いつものように、街を歩く
よろしくお願いします。
夜は怖い。この田舎街には街灯がないし、木々のざわめきは昼間よりも大きく聞こえる。誰かが話している気がするし、誰かが後ろにいる気もする。そんな帰り道。それなのに。
「あのクソポンコツ領主……!」
領主がうっかり、書類にお茶を溢した。それも、王宮に提出する書類だ。しかも冊子になった書類。おまけに提出期限が間近に迫っていた。文字が書ける侍女や侍従も参加する、屋敷総出で作り直し。
「みんなのおかげでこの領地も安泰だよ。ありがとうねえ……じゃねえよ!」
誰もいない帰り道。このくらい強気じゃないと怖い怖い。領主の屋敷は小高い丘の上にある。丘を下って領地一栄えている、と言っても、暮らすのに不便ない程度の店が並ぶ街を通り過ぎて、街の隅っこの小さな家が、私の家だ。
日が暮れれば店は閉まるし、街灯なんかひとつもない。日常生活に不便はないけど、勤め人には少し厳しい、そんな田舎。
「ああー!ただいまー!」
家に入ると同時に大声で挨拶をする。暗くて怖い帰り道から無事家に着いたことを実感する。なんとなく、大声を出すと、まとわりついていた暗い何かを追い出せるような気もする。
今日はあまりにも遅くなったからと、領主が晩ごはんをくれた。そういう所は気が利く領主だと思う。それを実務に活かしてほしいと何度思ったことか。だめだめ、思い出したらイライラしてしまう。もう今日は体を清めて寝るだけでいい。
寝る前に、ほんの少しだけワインを飲んで、ベッドに入った。
起きるのは夜明け前。空が白み始めた頃に家を出る。朝の街は意外と賑やかだ。魚や野菜は朝一に届くから、店の準備をしている人がちらほらいる。
街を通り過ぎて、丘を登る。なんでこんなところに建てられたのだろうか。一説には、大雨で街が水に沈んだ時に領主の屋敷に避難するためだという。ここは、そんなに大量の雨が降る地域ではないが、もしも、を考えた結果なのかもしれない。
私の仕事は、領主の書類作成だ。領主は書類をよく見てサインをする。税金のことや、領民のことまで。朝から暗くなるまできっちり働く。そして、家に帰る。この繰り返しだ。
やはり、帰り道は怖い。木々のざわめきに、動物の鳴き声なんかも子供の声に聞こえることもある。
「誰かいるのー?」
え?
思わず振り返る。誰もいない。
でも、ハッキリと聞こえた気がした。立ち止まってしまったから、靴をコンコンと地面に鳴らしてみるが、聞こえるのは木々のざわめきだけ。気のせいだ。そこからは普段よりも小走りで帰る。
「ああー!ただいまー!」
今日はいつもより余計に怖い思いをした。早く休みたいから、夕食は簡単に済ませることにした。
いつもよりも、多くワインを飲んでしまったからか、久しぶりに夢を見た。
「ねえ、誰かいたよ?」
道端で男の子が、話しかけている。男の子と手を繋いでいるのは、女の子。お姉ちゃんだろう。
「いやね、怖い事言わないで、早く帰ろう」
お姉ちゃんは男の子と手を繋いで、もう片方の手には紙袋を持っている。
「赤ちゃんのミルクも買ったし、早く帰らないとこの辺はよく出るんだって」
「出るって何が出るの?」
「そりゃ怖いオバケよ」
そんなことないだろう。その姉弟が歩いている所はとても栄えているようで、明るい街灯が等間隔に並んでいる。
きっと、この二人の住む家には赤ちゃんがいて、ミルクがなくなって渋々買いに出たのだろう。このお姉ちゃんも、まだ子供だし、一人で出るのは明るくても心細くて、弟を連れて出たのだろうな。
「オバケが出るのは丘の上のお屋敷じゃないの?」
「そんなことを大きな声で言ってはダメ。あそこは領主様のお屋敷よ。もう何十年も経つけど、ここが雨で沈んだ時に、街の人達があのお屋敷に避難して無事だったの、学校で習ったでしょう?」
「でもあそこ、古くて怖いよ」
どこの地域でも領主は丘の上に屋敷を構えるらしい。しかも、ここは実際に雨に沈んでしまったと。やっぱり、そういうことがあるんだ。でも古いと怖いというのは仕方ない感想だろうな。
「古いけど、歴史ある立派な領主様とご家族が住んでいるの。それに、この辺にもオバケが出るのよ」
お姉ちゃんの言葉に、男の子がキョロキョロと辺りを見回している。
立派な領主様だなんて、我が領主にも見習って欲しい。
「誰もいないよ?ここは明るいし、オバケなんて見かけないよ」
「大雨の時にね、街外れの一軒だけ、知らせが行かなかったの。その人は一人で住んでいたんだけど、領主様のお屋敷で遅くまで働く事もあったから、皆とうに分かっているものだと思っていたし、自分達も早く領主様のお屋敷に行かないといけないからね。だけど、その人は逃げ遅れちゃったの。家の中で溺れてしまったみたい」
「じゃあなんでこの辺に出るの?」
「家からはワインが見つかってて、きっとワインを飲んでぐっすり寝ている間に溺れたから、苦しまずに亡くなったの。だけど、まだその人は自分が死んだと思っていないから、毎朝この道を通って領主様のお屋敷に行って、夜にはまたこの道を通って家に帰っているんだって」
男の子にはすこし難しい話だったみたい。私も飲み過ぎには気を付けないとな。にしても、この二人のいる街はとても栄えている。街灯だけじゃなくて、こんなに暗いのに開いている店がいくつもある。
「じゃあその人は今も領主様のお屋敷で働いているの?」
「よく噂になっているのがね、書類の位置が変わったり、むかーしの書類が出てたりするんだって。この前はそれにびっくりした領主様がお茶をひっくり返して大切な書類も汚して大変だったって」
「領主様もおっちょこちょいなんだね。でも、領主様もびっくりするんだもん。僕がオバケを怖がっても仕方ないよね」
それとこれとは別の話、と言って、お姉ちゃんが釘を刺している。かわいい姉弟の会話が聞けて、ほっこりする。いい夢だな。
夜明け前に目が覚める。私はいつもと変わらず、家を出る。そしていつもと変わらず仕事をして、街を通って帰る。
その日はいつもよりも夜の街が明るい気がした。昨夜の夢のせいかもしれない。いつか、この街も夢で見た街のように栄えてくれると嬉しいな。
ありがとうございました。
社畜の鏡な人のお話でした。ある意味そこもホラーなのではと。