第96話:俺は絶対に忘れないよ(4)
新品のローソクに誰が火をつけるか、一体誰がと考え込むアリアの前で牽制し合うメイド達一同。不穏な空気が各々の間を流れる中、刹那、皆の背筋に悪寒が走った。鋭利な刃で心の臓を一突きされた様な気配がどこからか届いたのである。
だからこそ、そこからは早かった。手早く和睦し終わると、後腐れなく公平なじゃんけんで決めようとなった。ここでも奇跡の様に素早く勝者が決まり、一回の勝負で見事、天国から戻ってきたシオンが勝利を手にした。
決め手のチョキを天高く掲げ、全力ガッツポーズも決めたのち、いざローソクに火を点けようとした時、ローズが冷静な声でシオンを制止した。
「止めとけ、シオン。ケーキが数時間は食えなくなる」
尋常ならざる気合と共に、できるできると暗示のような言葉を繰り返し、魔法を唱えようとするシオンはその言葉に虚を突かれた様に、ローズに視線を送る。
「いや、出来ますよ!!気合が全てを可能にするんですから!!」
「いや、シオン。冷静に考えてみろ!もしお前がここで魔法を使うとする。その後、ケーキはどうなってると思う」
「食べ頃になってますよ!!」
そう自信満々にシオンが言い終わると、ケーキに何某かの魔法を異常な気合と共に掛けようとする。
ふぅ、さあ行くぞ、みたいにケーキをシオンが見据えた瞬間、ローズが素早く辺りに目配せし、自分を手伝ってくれと救援を募った。
刹那の間に応えた幾人かが、ローズと一緒にシオンに飛び掛かった。
「あ、ちょっと、何するんですか!!」
「あたい達は今、ケーキを食べたいんだよ!!」
『メイド長、申し訳ございません!!これもお嬢様の誕生日ケーキを守る為ですので!!』
数瞬の攻防の末、完璧にシオンを抑え込んだローズ達が、早くケーキが無事なうちにローソクに火を点けろと吠える。
それを受けて残った面々が迅速に誰が点けるのかを立候補制で決め、一番最初におずおずと手を上げた、新たにこのお屋敷に加わった5人の少女の内の1人、キャロルに決まった。残りの4人の少女達、メープル、オリゴ、ラプシュ、スウィーミは、果敢に立候補した彼女に惜しげもない拍手を贈った。
キャロルは狙いを定め、己の内に一気に12本のローソクに火を灯すイメージを完成させると、自己流の簡易版詠唱を唱え始めた。
「火の精霊さん、どうか私の心に浮かべた心象を今、この目の前に再現下さい。・・・焔・・・」
詠唱というよりもお願いみたいであるがそれでも、孤児院で教わった基本に忠実に魔法を行使した。
すると、ぽぁっと柔らかく火が灯った。
シオン達の騒ぎで思考状態から現実に帰ってきたアリアは、目の前でローソクに火が灯る現象を目にし、そして、歓喜した。
元の世界の物理法則では決してあり得ない、突然ローソクに火が生まれ、灯る現象は何度見ても感動し、魔法が身近にあることを実感することができた。
「すごいですね」
素直な称賛が口を突いて零れるのも納得である。
そして、純粋な尊敬の眼差しをキャロルに送る。
それらを向けられたキャロルは照れたようにはにかみ、「普通ですよ」と謙遜して俯いてしまう。
そんなキャロルの反応にあまり目を向けていても悪いと思い、魔法で火が灯ったケーキに視線を戻した。
ゆらゆらと揺れる魔法で灯ったローソクの火を眺めていると、内心に強い憧れといずれ自分もとの沸々湧き上がる意志が生まれた。
だからこそ、こうして何の因果か異世界に来られたので、自分ももっと努力し、せめて今使える火の玉もどきを今以上にぶっ倒れないで使いこなせるようになろうと、意気込みを確かなものとしたのであった。
どの世界でもイメージできないことができるはずがない。
唯一使える火の玉もどきを自由自在に操る自身を強くイメージし終わったアリアは、魂の抜けたようにぼうっと空虚にローソクを眺めているシオンに視線を向けていった。
シオンがローソクの火を点けるから始まり、ローズ達が必死になってそれを止めたごたごたは、何となく熟考中のアリアにも聞こえていた。
だから、こうなった訳も正確とまではいかずともそれなりに理解している。
アリアはそこまで皆が慌てふためくほど魔法がダメなご様子のシオンに親近感を覚え、同族意識から不謹慎かもしれないが口元に小さく笑みを浮かべた。
そして、疲れ切ってぐったりしているローズ達にケーキを守ってくれてありがとうとお礼を伝えた後に、未だ魔法が下手?らしい何だか可愛く見えてきた愛すべき駄メイドのシオンに声を掛けていった。
「シオン、大丈夫?」
一応心配もしているのでそうアリアが問いかけると、すぐにアリアの声に反応したシオンがばっとアリア方に顔を向けると、「お嬢様~~!!」と一気に魂を身に収め直して、マジ泣きで抱き着いてきた。
予めそうなるだろうと予想していたアリアは椅子から移動し、シオンの前に屈んで呼び掛けていたのであった。
勢いよく胸に飛び込んできた愛おしさすらも抱かせるポンコツメイド、シオンを受け止めると、よしよしと頭を撫でながら、何があったのかをママの様に優しく問いかけていく。
「シオン、どうしたの?」
「うう~お嬢様、ローズのせいで。ローズのせいで、ローソクに火をつけられませんでした」
「あらあら、それは可哀そうねシオン」
優しく語り掛けなでなでと頭を撫でてあげると、子供の様に素直に「はい」としょぼんした声でシオンが答えた。
そんな悄然とするシオンに父性?母性?が刺激され、より穏やかな笑みを湛えて、よしよし慰めているシオンに声を掛けていった。
「ローソクの火は残念だったけど、わたくし、シオンに頼みたいことがあるの?」
「ずびずび。どのような事でしょうか、お嬢様」
「シオンと一緒にケーキを食べたいなって、考えているの。このお願いを聞いてくれるかしら、シオン」
もうお母さんの心境でそうアリアがシオンに問いかける。
すると、1秒も開けずにすぐにはっきりとした返事で答えた。
「はい、お嬢様!・・・・・ううう、アリアお嬢様はお優しいですよ~~~」
感極まったらしいシオンがアリアの胸の内でそう言ってくれる。
その気持ちは非常に嬉しいもので、まだもう少しシオンを構っていてあげたい気もするのだが、シオンを胸に抱き留めたままチラリと視線をケーキに向ければ、火が灯るローソクが目に入る。
同じ轍を踏んで、またローソクを無駄にしてもいけないし、この火は新しく家族になってくれたキャロルの点けた大切な火なので、絶対に消させる訳にはいかなかった。
そこでアリアは、「シオン、早く一緒に食べましょう」とシオンに声を掛けて、大きな娘を空いているローズの席と反対側の自分の隣に座らせた。
そして、ようやく待ちに待ったアリアの数日遅れの、久しく開催していなかった誕生日会が始まっていくのであった。
疲れてへたり込んでいたローズ達もアリア達に続いて席に戻っていく。
他のこの食堂に集まった面々も席に着くと、一拍置いて食堂の明かりがぱっと消えた。
その瞬間、夜の闇が一気に食堂を満たす。
けれども、その満たされた宵闇の中、ケーキのローソクに灯った灯がゆらゆら揺れながら、食堂に集まった皆の顔を橙色に優しく照らす。
淡い光で隣の人の表情も薄っすら見えるか見えないか、そのような儚い明かりの中でも、そこに集った皆は隣の人の顔をはっきりと認知していた。皆穏やかで温かみのある表情をしている、それをしっかりと感じていた。
確かに今までいろいろとあった。突然、温厚であったアリアが我儘になった。辛い日々にもなった。会いたくないし、辞めたいとも思ったが、でも、そうすれば、外での過酷な人生が待っている。仕方がないと耐えるだけしかなかった日々。
今ももしかしたら、心の奥のさらに奥、その深淵には、アリアを憎む気持ちが必死に探せば、微細な塵芥ぐらいなら見つかるかもしれない。
でも、そんな気持ちを探す気など毛頭ない。もし意図せず見つけてしまっても、箒とちり取りで掃いて捨ててしまえばいい。
だって、もう諦めていたあの優しくて、皆を慈しんでくれたアリアが返ってきたのだから。
それに、このお屋敷で昔から仕えている者は、皆自分たち以上に辛い日々を過ごしていたアリアの姿を知っているので、見捨てることなど出来なかった。
ありとあらゆる思い、恐らく万感を抱きながら、この久しぶりの催し物に相応しい歌を、捧げる。
アリアの耳に誕生日を祝う皆が奏でる歌が聞こえた。
でも、アリアにはこの曲が本当に誕生日に歌う歌なのか、分からない。雰囲気で推測するしかない。
それでも、この曲はこの異世界での誕生日を祝う歌であると、この身体が教えてくれた。
そして、知らないはずなのに、心が弾む気持ちの中、いつのまにか皆に続いて、歌っていた。
歌う中、何だか郷愁、いや遠い過去を思慕する哀愁が湧き上がって来る。
アリアは胸に両手を重ねて、湧き上がってきた感傷を受け止める。
きっと身体が、魂が、寂しがっているのだろうと思って。
目を瞑り身体に身を任せ、現代とはまた趣の異なる、この歌を最後まで皆と歌い、そして、小さく揺れる薄ぼんやりと灯るローソクの火を今度は、一息で吹き消した。
フワッと煙がローソクから立ち昇ると同時に、食堂に集まった皆の声が一斉に上がった。
『アリアお嬢様、12歳のお誕生日おめでとうございます!!』
ワッと上がった歓声が納まると、今度は割れんばかりの拍手が食堂中に響き渡っていった。
「皆、ありがとう!!」
その溢れかえる拍手の音に負けない様に声を張り上げて、アリアは先程は言えなかったお礼をシオン達皆に気持ちを乗せて伝えていった。
そうして、今度こそは誰一人表情を曇らすことなく、明るく弾んだ空気の中、テーブル上にドンと置かれていた大きなケーキがダニエルによって切り分けられていく。
アリア、フウ、セツ、それに、このケーキの製作に携わったキャロル達5人は、食べ応えがありそうな特大サイズに切り分けられ、食べきれるかの心配をしてしまう。
その一方、大人達はどうやって切ったのか謎であるが、慎ましい長方形の棒ケーキに切り分けられた。
アリア達の前に丁寧にジェームズが大きく切り分けられたケーキを並べていく。しかし、その傍らでは、女性陣の真剣な、サイズの吟味が行われていた。ダニエルの超絶技巧により完璧に同じサイズに切り分けられているのだが、それでも微かにだがお皿に乗せられ、テーブル上にずらりと並べられているケーキのサイズに差異があるように感じられるのだ。
なので、そこから、女性陣達の真剣で熾烈な争奪戦があったのだが、その様は割愛とさせて頂く。
色々とあり全員にケーキが行き渡ると、この誕生日会最後で最大の締めが始めった。
女性陣はそれぞれ悲喜こもごもの表情を浮かべケーキを口にし、一瞬でその表情を笑みに崩していく。一方、男性陣は余りの苛烈さを目にしてしまったためか、委縮したように隅に集まり、ちびちびと平和の尊さと共にケーキを味わっていった。
アリアはのんびりケーキを味わいながら堪能しようと考えていたのだが、両隣をフウとセツが占拠し、自分達のケーキを食べる事よりも、可愛い妹にケーキを交互に食べさせていく状況になっていた。
「ヒメちゃん、お口開けて。ほら、あ~ん」
「あ、私のも忘れないで。フウねえ、次は私の番だよ。ほら、ヒメ、あーん」
代わる代わる忙しなく食べさせられるが、別に嫌ではなかった。
一方、フウ達と同じように愛するアリアにあ~んさせようとケーキ争奪戦線に参戦したシオンであったが、望み通りケーキを過酷な戦場を執念で並みいる強敵から勝利し持ち帰った時には、既に夢想した光景が広がってしまっていた。
夏草や 兵どもが 夢の跡
最早、間に割り込むことも出来ない楽しげな空気に、空いているアリアの正面の席を目指した。
そして、隣に着いたローズのケーキを無言で奪い、口一杯に頬張ると、激怒したローズに己がケーキを奪われ、そこから互いのケーキを食べ合う光景が広がった。ある意味で、食べさせ合う、一時の夢に似た物になったかのようであった、シオンであった。
アリアはフウとセツに食べせられながら、そんなシオン達の呆れ模様から視線を逸らし、食堂内を見渡す。
ここには今、穏やかで温かみのある空気が満ちている。
そんなことをしっかりと風景から感じ取ったアリアは、セツに甘い真心のこもったケーキを食べさせてもらいながら心の中でそっと呟いた。
(こんな穏やかな日々がこれからも続けばいいな)
アリアはもう一度幸せな味がするケーキを今度はフウに食べさせてもらいながら、再び視線を巡らして心中で口を開いた。
(ありがとう、また、わたくしをお祝いしてくれて)
にっこり穏やかな笑みを浮かべてこの光景を心に刻んでいった。
そして最後に呟いた。
(お誕生日おめでとう、アリア)
口元を柔らかく曲げながら、きっといつまでも忘れられない大切な光景をケーキの甘さと共に味わっていくのであった。




