第88話:シオン、明日も無事に会えますよね・・・
異様に疲れた午前の診察が終わったアリアは、一先ず昼食の時間となったので、食堂に向かった。
食堂では何故か悲哀滲む表情のダニエルがフウとセツを眺めている姿が目に入ったが、何か今は触れてはいけない気がしてそのままにしておいた。
昼食が終わり食堂から出ていく時もその表情は相変わらずで、遂には悲愴感まで纏いフウ達と不思議な事に自分まで眺めていることに気付いてしまった。
そこまで深刻そうな雰囲気だと流石に気に掛けないわけにもいかず、何かフウ達と仲違いでもして関係が気まずくなってしまっているのかもしれないとアリアは考えた。それならば、自分が間に入り、仲を取り持つことも出来るかしれないとダニエル達親子に向き合おうとした、アリア。
(俺を見て助けを求めたとしても、大した助けが出来るか分からないが、やれることはやってみるか)
そう心に決めたアリアがいざ行動に移ろうとした時、フウとセツがやんわりとアリアを止めたのであった。2人曰く、構うと面倒くさいとのこと。
アリアはそう素っ気なくダニエルについて言われたので、介入を見送ることにしたのだった。
親子間での込み入った話に赤の他人である自分が介入しても、幾ばくの助けにもならないかと、フウとセツとダニエルを想って時間が解決してくれることを切に祈って、食堂を後にしたのであった。
その後、部屋までの道程で、もしも夕食の時もあの状態のダニエルが出てきたのならば、流石に声を掛けようと心に決めて、午後も診察へと臨んでいくアリアであった。
午後も引き続きアリアの診察と検査が行われた。
アリア自身一体何の為にこうして一日かけて医者に掛かっているのか、全く見当がつかなかったが、やたらに訊ねてボロが出ると不味いと考え、主治医(?)のテクノと看護師なの(?)、シアンと生真面目な女医さん(!!)のクロムに素直に従っていくのであった。
そうして、ドデカいスピーカーの隙間から見える空が茜色に染まり始めた頃に、ようやく診察と検査が終わった。
(・・・長かった)
テクノの派手で盛大な爆音と超新星ばりに輝く演出の中、何故か歓送会みたいに診察室から送り出されたアリアは、異常に重い足を動かして自分の部屋へと向かっていった。
とぼとぼと歩きいつの間にか辿り着いていた自分の部屋のドアを緩慢に開けて中に入り、心配そうに自分を見つめているシオン達に最後の気力を振り絞り、気丈に元気アピールを演じた後、尚も気遣うような視線を向けるシオン達に最高の微笑みを浮かべて強引に安心させてこの後の予定を訊いた。
そして、シオンとスイとローズが部屋から出て行く所まで笑顔で見送ったアリアは、廊下から聞こえる足音が十分離れたことを確認した瞬間、電池が切れた様にベッドへとうつ伏せに倒れ込んだ。
しかし、中途半端な格好でベッドに倒れた為、床に膝を突いた突っ伏し状態なので寝心地が今一つであった。なので、靴を脱いで裸足になると、ベッドの中央までのそのそと這っていき着くと、仰向けに寝転がった。
そこで、ぼんやりと天井を眺めながら、取り留めもなく思考していった。
(なんで病院帰りってこんなに疲れるんだろう?)
人間ドックで引っかかった箇所がある為、再検査のためにまた病院に行って、お酒の飲み過ぎに気を付けて下さいと注意されて、丁度空いていた栄養士さんから栄養指導を受けて帰宅後の、なにもかもが億劫に感じられた記憶をぼうっと思い出しながら、天井を眺めるアリア。
しかし、そう眺めていると次第に天井の輪郭が覚束ないものへと変わってゆき、最後には無自覚のまま瞼が降りきっていた。
アリアが眠りに落ちた頃、シオンは何故か女性使用人達に迫られていた。
並々ならぬ気迫をもって迫る彼女達は、困惑顔のシオンに向かって臆することなく、声を上げる。
『メイド長!!アリアお嬢様の・・・』
一瞬の溜めの後に、意を決して二の句を紡ぐ。
『お嬢様のファッションショーはいつになったら催されるのでしょうか!!』
述べた後、後ろ手に持っていた各々の自慢の作品を掲げて見せる。
『一昨日から時間が有り余ってしまったので、凝りに凝った品がこんなに出来上がってしまいました』
居並ぶ者達の手に掲げられた作品は気合が入りまくった逸品。中には迷品も混じってはいるが、一目で高価な生糸の生地を惜しげもなく用いたと思われる品々。更に、装飾も派手過ぎず、逆に地味過ぎず、気品が仄かに感じられる絶妙の塩梅での仕上がりであった。金に糸目を付けぬとは正にこの様であろう。
その諭吉さん(今は。しかし、新には、渋沢御仁)が何枚も飛んでいきそうな気合の逸品を見せ付けられたシオンは、納得顔で鷹揚に頷いた。そして、真っ直ぐに彼女達に向き合い冷静な口調で答えていった。
「今晩の開催を予定しています。お嬢様もしばらくはご予定もなく、落ち着いた日々を送れるはずですからね。更に、いつもなら嫌がられる健診にも素直に赴いて下さったので、その恩に報いる為にも、最高の気晴らしと贈り物を送る機会が今宵だと考えられます」
言葉を止めたシオンは、目の前に居並ぶ可愛い部下達を一度見渡す。
「それに5月ですからね。しばらく出来ていなかった、もう1つの大切な催し物も今夜行おうと思います」
「!!・・・そうですね・・・」
今までのはしゃぎ様が波の引くように下がってしまう。
後ろめたさや今シオンに言われるまで忘れていた事に愕然とショックを受けている女性使用人一同。
シオンも周りの温度が一気に下がった事に気付いていた。
自分も彼女達と同じ過ちを平然と犯してきたのだ。果たして、“今まで通りの日常”であったならば、こうして進んでこのことを口にすることが出来たであろうかと、暗く顧みてしまう。
頭の中に暗澹たる景色が浮かんでくる。
だが、心が塞がりそうになった瞬間、横から肩を叩かれた。
振り向くとローズが怒った様子で、無言ながらもいつまでも後ろばっか見てんじゃねぇと、雰囲気で語っていた。
それでそうだと気づいたシオンは、もみもみと鬱陶しく今度は肩を揉んでいるローズの手を煩わしいと追い払うと、改めた表情で前を向いた。
今、目の前に広がるのは少し前までのお屋敷の景観。だからこそ、ローズに気付かされた、今はもう違うのだと。
自分を叱責する意味合いを込め、強い口調で正面に声を発した。
「だからこそ!今夜は今までにないぐらい盛大に開催しましょう!!」
シオンの強く上げられた声に、沈んでいた皆が顔を上げ、正面を向いた。
責任、後悔なんて後でいくらでも考えられる。けれども、この本当に久しぶりの、催し物は今という、一瞬にしかできない。なので、侍女達、全員は、思いも向かう行先も軌を一にする。
『はい!!』
声を高らかに上げ、感情を高ぶらせる。
しっかりと自覚した自分達の使命を胸に抱き、瞳に力強い意志を浮かべた。
シオンが目の前に並ぶ部下達を真剣に見据え、部下達もまた、皆、自分同様、真剣そのものの表情で見つめ返してくる。
シオンは最後に発破を掛ける意味合いでの言葉を、部下達に送った。
「貴女達、私達はお嬢様の全てを愛でる者としての同志であると同時に、敬服すべきお嬢様の忠実なる下僕。今夜の事で浮足立つことがないよう、手抜かりなく、誠心誠意、丁寧に業務をこなす様に!」
『はい、メイド長。我ら一同、共に終生の下僕として、誠心誠意業務に従事致します!!』
「良い宣誓です!では、今晩の催しよりも先に昨日定めた法度を破らぬように、お嬢様の湯浴みの時間までに仕事を完遂させなさい。どちらも、・・・疎かには出来ない、大切な催しです」
『了解しました、メイド長!!』
「散開!!」
深く深く床と首が水平になるまで頭を下げた後、使用人達は意気軒昂の模様で、胸に秘した使命の為、自身の戦場(仕事場)に従容と赴いていった。
立派に赴いてゆく部下達を誇らく見送った後、シオンも自身の仕事へ颯爽と向かっていった。
軌を一にする、この者達に妥協など存在しない。完璧に遂行してこそアリアへの忠誠と今までの謝罪を示す証。故に今日もアリアへの傾倒を強めていく、チェイサー家の皆であった。
沈んだり、浮上したり、更にはアリアへの傾倒を強めたりと忙しい、そんなシオン達に内心呆れるも、思いのほか、嬉しくも感じるローズ。
けれども、やはり逸る血気に、暴走しそうな気配を犇々感じ、その異常なやる気に、呆れが上回る。
なのでローズは、内心でぽつりと呟いていた。
(まあ、重苦しいよりは良い傾向なのか?)
苦悩する脳が絞り出した、納得を含む疑問。
しかし、趣が全く変わったお屋敷に何度目かの苦笑がローズの口元に溢れもするのであった。
「はぐぁ!」
珍妙な声が上がった。
アリアはがばっと跳ね起きると、忙しなく辺りを見渡した。
突然始まった悪夢、侍女達との壮絶な追いかけっこ。
各々手にするは、前の世界でコスプレと呼ばれていた華美な衣装。
血走った剥き目で亡者の軍勢もかくやの迫力で迫って来る、侍女達。
必死に逃げるアリア。だが、思う様に動かぬ足で走り、とうとう、平らな地面でこけてしまう。はっと振り返って目にしたものは、眼前に迫っていた狂気満ちる侍女達。ニタァと口が裂けた侍女達に、四方八方から飛び掛かられた瞬間、覚醒し今に至る。
静かな部屋を見渡し、誰もいないことを確認して、胸の底からの安堵を吐いた。
ドクドクと鳴り響く心臓の音を胸に置いた手に感じつつ、じっとり粘り付く汗を全身に感じる。
恐る恐るベッドの上を移動し、脱ぎっぱなしの靴の下へと向かう。
しかし、ここでそういえばと懸念が過る。
靴が実はベッドの陰で死角に入っていたのだ。
もしもまだ夢の中なら、こういう所に奴らは潜んで油断した所を驚かす。そう、ホラー映画のごとく。
おっかなびっくりそろ~とベッドの縁から覗き込み誰もいない事を確認しほっと息を吐いた瞬間、突如ドアが激しく開け放たれた。
間を置かずハリウッドスターばりに飛び込んできたシオンが床を数回転した後、シュタッと片膝を突き、内部のクリアリング素早く行う。
いつか見たような光景に、けれども、その時とは違い本当に心臓が止まる程の驚きをもって、アリアは闖入者を目を正円に見張って、見つめた。
完璧に安全確認を行った後、シオンは全力疾走後の乱れる息もそのまま、アリアに声を掛けた。
「アリアお嬢様、今の声は!?」
微かに聞こえた異常なアリアの声を耳聡く察知したシオンは、ここまで駆け抜けてきた。
そして、ノックするのも惜しいと、ドアをぶち抜くほどの勢いで開け放ち、中に飛び込んでいった。
すぐさま内部のクリアリングを行い、安全を確保すると、目をまん丸に見開くアリアと対面した。
シオンが見ている中、アリアの見開かれた目が次第に戻っていき、今度は逆に狭まり、笑顔へと変わっていった。
チャームポイントは額に浮かんだ青筋。実に可愛らしい笑顔のまま、笑っていない目でシオンをじ~と見据えた。
何か良くない事でもしてしまったのかと困惑顔のシオンもアリアを見つめていく。
(ひとが怖い夢見た後にマジで何すんの、このメイドさんは!?ホラー番組じゃないんだよ!!定番の安堵した瞬間の戦慄やりやがって!!)
もう怖い夢の余韻もどこへやら、シオンの突撃で一周回って恐怖よりも苛立ちが上回ったアリアは、脱ぎっぱなしだった靴に足を突っ込むと、静かにシオンの下に向かった。
無駄に決まった(服は着ているけど)ターミネーターのシュワルツェネッガーの片膝立ちの登場シーンを彷彿とさせるシオンをにこやかに見下ろし口を開いていった。
「ええ何ともありませんわよ、シオン。声はうっかり漏れてしまったわたくしの寝言です。ええ、本当にわたくしは何ともありませんよ、シオン。ただ、有難いことに有能なメイド長様のおかげで心臓が飛び出しそうになったくらいですので、些末な事案と片付けてしまっても結構ですのよ」
嫌味が濃いお小言をつらつらと並べ、驚かされた分のへそを曲げたアリアはツンとそっぽを向いて化粧台に向かった。
しかしその途中、折角自分の危機と、必死に駆けつけてくれたのに、八つ当たりみたいな言葉を掛けてしまった自分自身に子供じみていると反省すると、すぐに踵を返して、悄然と項垂れているシオンの下に向かった。
まるで世界の終末でも目撃したかのように呆然としているシオンに増々胸が痛んだアリアは、すぐに言葉を掛けた。
「シオン、先程はあのように言ってしまいましたが、わたくし嬉しくもあったのですよ。わたくしの身を案じて一番に駆け付けてくれたんですもの。シオンはわたくしにとっては、大切なシオンですよ」
身勝手な苛立ちをぶつけてしまい申し訳ない気持ちでシオンを後ろから包み込んだ。
すると、小刻みに身体を震わせながら顔だけ振り返り、シオンが涙でぐしゃぐしゃのまま口を開いた。
「シオンもお嬢様は掛け替えのない大切なお嬢様ですよ~~」
ズビズビ鼻水を啜りながらそう述べてくれるシオンに本当に先程の行為を反省した。
(俺が本当にバカだった。ごめん、シオン。もう八つ当たりみたいに当たることはしないから)
心の中で深くこの失敗を刻みつけたアリアは、子供じみた自分を深く戒めるとぐりぐり首を限界以上に後ろに回して顔を擦り付けるシオンに若干引きながら、少しの間お詫びの印も兼ねて好きにさせていくのであった。
すっかり上機嫌なシオンに今は髪を梳かれている、アリア。
だが、ここまでくる間に語れば長い紆余曲折を経ているのであった。
アリアは、今は櫛で楽しげに髪を梳いているシオンを化粧台の鏡越しに眺めながら、先程までの事を思い返す。
そう、お詫びの為の抱擁を解いた後、寝ぐせがあるとのことでシオンがやる気満々で髪を整えさせて下さいと願い出た後の事である。
小さなノック音が部屋の中に突如響いてきた。
その後、申し訳なさそうな声でスイが入室の許可を求めてくる。
それに快く返事を返すと、静かにドアが開けられそこからスイが現れる。
アリアに向かい深々と頭を下げ突然の訪問の非礼を詫びた後、スイの視線が化粧台の中から数ある櫛の内、この瞬間の一本を吟味しているシオンに注がれた。
足音を殺しシオンの後ろに寄ったスイは一言、「メイド長」と怖気が走る声を掛け、シオンが恐怖と驚愕で振り返ると、問答無用でシオンをどこかへと引っ張っていった。
余りの展開にアリアが声も出せず「お嬢様~~」と今生の別れの様な悲哀に満ちた声を残して消えていくシオンを見送った後、ひょっこりとローズが現れ、シオンが遣り損なった寝ぐせ直しを嬉々として勝手に引き継いでいった。
そして、その最中にスイがなぜああも、お冠だったかを語ってくれた。
なんでも、仕事をほっぽりだして突然、何処かへと駆け出して行ったのだそうだ。
そこで残された仕事をスイ達が代わりに終わらせて、仕事を投げ出していったシオンを見つけてお説教の為に連れて行ったのだそうだ。
メイド長たるもの下の者の模範たれと今は耳にたこができるほど聞かされているだろうと、失笑に耐えながらローズが語っていった。それを聞かされアリアは内心で小さく合掌した。ごめん、俺の寝言の所為でもあるわ、と。
しばしシオンのお説教が軽く済みますようにと祈り、その後はローズに不在のシオンに代わって髪の手入れをしてもらっていく。
ほんの少しの間、部屋には髪に櫛を通す音のみが流れていた。
しかし突然、ローズがポツリと世間話でもするかのように軽い感じで口を開いた。
「お嬢、あたい明日帰るわ」
それを聞き、アリアは鏡越しにローズの顔を窺う。
朗らかに笑っているローズの顔が見えた。
「居心地が良くてさ、数日世話になっちまった。でも、そろそろ帰らねぇと、あたいを待ってる奴らに悪いからな。だから、明日帰ることにしたわ」
「・・・そうですか」
何か月も一緒にいたかのようなローズからそう伝えられ、アリアの心の中に寂寥感が浮かぶ。
「お嬢、そんな暗い顔すんなって!また、直ぐにくっからさ!」
気付かない内に出ていた表情に、ローズが快活に笑ってそう言うと、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を撫でた。
折角梳かした髪が乱れるが関係ないとばかりにしばらく撫でてから、後ろを向いたローズ。
すると、廊下から誰かが走って来る音が丁度響いてきて部屋の前で止まると、問答無用にドアが開け放たれ、息と髪をひどく乱したシオンが勢いよく入ってきた。
「お、お、お嬢、様。ようやく、シオンの、番です、よ!」
息も切れ切れになんとかそう述べ終えると、シオンが後ろ手にドアを閉めていった。しかし、その一瞬、ドアの隙間から怪しく微笑んだスイが見えた。アリアは、唯シオンのみを静かに捉えるその目に戦慄が走り、ドアが完全に閉じきるまでそこから目が離せなかった。
なんにも気付かない呑気なメイド長さんは、ローズに何でいるんだとの怪訝な眼差しを向けた後、中断されたアリアの寝ぐせ直しに嬉しそうに取り掛かっていった。
アリアは充足感一杯の笑みで髪を梳いていくシオンが明日も・・・。いや皆までは言わずに本気で祈ったのであった。




