転生しました。一応、史実通りに進んでいたはずなのに…。
一応、思い付きで書いてみました。
基本、わかりやすいように呼び名は名前呼びにしてますのでご了承の程を。
どうも、結城秀康です。徳川家康の息子やってます。
…えっ、何か軽いって?そりゃそうだ。俺は元々令和日本で大学生として過ごしていた『結城秀正』って人間だったのだから。(ちなみに結城って名字が同じなのは単なる偶然です)
前世で何があったのか細かく覚えていないが、多分居眠りか何かのトラック的な大型な車にはねられて死んだような感じだ。まあ、死んでしまったものは今更どうしようもないのだが、問題は気が付くと何やら時代劇みたいな格好をした人達に囲まれて『オギイサマ』だの『オギマルサマ』だのと呼ばれていた事だ。
正直、それを自分の事だと認識するのに数日ばかり要したわ、まったく。
そして色々と総合して出した結論として…俺は戦国時代に、しかも『結城秀康』として転生をしたという事だった。
正直、最初は『何で結城秀康?どうせなるならもっと有名な人に…』とか思ったのだが、よく考えれば結城秀康って事は大して戦もしないままで大大名になれるって事じゃん!よっしゃ、ラッキー!!確か史実では戦に出れなかった事を最期まで悔しがっていたとかだったはずだけど、俺は戦なんて嫌だし!このまま大人しく史実通りに行って大大名で左団扇で…ああ、そういえば梅毒か何かで早死にするんだよな、それだけは回避しておこう。とりあえず奥さん一筋でいっとけば無問題なはず…正直、木の付け鼻とかしたくないし。
というわけで、基本知っている知識の範囲内での史実通りに過ごしてきました…馬丁を斬り殺すのはやめて峰打ちで済ませておきましたが。
とはいえ、一応予定通りに結城家の養子になってここまで順調に来ました。そして
時は慶長五(1600)年七月、場所は下野国の小山です。予定通り家康さんは上杉討伐で此処まで来た所でこれまた予定通りに石田三成さんが西で挙兵しました。後は俺が上杉の抑えとしてこちらに残り、家康さんが関ヶ原で勝利して俺は労せず大大名になって左団扇な生活を送るだけ…と思っていたのですが。
「秀忠が動けない?…病はそんなに重いのか?」
「医師が申しますに、お命に別状はないとのことではございますが、とにかく今動かすのは危険であるとの事でございます。上方へ赴くのは到底無理でしょうな」
家康さんの質問に本多正信さんがそう答える。そう、何とここで本来徳川本軍を率いて上方へ向かうはずの秀忠君が病気で動けなくなってしまったのです…何で!?
とはいえ、病気になってしまったものはもはや仕方がない事なのだが…問題は、秀忠君の代わりに誰が軍を率いるのかという事で。さすがにこれは誰でも良いってわけにはいかないしな…さすがに榊原康政さんが大将ってわけにもいかないし、ここは秀忠君の同母弟の松平忠吉君とかかな?でも、そうなると義父の井伊直政さんをそっちにつけなきゃならないだろうしなぁ…とか思いにふけっていたのだが、気が付くと皆の視線が俺の方を向いていたりする。何か嫌な予感が…。
「…やむをえぬか」
「…そうですな。他に良い方もいないでしょうしな」
家康さんの言葉に正信さんもそう答える。まさか…。
「秀康、お主が徳川本軍を率い中山道を進め!代わりに秀忠を此処に残す!」
ええっ!?何で!?何でそうなるの!?戦無しで左団扇な生活計画がまさかここで破綻っすか!?史実とも変わっちゃうし…どうなる、俺!?