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銀の月が見える夜  作者: 八十浦カイリ
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第十七話 綾崎風子

見知った天井。いつものように、雪穂は目を覚ます。

身体をゆっくりと起こすと、何やら身体に違和感がある。どうにも、少しだけ頭が痛い。

「……寝不足かなぁ……?」

そう呟きながら、ゆっくりと手を伸ばすと、自分の手の甲が目に映る。

そこには、何やら見覚えのない紋様が浮き出ていた。

大きさにして約2センチ、とても小さな紋様であるが、雪穂はそれを見ると何やら言いようもないような不安に襲われた。

「……いや、考えすぎ?」

どことなく、自分が自分でなくなるようなぼんやりとした違和感。

しかし、そんなことを考えていても、それを相談できる相手は目の前にはいない。

「雪穂!早く朝ごはん食べなさい!!」

「はーい今行く!!」

そんな雪穂の小さな悩みは、母親の自分を呼ぶ声にかき消されていった。


「なんか今日雪穂えらい疲れた顔してるけど、大丈夫?」

「うん、最近ちょっと勉強ついて行くのが大変で」

実際嘘ではない。連日の悪魔憑きとの戦いで、雪穂は目の前の勉強のことが少しだけ疎かになっていたのだ。

「ふーん……わかんないとことかあるなら私に聞いてもいんだよ?」

「そっか、そういやこいつ成績めちゃくちゃ良いんだったわ」

「なんだその目は!」

風子はこう見えても、雪穂が認めざるを得ないほどの優等生だ。いざとなれば、勉強を教えてもらうのも手だろうか、と。風子の顔を見ながら考える。


「ま、あれですよ。高校の勉強なんて所詮最低限出来てればいいから!」

「成績上位常連が言うと嫌味にしか聞こえねー」

「そこはほら?私は勉強が趣味みたいなもんだし?わかんないとこがわかるようになると楽しくない?」

「その気持ちはわかんない」

「私さー、これ前にも話したっけ。私昔はむしろ頭悪かったの。でもさ、ある時数学のわかんないとこが急にふっとわかるようになって、それから勉強すんのが楽しくって。雪穂にもいずれわかるようになるよ」

そんなことあるかなぁ……と、雪穂は頭をひねる。朝はもう意識していなかったはずの頭痛が、またも蘇ってくるかのように、頭の左側がズキズキと痛む。


「どしたの?」

「ごめん、ちょっと頭痛くて。やばかったら保健室行くかも」

「ほんと?無理しないでね」

「うん。とりあえず1時間目移動教室だし早いとこ準備しとこ」

風子に気を遣わせまいと、雪穂は話題を無理やり変える。きっとこれも風子にはバレバレだろうが、そうだとわかっていてもやっぱり気を遣わせたくないという気持ちは、あるのだ。


「あ、そうだ雪穂。もうすぐ中間だし、そろそろ範囲チェックしとかないとやばいかもよ」

「……うげっ」

そろそろ放課後の時間を勉強に使うべきだろうかと、雪穂は痛む頭を抑えながらも考える。


しかしそんなことを考えていても、時間は無慈悲に過ぎていくもので、気づけば授業が終わり帰る時間になっていた。

先生からも何度か期末テストの範囲についての説明を受けたような気がするが、何故か雪穂には全くと言っていいほど頭に入るものがなく、ほとんどはこの時間にはもう忘れていた。

「は~~~終わった終わった~~マジ疲れた」

「おーお疲れー。頭痛いのは大丈夫?」

「そういや全然痛くないわ。意識してないと痛くないのかも」

「ふーん、なんか変わってんねそれ」

言われてみれば、雪穂は自分が難しいことを考えている時だけ、頭が痛んでいたような気がした。


おそらくは、まだ悪魔が憑いているということが関係しているのだろうと、彼女は確信した。

心の中に潜んでいる悪魔が、隙を狙って顔を出そうとしているのだ。

そのタイミングがいつだというのかは、雪穂自身にもわからない。ただひとつ言えることは、油断していてはあの悪魔憑き達と同じになりかねないということ。

いや、黒崎という男から貰ったあのペンダントがなければ、もしかすれば既にそうなっていたかもしれない。


「……ところで、テストは大丈夫そ?」

「うん。…まあ、大丈夫。だと、思う……」

今こんな状況でそんなことを考えていられる余裕はもうなかったが、ひとまずはこう答えるしかなかった。それはもう、ほとんど嘘をついているようなものだった。

「よし、それならよかった。いやー私は心配だったんだよ。今日授業中も上の空だったからさ、もし眠気やばいとかで授業聞いてないー、とかだったら。私がいくつか教えてあげないといけなくてさ」

「風子だってちょくちょく寝てたじゃん」

「…バレてたか」

逆にそんな様子で何故あんな成績が取れるのかと問い詰めたかったが、おそらくはあの勉強が楽しい、というのが真相なのだろうかと、わざわざ聞こうとは思えなかった。


教室を出て、帰り道を歩く。いつもの電車が出るまではまだもう少し時間がある。

駅まで近づこうとしたところで、雪穂にとっては望まなかった連絡が来る。

『もしもしー、何?』

『仕事ですよ。この時期の学生は大変だと聞いていましたが、いかんせん人手が足りなくてですね。とりあえず場所を案内しておくので……』

今すぐにでも電話を打ち切って、聞かないふりをしたかった。

何故、こんな時にまで悪魔が出て来てしまうのだろうか。本当に上手くいかないなと、雪穂は心の中で吐き捨てるようにして呟いた。


だが、自分の立場上その指示を聞かないわけにはいかない。それに、落ち合う場所まではまだまだ距離がある。

『すみません。電車でそこまで向かうんで、しばらく待っててください』

『わかりました。そちらには伊織くんと夜空さんを向かわせておりますので、その駅の近くで合流しましょうか』

『はい、わかりました』

電話が切れる。深呼吸をした後、心のスイッチを単なる一般学生から、悪魔祓いへと切り替える。ちょっとしたローテーションのようなものだ。


「まあ、正直やってらんないけど、やりますか……」

己の仕事場へと向かうべく、雪穂は電車の中へと一歩足を踏み入れた。

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