第56話:忘れていたもう1人。そういえば、何処に行ったんだ、アイツ?
ローズは食堂に入ると、最初にアリア達を慇懃に出迎えたジェームズに「ちょっとお邪魔するぜ」と気軽に声を掛け、厨房から夕食を運んできたダニエルには「よ!久々だな!」と軽い感じで声を掛けて、アリア達と共に席に着き夕食を待った。
ジェームズは、既にスイから急遽出かかる事になった自分の代わりに、ローズにアリア達の面倒を臨時で頼んだとの報告を受けていたので、「ほほほ」と穏やかな微笑みでローズを見送っていた。
しかし、スイから一切の報告を受けなかったダニエルは突然現れたローズに面食らい、「はぁ、なんでお前がいるんだよ」と不機嫌そうに不満を零すも、親しそうにローズに接するアリア達を見てしまい、はぁ~と一息吐くと、頭を掻きながら厨房に戻っていった。
そして、予備に用意して置いた夕食をワゴンに乗せて戻ってくると、渋々、堂々と席に座っているローズの前に並べた。
その際、「おいローズ、普通従者は後ろにそっと控えているもんだろ」とダニエルが文句を言った所、ローズに真剣な表情で、「今のお嬢の傍からあたいを離すのか」と返され、視線でアリアを示された。
そこには、ダニエルの話を聞いていたアリアが、しょんぼり気落ちした様子で、ローズの服の裾を小さく摘まんでいた。
そして、そのアリアが視線で余計な事をしてしまいましたか、と責任を感じて悲しみに暮れる姿で訊ねていた。
更に、アリアを悲しませたダニエルを非難する視線が3つ飛んできた。
フウが「ママに言い付けてやる」と怒った表情で見つめ、セツが「お母さんに言い付けてやる」と軽蔑した視線でダニエルを睨んでいた。
更に、ジェームズは好々爺のような笑みが消え去った、厳つい表情でダニエルを沈黙を以って見据えていた。
ダニエルはそれらを感じると、多勢に無勢であるとすぐに察し、ローズに渋々と「楽しんでくれよ」とぶっきらぼうに述べ、肩身を狭くして後ろへと下がっていった。その際、小声で「スイの奴、なんで俺に何も言わずに出ていったんだよ」と愚痴っていた。
そうして、ようやく夕食の用意が終わると、1つ食べ始める前に「いただきます」とアリアが誰にも聞こえない声で感謝を述べてから、夕食に手を伸ばしていった。
今日の夕食は背が伸びそうな献立で、魚のムニエルに、ヒジキに似た黒くて細長い海藻が彩るサラダ、恒例の温ミルク、キャロットスープ、そしてメインのジャガイモの蒸かしが並んでいた。
発酵食品などのすっぱいもの以外にあまり苦手がないアリアは、ダニエルが作ってくれた料理を一つ一つ口にして、じっくり味わっていった。
そして、全部綺麗に食べ終えると、最後に何か一味足りない不思議な感覚と共に小首を傾げた。
けれども、昨日の夕食同様に、味わう分には至高の料理と思えたので、多分、男だった時の庶民的な料理に慣れた舌が、2日連続の貴族の食事に驚いて、そう感じさせたのだろうと一応の納得を持った。
一先ず、そう結論付けたアリアは、また「ごちそうさまでした」と誰にも聞こえない小さな声で囁いた。
そして、程よい感じでお腹が膨れたアリアは席を立ち、不貞腐れ気味のダニエルの下に向かい、素直な気持ちを伝えた。
「美味しかったです、ダニエル。あと、わたくし、ダニエルのご飯を食べることが、本当に、楽しみなのでまた作って下さいね」
と、笑顔で伝えてから、今日は何事もなく、平穏に歩いて食堂から出ていった。
ローズはそんなアリアの後ろに付いていき、ダニエルの前を通る時に「美味かったぜ!また頼むわ!」とふてぶてしい態度で伝えてから、堂々とした足取りでアリアに続いて食堂から出ていった。
アイツ何様だよ、とダニエルが少々イラついた時に、「パパ、美味しかったよ」と愛しいフウににこやかに言われた瞬間、ダニエルはローズの事などすぐに虚空にすっと飛ばして、「フウちゃん!!」とフウを抱き締めようとした。が、笑顔でひらりと交わされ、愛おしいセツに「変態だよ、父さん」と大変な侮蔑が込められたお言葉を浴びせられ、大層冷淡な目で睨まれた。
そして、ひらりとダニエルを交わしたフウは、そのままニコニコしながら、一切ダニエルに目を向けることなく、アリア達の後を追っていった。
セツは食堂を出るまで、ダニエルに蔑んだ視線をきつく向けていた。
愛する娘達に冷たくあしらわれたダニエルは、ジェームズと、爺さん、親父の2人だけが残る灰色の空間で、虚しさに一筋の滴を目から零していた。
フウとセツと帰る途中で別れた後、アリアはローズと一緒に部屋の前まで戻ってきた。
そして、もう、いつも通りに、新たな自分の部屋になりつつあるドアを開けて中に入った。
ドアを開けて部屋に入る直後、もしかしたら帰ってきたシオンが部屋の中にいるかもと、淡い期待を抱きつつドアを潜り部屋に入った。
しかし、部屋の中はしんと静まり返ったままであった。
一応部屋の中を見回していないかどうかの確認をしてみたが、やはり誰の影もない静寂に満ちたお部屋であった。
その最中に見えたベッドだが、先程散らかしたまま、布団が乱れた状態で残されていた。
スイもまだ帰って来ていない事が、そのことで理解できた。
アリアは静かな足取りでベッドに向かい端にちょこんと座った。
そして、正面を見ると、ローズがアリアを心配するように見つめていた。
アリアは、一度自分の座るベッドを一撫でしてから、誰にともなく呟いた。
「まだ、帰って来てないんですね」
実感の籠る感傷に溢れた言葉が、驚くほど冷淡な響きを以って口から紡がれていた。
シオン、スイの不在、その実感に感傷的な気持ちがアリアの胸の内から溢れた形であった。
心に溜まる寂寥感を零した後、アリアは更にベッドをもう一撫でしてから、ローズに顔を上げた。
そして、憂鬱な気持から切り替えるために、何かローズと話をしようとした時、偶然にも、部屋のドアがローズの顔越しに見えた。
そういえばと、転生初日からなぜか、主人公だったら美味しい場面でよく会うはずの誰かに、美容室の時以来、会っていない事にようやく思い至った。
その人物はシオンとスイと同じく夢の中で斃れていた事を思い出し、アリアはざわめく胸の内に、ローズに願う様な気持ちで静かに訊ねた。
「ローズさん、そういえば、タスキもいませんね。あ、タスキというのは、ここの使用人で、髪の毛が黒くて瞳も同じ色のフツメンの青年なのですが、ローズはそのタスキがどこにいるか知っていますか?」
そうローズに問いかけた後、アリアは内心でタスキについて思いを巡らせた。
(一応、ここの使用人だし、美味しい場面ばっかりに居やがる奴だけど、いないと何か寂しい感じがするし、昨日は一応ピンチを助けてくれた借りもあるしな。その後、お礼で変な要求をされたけれど、いないよりかはいた方が、まあ寂しくないし。・・・で、どこ行ったんだ、アイツ?)
そんな天邪鬼な事を考えつつ、ローズからの答えを待った。
ローズが一瞬、どいつだと悩んだ表情を見せた後、すぐに誰か閃いたのか、得心した表情をアリアに向けて口を開いた。
「ああ、あの坊主か。確かスイと一緒に馬車でシオンの下に向かって行ったのを見たな。突然スイに捕まって、露骨に戸惑った様子で御者を務めさせられて、お屋敷から出ていったけどな。お嬢、何かあの坊主に用があるのか?」
そう答えつつ、やけに険しい表情でアリアの表情を窺った。
(あの坊主、お嬢にちょっかいをかけてないだろうな!?)
帰ってきたら、少し問い詰めてみるかと脳裏で考えつつ、アリアの表情の変化を一寸の隙も無く、見据えた。
アリアはそんなローズの様子に全く気付かないまま、ローズの答えを聞いた瞬間から、表情が固まった。
(え!?タスキもいないのか!?)
そう思ってしまった瞬間、一旦落ち着いていた、不穏な予感が蘇って来てしまった。
アリアの表情が真っ青に染まっていった。
ローズはアリアの表情の変化を少しも逃さないと観察していた為に、すぐにその変化に気付くことが出来た。
「お嬢、どうしたんだ!?」
突然の変貌に慌てて、ローズが鋭く訊ねた。
「・・・、こんな偶然があるんですか?」
呆然とした表情でローズに訊ね返した。
「シオン、スイ、タスキ、・・・皆、・・・先程の夢で斃れていたのです」
アリアが何かを堪えるために胸を押さえつける。
「やっぱり、全ての元凶は、・・・わたくしなのですね」
痛みが酷くなる胸を抑えつけながら、ローズを仰ぐ。
「わたくしが、シオンを、スイを、タスキを不幸にしてしまっている存在なのですね。いや、すでにそんな存在でしたね。ははは」
侮蔑を含む嘲笑を自身に向けた。
自暴自棄に陥ったアリアは、自嘲を浮かべながらローズに軽い感じで訊いた。
「ねえ、教えて下さい、ローズさん。わたくしはどうすればいいのですか?・・・もう、皆の前からいなくなれば、いいのですか。これから先も、わたくしは不幸を周りに振り撒く最悪な存在になるのですから、ここで消えてしまった方が、もう皆の幸せですよね」
全てを投げ出し諦念を抱いた様子で、アリアがどうせなら、と何かを決意した悲愴な雰囲気を纏う。
しかし、そのすぐ直後、一転してアリアが爽やかな表情を浮かべた瞬間、ローズがアリアに向かい大声で叱責した。
「お嬢!!自分を粗末に扱うな!あたいはそういう人が大っ嫌いなんだよ!」
そう大声でアリアを叱りつけると、アリアの両手を取った。
「たかが夢だろう!シオンの奴が死んだなんて思うな!スイ姐さん、タスキの坊主も同じだ!在りもしない幻想に囚われるなよ、お嬢!そして、自分がいなくなればなんて思うな!それこそ、シオンの奴やスイ姐さん、その他の屋敷の皆を不幸にしちまう。だから、お嬢、もう一度自分の身を顧みて、お前がどんなに皆に愛されているかを感じろ!」
ローズがアリアの腕をガッチリと掴んだ。
「バカな考えは捨てろ!大丈夫だから、みんな無事に帰ってくるからな!それまでは、あたいがずっと傍にいてやるからな、お嬢!」
ローズに熱く諭されたアリアであったが、薄暗い気持ちに憑りつかれたまま、弱々しい表情でローズを仰ぎ見た。
「うう。でもどうして、こんなに巡り合わせが悪いんですか。あのような悪夢を見た後に、会いたいと思った人達が皆いないんですよ。何か良くない因果がわたくしには、巡っているんですよ」
「ああもう!お嬢、そんな巡りなんて長く生きてりゃ、大なり小なり何度かあるさ。お嬢はまだ若いから経験が少なくて実感が湧かないかもしれんが、後で顧みればあれがそうだったのか、ぐらいはあるだろうさ。だからこそ、今はそんな不確かな懸念に揺らぐんじゃなく、お嬢自身の確固たる意志で、シオンの奴とスイ姐さん、それとなんだっけ・・・、ああ、タスキの坊主を信じて待つのが、主としての務めだ。夢なんかで、現実を見るなよ!!」
更に不安に揺れるアリアに、猛然と熱く説教を決めた、ローズ。
そして、ローズは握っていたアリアの手を離してから、アリアの頭を撫でて、もう一度、聞き洩らさないよう、気持ちを込めて、声高に伝えた。
「あたいは、お嬢が寂しくないように、傍にいてやるからな!あたいの胸はそこまでちっさくねぇぜ、お嬢!!」
そのローズの人情厚い、熱く滾る気持ちが落ち込むアリアに届いた。
アリアは、その瞬間、今まで考えていた諦観を捨てた。
心で、くよくよする弱気な気持ちに、けじめを付けていった。
(そう、たかが夢。起きれば消える泡沫の夢。俺は、・・・夢幻に怯えるのではなく、確かにここにある今現実を信じて、シオン、スイ、あと、タスキを待つ!!)
自身を新にしたアリアは、ローズに倣った強かな意思を宿した瞳で、慰めるように撫でてくれているローズを見上げた。
「はい!ありがとう、ローズさん!」
そうきっぱりと伝えて、笑顔を見せた。
その表情には、もう思い詰めていた頃の憂いは一切消え去り、屈託のない晴れやかな笑みが浮かんでいた。
それを見たローズも屈託なく、大きな笑みを咲かせた。
「そういう表情の方が、あたいは好きだし、シオンの奴も大好きだと思うぜ!」
「そうですかね」
褒められて、アリアはほんの少し頬を朱に染めて綻んだ。
そして、少しの間、表情を綻ばせた後、一度膝を見つめた。
(こんなことを言って、子供っぽく思われないといいな)
心の中で葛藤すること数瞬、思い切って頼んでみようと、ローズの顔を正面から見上げた。
見上げてローズの顔が見えた途端、やっぱり止めようかなと内心で躊躇しかけた。が、頼んでみると決めたんだからと、自分を鼓舞して、喉元に留まっていた言葉を思い切って伝えた。
「あのう、お願いがあります、ローズさん!」
「おう、何だ?それと、ローズで良いぜ、お嬢」
「え!?あの本当に、その様に呼んでも宜しいのですか?」
「勿論よ!どんと来い、お嬢!!」
ローズの提案に、一瞬戸惑いを見せたアリアであったが、続くローズの気持ちのいい程のさっぱりとした物言いを受けて、心を決めた。
「ではその・・・ローズ、わたくし、お屋敷の前でシオン達を待ちたいのですが、いいですか?」
「ああ、いいじゃないか!それこそ、シオンが大喜びで飛んで戻ってくるぞ!」
にこやかにローズが返した。
アリアはそれを確認すると、躊躇いながらも、もう一度懸命に口を開いた。
「・・・あの、一緒に外で待ってもらってもいいですか。やはり、独りだと怖いので」
ちらりと上目遣いで、ローズを窺った。
ローズはそんな恥ずかしそうにするアリアに、何も問題はないと、きっぱり堂々と答えた。
「おうおう、いいぜ。そんじゃ、行くんだろ、お嬢!!」
「はい、お願いします!」
アリアは、ローズのさっぱりとした返事に明るく返した。
そして、いつの間にか深く腰掛けていたベッドから勢いよく立ち上がると、少し立ち眩みに襲われる失敗をしつつも、ローズと一緒に部屋を出た。
お屋敷の正面に向かう廊下で、ローズを見上げてついつい言い訳じみた事を話していた。
何を言っているのか、途中で分からなくなったが、アリアは兎に角必死に言い訳じみたと本人が思っている話を語っていった。
「ローズ、わたくしは心細いからこうして頼んだのではありませんからね。やはり、子供がこの時間に外で、一人で待つのは世間的に宜しくはありませんし、極めて低い可能性ながらも、誘拐の危険性が排せない以上、状況的考察から導き出された合理性に基づいて頼んだだけですからね。決して!!1人が寂しいからではありませんよ!!そこのところの勘違いを起こさないよう十分に留意して下さいね。えっと、それから、やはり主としては、自身の従者を信頼して待つのも、1つの大切な努めであると思考による帰結を経てから導き出した答えですからね。・・・最後にもう一度大切なので申しますが、決して、独りが、心細くて、怖いのでは、ありませんからね、ローズ!!」
なぜか熱い顔でそう熱弁を振るい、ローズに言い聞かせた。
ローズは何かを堪えるような笑みで、「わかったぜ」と返した。
アリアは、何故かローズの胸しか見られない状態で、顔を物凄く熱くして、静かにローズ側の腕を上げた。
「ローズがどうしてもと仰るのであれば、わたくしの手を握っても宜しいですよ。それと、もしもの事を考えて、手を握っていた方が何かと良いことがありそうな気がしますし、どうですか、ローズ」
(これはご令嬢に転生したから誘拐されたら、不味いと思っての行動だから!俺自身の本来の賢明な思考とは隔絶した思考だからな!身体が少女になってしまったので、あらゆる可能性を考慮した結果の最善手を選択したにすぎない事だから。大丈夫だぞ、俺!)
灼熱の中にいるように身体の芯まで熱いアリアは、内心で理論武装を施した後に、懸命に手を上げてローズを待った。
「仕方ないな。そう言われたら、あたいはお嬢が誘拐されないように握るしかないよな」
湯気が出そうな程、真っ赤なアリアの頬を苦笑交じりに見つめ、そう返してから、殊勝にもアリアが差し出している手を握った。
ローズが握った瞬間、アリアの身体がビクッと一瞬震えたが、その後は何事もなくアリアからもローズの手を握り返した。
正面への道すがら、アリアはお姐さんに手を引かれて嬉しそうに口元で弧を描いた。
ローズは、アリアの小さい手を握りながら心の中で呟いた。
(本当に変わったな、お嬢)
ローズも口元に弧を作り優しい視線で隣を歩く小さなアリアを見つめた。




