第七十三話 亡郷(5)
自分を襲ったのが、自分のところのメイドだと知ったレッドは、一瞬呆然としてしまう。
その隙に、組み伏せられた態勢のまま、キャリーはレッドの腹を蹴りつける。
「ぶっ……!」
腹に喰らった痛みに思わず彼女の体を自由にしてしまい、キャリーはレッドから離れる。あちらも、自分が襲おうとしたのがレッドと知り、かなり驚いているらしい。
「あ、あんた……なんで生きてるの!?」
「……さっきも聞いたな、それ」
ゲホゲホと咽つつも、そんなことを答える。どうやら彼女らも、レッドが死んだと聞かされていたようだ。
そんな事をしていると、他にもメイドたちが何人も集まってきた。全員、ボロボロではあるがメイド服を着ていた。
そして、全員の服にべっとりと血の跡が付いていた。
「――お前らか?」
「ああん?」
兎耳を生やした一人――確か、ルイザという名だったか――が、一応の主人にとは思えない態度で応じた。高価な酒瓶を片手にしているので酔っているのだろうが、当然そんなものをメイドが飲んでいいわけがない。
「お前らが、アリーヤたちを殺したのか?」
そう、レッドが気付いた違和感の正体。それは、
殺されていたメイド全員が、人族だったという事である。
あの殺し方は、森を縦横無尽に飛び回り、獲物を喰らって仕留める亜人の戦い方にも酷似していた。
そして今、こうして亜人族のメイドたちが生きた姿で、しかも血みどろの姿で揃っているということは、結論は一つだろう。
「はっ!」
ところがそんなレッドの問いに、酔ったルイザが吐き捨てるように言ったのは驚きの返答だった。
「こいつらが悪いのよ! こいつらが、あたしらを売ろうとしたから!」
「は……?」
売ろうとした、というおかしなことを言われた。何のことか分からずつい聞き返してしまう。
「売ろうとしたって……なんだそりゃ」
「こいつらはね、ここに押し入ってきた騎士たちにあたしらを差し出したのよっ! 薄汚い亜人だけど若いから体は使えるだろうってね!」
酒をラッパ飲みしつつ、怒りの表情で唾棄するように話すルイザの瞳は、憎悪で赤く血走っていた。
内容から察するに、恐らく起こったことはこうだろう。
ここに押し入った近衛兵共が最初にしたのは、衛兵や男の使用人たちへの虐殺なのは間違いない。一人残らず殺した時、次に目に入った得物は当然女だ。ケダモノと化した彼らに、良識などある訳が無い。
屋敷を守る衛兵も失い、残ったメイドたちは逃げることもままならない。彼女らに残った道は、そのまま恥辱の限りを尽くされるだけだったろう。
それでもなんとか助かりたかったアリーヤたちは、自分らと敵対している亜人族のメイドたちを襲わせようとしたに違いない。野獣に他の餌を与えて、自分は食べられないようにするのと一緒だ。
「――そんなもん、聞き入れる訳ないだろ」
「ああそうだよ、あいつらも同じく襲われたさ!」
だが彼女らの前に立った野獣は、人の言葉が通じるような輩ではなかった。それが女と知れば、人族だろうが亜人族だろうが構わず平等に食い散らかした。アリーヤたちの暴行された跡を見れば、その結果は一目瞭然である。
「それで……奴らが居なくなった後、どうしたんだ?」
「見りゃわかるだろ、ぶっ殺してやったよ!」
「――そうか。売られたから殺したのか?」
「んなわけあるかっ!」
彼女は怒気を荒らげて、酒瓶を投げ捨てる。そこには、積もり積もった長年の憎悪があった。
「こいつらあたしら亜人を徹底的に差別しやがって、掃除洗濯あらゆる仕事を全部押し付け自分らは贅沢三昧さ! 家から盗んだ金でね! おまけに給料まで天引きして、あたしらの金で遊んでたんだぞ!」
「――なら俺に言えよ」
「人族があたしらの話聞くわけないだろ! それに、これが大貴族の屋敷じゃ当たり前なんだろ、ああ!?」
なわけあるかと言いたかった。どうも、レッドが横領した使用人を叩き出した話を知らないらしい。
まああの話は極秘に処理したので、領地におけるレッドの評価など「気まぐれで使用人を大量解雇したクズ領主代行」くらいにしか思われていないのは何となく知っていたが。
しかし、アリーヤたちが給料を横から掻っ攫っていた事実は知らなかった。こちらに滞在している間書類などにも目を通していたが、何しろ普段領地経営を担当している代官も当然人族なので、改ざんされても気付かないだろう。これは完ぺきに自分の落ち度だと悔いた。
「特に一番嫌いなのは、あんたよ、この変態領主代行!」
「……ん?」
なんかさっきも似たようなことを言われた気がする。どうも今日はデジャヴが多い。
「なんで、俺?」
と聞いてみると、さらに逆上に罵声を放つ。
「ふざけんな、この変態野郎! あたしらをペット目的で飼いやがって、お前に抱かれるたびあたしらがどんだけ屈辱だったか分かんねえのか!」
「……俺は一度も抱かせろなんて迫ったこと無いし、そっちから誘ってきたんだろ」
「何言ってんだ! お貴族様が亜人雇う理由なんて愛人以外あり得ないでしょ! そんなもん、みんな知ってんだからね!」
ああ、と納得する。
恐らくアリーヤたち――いや、多分亜人の村でも、そのように教え込まれて育ったのだろう。アトール王国での亜人は、一部を除いてほとんど人間扱いされないことが多い。そのアトール王国の貴族に雇われるとすれば、ペット扱いと考えるのが自然。そう昔から教えられてきたのだ。だから、無理無体に犯されて酷い目に遭うより、抵抗せず自分から捧げた方がマシと思ったに違いない。
これは、レッドが指導をアリーヤたち人族のメイドに任せたことから起きた齟齬だった。ただでさえ亜人嫌いなのに、恐らく自分らには一切手を付けないレッドが、気に入らなかったのだ。だから亜人を雇うと言い出した際、愛人目的だと下衆な勘繰りをしたに違いない。その嫉妬が、より扱いを悪くした。
「――そんなに人族が嫌なら、そもそも雇われに来るなよ」
「馬鹿言うな、あたしらだって雇われる気なんか無かったよ! あの日は泥棒しに来たんだっ!」
ああ、とまた納得してしまう。
要するに、彼女らは屋敷の使用人が半減したと聞いて、隙があると思って忍び込もうとしたのだろう。求人募集に来たのは、単なる囮役。まさか本当に採用されるとは、思っていなかったから心底驚いだろうなと鼻で笑った。
それで、その後も他の亜人たちを連れてきて雇わせたのは、まあ屋敷内での立場を強めるためと、結局この屋敷が一番給金がいいからと思われる。いくら天引きされていたとはいえ、亜人にここまで賃金を払う雇い主などこのカーティス領にはおるまい。
「……はぁ」
なんてため息をつくと、より彼女たちを激昂させたらしく、皆が口々に罵声と悪態をつき始めた。変態だの外道だの好き勝手言ってくる。
――ウザい、こいつら。
正直言って、不愉快だった。
確かに不遇な目に遭っていたのは事実だろうが、それなりに利益も享受して良い思いもしてきたはずなのに、勝手な邪推で一方的に憎悪し、罵倒してきているのだ。特に体を預けたメイドには個別で金品を与えてもいたのに、勝手に凌辱されただの恥辱的な目に遭っただの言われては不快にもなる。
そんな、理不尽な良い様に腹立ちを覚えたレッドは、
「――悪かった」
と、その場で頭を下げる。亜人たちは、キョトンとしてしまった。
「言う通りだ。全部、ちゃんと管理できていなかった俺が悪い。領地の事を放っておいたこともな。だから、ここで謝らせてもらう。すまなかった」
そう謝罪するレッドの胸中には、今目の前にいる彼女たちだけでなく、サーブやアリーヤたちなど他の人間の顔も浮かんでいた。
結局、全て自分のせいなのだ。自分の不眠症のことしか頭に無く、メイドにも飼育員にも、誰のことも気にせず距離を置いていた。無用な諍いの種をばら撒いて、放置していたのは他ならぬレッドなのだ。
だから、この惨状は誰でもない、自分が起こしたことなのだ。そんな思いを込めて、レッドは頭を下げた。
しばらく固まっていた彼女たちだったが、ある時ルイザが震えた声で、
「――ふざけんなよ、テメエ」
そう怨念の入った声で言うと、床に落ちた酒瓶を拾い、右腕で酒瓶を振り上げて、
「こちとら触られるどころか声聞くだけでも吐き気するんだよ、このクソ貴族がぁっ!!」
などと叫び、下げられたレッドの脳天に酒瓶を叩きつけようとした、のだが、
シュッと黒い影が通ったと思うと、彼女の右腕はポトリと斬り落とされた。
「……え?」
最初、何が起こったか分からなかったルイザだったが、落とされた腕の切断面から大量の出血がすると、絶叫する。
「――さて、謝罪は終わったぞ」
そう言って、血を滴らせた魔剣を片手に、レッドは立ち上がる。
「お前らの境遇は分かったが、やり過ぎだろこれ。全員嚙み殺しやがって。これ以上やるってんなら――容赦はしない」
そう、静かな怒りを込めた瞳で睨みつけると、メイドたちは震えあがる。しかし、下がろうとはしなかった。それに対し、レッドは魔剣を突き付けて再三警告する。
「今すぐここから消えろ。さもなきゃ、こいつで斬り裂かれるか――」
と、そこまで言おうとしたところ、
ボトリと、何かが落ちる音がした。
「……え?」
何の音か、と皆が振り返ると、そこにはキャリーが顔を血まみれにしていた。
いや、正確には血まみれになったのではなかった。
「キャリー……お前、アゴ、取れたぞ……?」
レッドが、信じられない物を見る目で恐る恐る告げたところ、
キャリーの取れたアゴから、黒い靄が大量に噴き出した。
「んな……っ!?」
レッドが仰天する間もなく、黒い靄は次々と他のメイドたちに襲い掛かる。
黒い靄はその姿を黒い靄から巨大な口へと変え、仲間の亜人たちを手あたり次第噛み砕いていった。
――なんで、キャリーが……!
レッドは愕然とするしかなかった。
今まで魔物や聖剣、魔剣からしか出てこなかった黒い靄が、よりによって亜人から湧き出て、人間を怪物へと変えたのだ。
しかしすぐ、これが初めてではないと思い直す。確かにレッドには、これと全く同じことを見た覚えがあった。
人間が怪物と化す現象を他にも知っていた。
――これは、前回の時と同じ……!
そう、人間が魔物と化すなど、
他ならぬレッド自身が、経験していることだった。
「ぎゃああああああっ、痛い痛い痛い、助けてくれぇ!」
なんて頭が別のところに行っていたレッドだったが、悲鳴を聞いて正気に戻る。
悲鳴を上げた相手は、ルイザだった。いくつもの口に齧られ続け、体中至る所が喰われてしまった。他のメイドたちは、もう喰い殺されて生きてはいない。
「た、助け、助けて……!」
そう泣きながら、唯一残った左手で助けを求めた。
今さっきまで憎しみの言葉を吐いて、殺そうとしたレッド相手にである。
「……触られるのも吐き気がするんだろ?」
「……っ!」
カッと見開かれた目に、レッドは追い打ちをかける。
「だから、触らないでやる。優しいだろ、俺?」
「――っ!!」
最後、見捨てられたことに憎悪と怨嗟を込めた言葉を叫ぼうとしたが、その一言も無数の口によって齧り取られ、食い尽くされた。
「――すまん。どうしても助ける気にはなれなかった」
そんな謝罪の言葉を残すと、レッドは眼前のキャリー――いや、キャリーだった怪物に剣を向ける。
――なんなんだ、こいつはいったい……
人間が、亜人とはいえ、魔物になるなど聞いた事も無い。まさか貴族たちが言う通り、亜人はケダモノだから、なんてはずもあるまい。
とにかく、今は山のような口を伸ばして自分を食べようとする魔物を仕留めねばならないと、剣を振ろうとした。しかし、
怪物と化したキャリーの頭部は、突如どこかから飛んできた火球によって消し飛んだ。
「な……っ!?」
いきなり爆発した彼女に、レッドは動揺を隠せない。何事が起きたのか、見当もつかなかった。
少しの間呆然としていたが、そこに場違いな拍手が聞こえてくる。
「――合格だよ、レッド君。いやあ、ワイバーン見逃した時は大丈夫かと思ったが、君も残酷だねえ」
なんて、笑いつつ話す相手は、こんな惨状とは場違いなほど明るく、軽かった。
その軽い声の主がこちらに姿を見せた時、レッドは目を見張る。
「ご苦労、レッド君。大変だったねえ?」
「貴様……!」
そう、その相手は、
山吹色の神官服を纏ったラルヴァ教教団のナンバー2……ゲイリー・ライトニング枢機卿長だったのだ。
「貴様……なんでここに!」
「なんでって僕は君が王都にいる時から付いてきてたよ。正確には昼頃だったかな、君を見つけて監視してたのは」
「な、なに!?」
レッドは思わず叫んでしまった。枢機卿長は、王都に潜伏していたレッドをとっくに探し出し、こんな時間まで黙って見ていたのだ。
「じゃ、じゃあなんで今までそのまま放っておいたんだ!?」
「そりゃ、君とこうして話す機会が欲しかったからさ。まあ、長い話になるだろうから……」
そう言うと、枢機卿長は極めて優しい顔で微笑みながら、
「とりあえず、お茶くらいは出してくれるよね?」
なんて、尋ねてきた。
はい、というわけで胸糞展開ようやく終わりです。だいぶ待たせて申し訳ありません。
次はいよいよ真相編です。全ての謎が明らかに。ご期待ください




