5
時系列が最初に戻ります。
路地に溢れる人々に、通路を妨害された人や近隣の店から通報が入ったのか警察が駆けつけてきたのはすぐで。
解散を叫ぶ警察が、人並みを超えてこちらに向かってくる姿に、素早く踵を返す少女を追いかけたのはもはや反射だった。
ギターケースを乱暴に閉じて引っ掴み、遠ざかる少女の華奢な背中を追いかける。元々楽譜は暗譜派だし、ギターの他の荷物は財布と携帯くらいしかないから身軽なもんだ。
「きみ!待ちなさい!!」
背後から叫ぶ警察の声に悪いけど足を止める気は起きなかった。
面倒だし、何よりそんなことしてたら彼女を見失いそうだ。
なんでこんなに必死に追いかけてるんだろう、とチラリと頭にかすめるけれど、それは捕まえてから考えよう。
そうして、本気で追いかければ、荷物というハンデがあっても足の速さは歴然としてて、伸ばした手がどうにか華奢な肩を捉えることができたのは、割とすぐのことだった。
「や!痛い!離して!」
少女の高い声が細い路地裏に響く、けど。
しっかりと掴んだ肩を離せなかった。
「いや、だって離したら逃げんだろ?!」
叫び返せば、びくりと小さな体が竦む。
見上げた大きな瞳がみるみる潤んでいくのに、心臓がヤバイ音を立てた。
「いや、待て!泣くな!なんもしない!なんもしてないだろ?!」
焦って叫ぶが、手の力は抜けない。だって、少女の体は硬く緊張してて、手を離した瞬間にまた走り出しそうだったから。涙で潤む瞳は、それでも油断なく俺の様子を窺ってた。
不意に脳裏に小さい頃に捕まえた小鳥の姿がよぎった。
怪我をして道端に落ちていた小さな小鳥。
そっと両手で救い上げた途端、手の中でバタバタと暴れてすごく焦った。
ギュッと力を入れたら、硬くなって大人しくなったから、死んでしまったかと思って慌てて手の力を緩め覗き込んだ瞬間、パッと飛び立ってしまったんだ。
その後、塀の向こうの民家の庭に落ちて、そこの住人に突撃して保護してもらったっけ。
そんなことを思い出していたら、上がっていた呼吸とともに意識も落ち着いてきた。
そうだ、大声出すなんてらしくない。
落ち着け俺。これじゃ幼女を拉致しようとする変質者だ。
「お金。きみの取り分取ってないだろ?受け取ってよ」
ふと思い出してギターケースを掲げてみせる。
酔っ払いがボチボチ増えてた時間帯は財布の紐が緩んだおっちゃんが多かったのか、コインだけでなく紙幣も結構投げ込まれてた。
と、少女の瞳が迷うように揺れた。
(ビンゴ!)
季節外れの薄着にまるで折れてしまいそうなほど細い手足。普通なら出歩いていない不自然な時間にたった1人で立つ少女。
訳ありなのは一目瞭然で、ズルイ手だけど、少女の気を引くには十分なネタだったみたいだ。
「俺の名前は嘉瑞。カズでいい」
「…………睦月」
ポツリと答えた少女の体からずっと力が抜けた。
と、静かになった路地にグルグルグルゥ、となかなかな音が響いた。
「………飯食いにでもいくか。なんか奢ってやるよ、睦月」
微かに頬を染め俯いた少女の顔がパッとあがって、逡巡の後、コクリと頷いた。
ムグムグと口いっぱいにオムライスを頬ばる睦月を、コーヒを飲みながらぼんやりと眺める。
少し寂れた喫茶店は夕飯のピークをとうにすぎた時間で、まったりとした空気が漂っていた。
そんな中、幼い少女を連れた俺はどう映るのかな?って考える。
エンコウ‥…には年がちぐはぐだし、せいぜい歳の離れた兄妹か。まさか親子には見えてないよな?
嫌な考えに眉をしかめ、首を横に振る。
しかし、必死に飯をかき込む姿は幼くて、さっきの歌っていた姿の面影もない。
まさしく欠食児童。
細すぎる手足は今時少女の美意識とやらではない事はこの姿を見れば一目瞭然だった。
「盗りゃしないからゆっくり食えよ」
少しの呆れた気持ちと共に、頬についた米粒をおしぼりで拭いてやる。
と、スプーンを持つ手が止まり、チラリと視線が投げかけられた。が、次の瞬間には再び手が動き出す。
余計なお世話、ってか?
ようやく皿の上を空にして、睦月は満足そうなため息をついた。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせてペコリと頭を下げる様子に、少し目を見張る。
意外に礼儀はなってるようだ。
「睦月、歌上手いな」
食後のジュースを頼んでやれば嬉しそうに顔が綻んだ。ところで唐突に切り出してみる。
「よくこうして歌ってるのか?」
「…………………うん」
長い沈黙の後、少女は小さく頷いた。
「でも、初めて会ったよな?俺よくあそこらへんで歌ってんだけど」
「…………最近、ここに来たの」
「引っ越し?」
再び、睦月がコクリと頷く。
バンド活動中も俺は暇があれば練習と度胸づけのためによく街角に座ってたから、それなりにこの町では古株だったりするのだ。
そうゆう、「泥臭い」所も元バンドメンバーには気に入らなかったみたいだけどな。
だから、睦月みたいな女の子がいたら、俺の耳に入ってこないのもおかしな話で、引っ越ししてきたばかりなら、納得もいく。
それと同時に、ここ数年音楽仲間で話題になっていた少女を思い出した。
「睦月、よく引っ越しするのか?」
コクリ。
「いく先々で今日みたいに歌ってる?」
コクリ。
「マジか〜〜」
思わず天を仰ぐ俺に、睦月が驚いたように目を見開いて見つめてくる。
が、運ばれてきたリンゴジュースにすぐに意識を奪われていた。
コクコクと幸せそうにジュースを飲む睦月の様子に少しほっこり。
しながらも、目の前の「都市伝説」にどうしたものかと考える。
『放浪のちび歌姫』
ここ3〜4年、音楽やってる奴らの間で密かに話題になっている存在のことだ。
年齢不明。名前も不明。
小さな女の子が、昼の街角や夜の繁華街、時間も場所を問わずふらりと現れて、その場にいる路上ミュージシャンとセッションしては去っていく。
その歌声は幼い容姿に似合わず巧みで、魂を奪われる美声の持ち主。
不思議なことに北から南まで短期間で移動したりするため、正体は旅芸人一家の子供ではないか、とか、実は実体のない幽霊か妖精なんじゃないか、なんて言われてる。
(まさかの欠食児童だったよ。金の話で釣れたって事はメシ代稼ぐため………か?)
妖精どころか下手したら虐待児童だった現実に目眩を覚える。けど………。
「…………母ちゃん、好きか?父ちゃんは?」
「…………おとうさん、いない。お母さん、すき」
途端にジュースに向けられてた顔がパッと上げられた。
真っ直ぐな視線が射抜いてくる。
「お母さん、優しいよ!ちょっと忘れん坊なだけで。睦月はもうすぐ10歳だから、1人でも大丈夫なんだよ!」
「ちょい待て、10歳?!マジで?!チビすぎだろ!」
必死の様子で母親を擁護しようとする言葉よりも先に、もっと衝撃的な言葉に意識をとられて思わず立ち上がり大声をあげてしまう。
途端に少ない客から「何事?」という視線が飛んできて、慌てて頭を下げてから腰を下ろす。
その様子に、睦月はムゥっと不満げに唇を尖らせた。
「本当だもん。櫻井睦月小学四年生です!」
読んでくださり、ありがとうございました。
ようやく2人がメインの話へとスタートです。