第六十二話 与えられし剣(2)
白き鎧。
その名とその姿は記憶を取り戻した後――いや、恐らく記憶を取り戻す前から、忘れようにも忘れられなかったはずだ。
幼少の頃より、その名とその姿を怖れ、毎夜の如く泣き喚いたのだろう。
何しろ、かつて自分を殺した奴の名前なのだ。
「これが――聖剣の、勇者の本当の姿――」
目の前の白き鎧を纏った者は、背丈はレッドより高く二メートル近くはあるかもしれない。この全身鎧の姿だけ見れば、この者があの小柄な少年とは信じられないだろう。しかし、今発された戸惑いを隠せない声は、間違いなくアレンの物だった。
「あれが……あの亜人の少年なのか……?」
「話には聞いていたが……本当に……」
と、そんな声が辺りから聞こえてくる。
ひそひそ話の内容からして、アレンが真の勇者ということ、そしてこの白き鎧のことも聞かされていたらしい。この茶番劇の主は、そこまで伝えていたようだ。
もっとも、自分が神々しい光の戦士になったことに夢中なこの男の耳には入っていない様子だが。
「さあ……まだやりますか、レッド」
またしても聖剣を突き出して、こちらに降伏を求める。そういえば、聖剣の方もその雄々しい鎧に合わせて形状や装飾が変わった気もする。
とにかく、彼としてはこの偉大なる勇者の姿を見れば委縮すると思ったのであろう。突然こんなとんでもない力を手に入れれば、全能感を持って当然ではある。
そんな彼に対して、レッドは、
「――ふん、チビ助が。そんなオモチャ手に入れて、超人にでもなった気か? 笑わせる」
という冷ややかな笑いで返した。
「――っ! 貴様あぁっ!!」
イラっと来たのだろう、その激情のまま、白き鎧を纏ったアレンは突貫する。
――速いっ!
今までとは比べ物にならない速度で突っ込んでくるアレンに、レッドは思わず剣で防ごうとした。
しかし、すぐにそんなものは無意味だと気付き、思い切り横に飛んで回避した。
回避しきれなかった剣は、すれ違いざまに剣が放つ光の流れに命中し、まるで小枝の如く簡単に折れてしまう。
そして、その光が放つ力は聖剣そのものから避けたレッドが逃げるのを許さず、膨大なエネルギーの波と化してぶつかってきた。
「うわあああぁぁっ!!」
弾かれたようにレッドは、その身を飛ばされてしまう。地面に落ちて何回転かした後止まったが、先ほど近衛騎士団の兵から取り上げた剣は、根元からポッキリ折れてしまっている。
――こんの、ナマクラが。
レッドはそう吐き捨てるが、実際のところは違うことは彼自身分かっていた。
単純に、聖剣が強すぎるのだ。普通の剣や防具など、ボロボロの古木と大差あるまい。これでは戦うどころか簡単に殺されるだろう。
幸い、激昂しているとはいえ、あいつ自身こちらを殺すか捕まえるか決めかねているようだ。あるいは、単に人殺しが怖いか――後者かなとレッドは判断した。
それに、レッドが見た限り、奴も白き鎧の力に振り回されている。まあ突然体格が変わって超人的な力が身につけば、上手く扱えるのが不思議なくらいだ。力の差は圧倒的だが、それ以外なら戦えない相手ではない、と先ほどの一瞬で分かった。
問題は、あの聖剣と戦える得物がどこにも無いことだが……などと悩んでいたら、レッドはあることに気付いた。
「――あれ?」
アレンと戦っている間はうっかり見落としていたが、いつの間にかベヒモスの傍まで近づいていたらしかった。先ほど倒した兵たちがまだその場で転がっている。
そしてもう一つ、視界の端にある物に気付いた。
「――っ!!」
思わずレッドが視線をアレンから外して余所見をすると、また馬鹿にされたように感じたのか、アレンがもう一度聖剣を手に突っ込んでくる。
「まだ僕を舐めているのか、レッドぉ!!」
そう叫び、レッドに食らいつこうと剣を振り上げて斬り裂こうとしたが、紙一重で避けられ、レッドは横へ飛んで逃げる。
一瞬驚くアレンだが、すぐに追撃の刃を横に流した。が、
「えっ……!?」
ガキィン、という音がして、勇者の剣は止められてしまう。
「ふぅ……受けられるかどうかは賭けだったが、ラッキーだったね」
聖剣を止めたのは、同じく純白の、長大な剣だった。
「それは……っ!」
アレンもビックリしていることだろう。見ていないと思っていたが、もしかしたら亜人の優れた夜目で見上げていたのかもしれない。
驚愕で我を忘れている隙に、聖剣を下からかち上げる形で弾き、ガラ空きになった胴を思い切り蹴飛ばした。
「うわっ!」
「づっ……!」
バランスを崩したアレンを後退させるのには成功したが、蹴った足に痛みが生じてしまう。やはり、あの強靭な鎧に直接蹴りを入れるのはまずかったと反省する。
まあいいかと、仕切り直しとしてまた距離を取る。先ほど手にした、二メートルはある剣を構えて。
「なるほど――こいつは使い辛いな、スケイプ」
そう前の持ち主に笑いかける。
レッドが手にしたのは、つい今しがたまでスケイプが使っていた、アトラスの杭が変形した剣だった。
この剣が何なのかは結局知れずじまいだったが、少なくとも聖剣と打ち合える強靭さは持っているようなので、たまたまそこに転がっていたのを拾って使ってみた。ついでに、同じくその場にあった腕輪も右手首に着けておいた。
とにかく、これでもう少しはマシに戦えるだろう。スケイプに感謝しなければ、などというのは面の皮が厚いかなと一人失笑していると、
「――仕方ない」
なんて、アレンが呟いた。
「?」
すると、アレンが構え直した聖剣が、また強大なまでの光を発していく。その光は聖剣だけに留まらず、白き鎧、いや周囲まで明るく照らすほどの凄まじい光源と化した。
「はああああああああ……っ!」
アレンは力を溜めている。その光の力で、彼が何をしようとしているか。
それは、つい先ほどまで聖剣を使っていたレッドには容易に分かることであった。
「……やばっ!」
咄嗟に避けようと思ったが、その瞬間足が止まる。
ふと頭をよぎってしまった、あるものがレッドをその場から離れなくさせた。
「……ちいっ!」
躊躇した僅かの時間、それが致命的な遅れとなり、逃げる時間を潰してしまった。
止む無く、レッドは巨大剣を盾代わりにして、衝撃に備えた。
「喰らええええええぇぇぇぇっ!!」
アレンは、聖剣に膨大な光を集束させ、
その光を、大きな刃に代えて放った。
「ぐわっ……!」
それは、レッドの物と比べるのがおこがましいくらい、圧倒的な威力を持った光の刃だった。
もはや刃というより光の激流。かつてのミノタウロス戦よりはるかに凄まじい光の波動そのものが、レッドに襲い掛かった。
それほどまでの光が、レッドに届くだけで消えるはずも無く、後方にあったベヒモスの肉体にまで食らいつき、その肉体を消滅させていく。
やがて、光が消えた時には、もはやそこに巨獣などいなかった。
聖なる勇者の刃が、伝説の魔物を跡形もなく消滅させてしまったのだ。
光の激流が通った跡は、単なる土埃で埋められ肉体の一かけらすら残されていない。
「す、すごい……」
そのセリフが、誰が言ったかは、誰にも分からない。
しかし、その場に居た全員の感想であったことは違いないだろう。
「これが、僕の力……」
聖剣を地面に刺し、白き鎧に包まれた両の手を見るアレンの胸にあるのは、喜びや嬉しさではなく、恐怖だった。
こんなつもりじゃなかった。あそこまでの力を、出すつもりは無かった。
偶然にも王都からは外れたものの、一歩間違えれば消し飛ばしていたかもしれない。そんな力が、自分にある。それを恐れたのだ。
そして、怒りに囚われたとはいえ、抵抗すれば殺しても仕方ないと言われていたとはいえ、レッドを――そんな後悔と絶望を、確かに、本当に彼は抱いていた。
しかしながら、そのような後悔は不要であると、アレンはすぐに知ることとなる。
「――アレエエェェェェェェェェェンッッッ!!」
突如、土煙を突っ切って、頭を血みどろにしたレッドが飛びかかってきた。
「っ!?」
完全に気が抜けていたアレンは、対応など出来るはずも無く、傍に置いた聖剣を引き抜こうとしたが、間に合うはずが無い。
そのまま、力いっぱい振り下ろされた剣に兜を打ちつけられてしまう。
「がっ……!」
「アレエエエェェェン!! 貴様ぁ、よくもおぉぉっ!!」
頭を思い切り打たれ、体勢を崩した白き鎧に、レッドは追撃の剣を次々と打ち込んでいく。激情の赴くまま、絶叫しながら打ち続ける様はまるで鬼神のようだった。
いかに聖剣と白き鎧の加護があるとはいえ、剣に関しては素人同然のアレンが、そんな連撃に対処は不可能であり、ほとんど為すがままに斬りつけられている。
しかし、彼を鈍らせているのは単純な腕の差だけではない。
「貴様ぁ、貴様ああぁぁっ!!」
「くっ……!」
この、猛り狂ったレッドの気迫に押されてしまっているのだ。
普段怒ったり叫んだりすることはあっても、基本的にどこか冷めているというか淡々としていて、周囲から一歩引いて眺めているような人物。それがアレンの知るレッド・H・カーティスという男だった。
それがここまで感情を露わにし、憤怒の滾りに身を任せ暴れ狂っているなんて、アレンからすれば信じられない物だった。
とにかく、アレンはとめどなく攻撃を繰り返すレッドの剣を、左腕に取り付けられた小型の盾で受け止め、押し出す要領で飛ばす。
飛ばされたレッドは、すぐに立ち上がると、仁王立ちの体勢で睨みつけた。
「貴様、よくも、よくも……!」
憎悪に目を血走らせたレッドは、アレンの疑問を簡潔に答えてくれた。
「貴様……よくもスケイプの体消しやがったなぁっ!!」
「――っ!!」
アレンは驚愕する。
そう、先ほどの光の激流は、ベヒモスと共に、その背に乗っていたスケイプの遺体すら消滅させてしまったのだ。
スケイプの遺体に当たる可能性を考え、なんとか防ごうとしたレッドだったが、防ぎきれるわけもなくベヒモスと一緒に飛ばされてしまった。
幸か不幸か、アレンが放った光の激流はあまりに強すぎたせいで、光の前に衝撃波が発生した。それが先に到達してしまい、レッドはそれに飛ばされたため、光の激流そのものの直撃は避けられた。結果的に命は拾ったが、スケイプの遺体を守ることは叶わなかった。
その悲しみと無念が、アレンへの怒りと憎悪へと変換され、レッドを鬼神へと変貌させてしまうこととなった。
そして、その憤怒は別の変化すら与えていた。
「あああああああああああっっ!!」
「え――えっ!?」
アレンはまた驚愕した。無理もない。
怒りの剣を振るい続けるレッドの身から、また黒い靄が噴き上がってきたのだ。
「な、なんで……!?」
「うるせぇっ!!」
動揺し混乱するアレンなど構わず、自身の異常すら気にも留めず、レッドは怒りの感情のまま剣を叩きこみ続ける。
「くっ……!」
聖剣の加護と白き鎧は強靭であり、いくら打ち込まれても壊れることも斬り裂かれることも無かった。
しかし、中のアレンに衝撃は伝わっている。何度も叩きこまれる衝撃は、彼から確実にダメージとして全身に喰らわせられていた。
「~~っ、まだだぁっ!」
だがアレンも黙ってはいない。正面に来たレッドに、聖剣を右肩から袈裟懸けに斬りつけようとした。
その刃は、ボロボロで血みどろの彼の身を、容易に斬り裂こうとした、のだが。
「うらぁっ!!」
まさに斬り裂こうとしたその瞬間、聖剣を握った手首を力の限り蹴りつけられた。
蹴られた腕は肘から曲がってしまい、その刃を自らの左肩に突き刺す形となった。
「づっ……!?」
激しい痛みを感じて呻く。聖剣は鎧を突き抜け、アレンの肩口に刺さってしまう。
幸いというか蹴りの衝撃が軽かったからか、あまり深く刺さりはしなかった。だが、今までの打撃とは違う、刺された痛みに実際のダメージ以上に動揺する。
その動きが鈍った隙を、レッドが逃すはずが無かった。
「あああああぁっ!!」
刺さった刃を抜いてこちらに迎えうとうとするアレンに、巨大剣を突き刺そうと駆ける。が、
がくっと、左足が膝から力を無くし崩れる。
――えっ?
何事が起きたか分からず慌てて体勢を整えようとした途端、横から来た激しい衝撃に吹き飛ばされた。
いかん、今日こそ出す気が、いつの間にか文字数増えすぎてしまった……orz
明日こそ必ず出します、ごめんなさい。




