目指せ、戦無しで大大名で左団扇生活!!』だったのに!でも、戦無しは無理でも大大名はまだ行けるはず!それを実現する為にも、とにかくここは絶対に生き延びてやるからな!さあ、遂に天下分け目の大戦、関ヶ原決戦の始まりだ!!