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第四話 新王都ソロン(4)



 アシュフォード領一番の街ソロン。

 そのソロンの中の、至って普通の酒場。

 そんな、大衆に娯楽と安らぎを提供するはずの、珍しくもない場所。

 いつものようにわいわい楽しく酒と美味が提供されるその店は今、非常に殺気立っていた。


 等間隔に並べられていた木製のテーブルは、中央の一卓を除いて全部端へ寄せられる。

 それに寄り添うように、酒と怒りで顔を真っ赤にした荒くれ者たちが囲い野次を飛ばしている。


 野次の向かう先は、テーブルが置かれた店の中央。

 そのテーブルに向かい合わせて座った二人。ただし野次を飛ばされているのは片方のみだ。


 やらやっちまえだのこのクソ野郎だの、そんな罵詈雑言が浴びせられるが、対象のボロ布で顔を包んだ青年は意にも介さず、むしろ布の下から薄笑いが聞こえてくる。それが余計に周囲と対峙しているハゲ男のボルテージを高めてしまう。


「――それじゃ、一応ルール確認といこうか?」


 布きれを巻いた青年、レッドは今にも怒り狂って暴れそうな男に対して極めて冷静に話しかける。


「勝負は腕相撲一本勝負。勝敗は――まあ説明するまでもないか。俺が負けたら全財産と――そうだな、あんた冒険者なんだろ? 一年でも二年でもタダ働きしてやるよ?

 でも、あんたの方はいいのかい? 持ってる金全部なんて。俺一ゼースで良いって言ったのに」

「このガキ……どこまでもふざけやがって……!」


 一ゼースとは、このアトール王国においてもっとも低い硬貨の額である。つまり、自分は全財産と無償労働なんて重い条件を賭けておきながら、相手にはただ同然で構わないと言っているのだ。より機嫌を損ねて当然である。


「なんだい、何か気に入らない? あ、賭ける額が安すぎたかな? それじゃこうしよう。おーい、お姉さん、大きな木箱か何か無い?」

「へ? あ、は、はいっ」


 突然呼ばれた茶髪の三つ編みに、眼鏡をかけたウエイトレスのお姉さんは、何かは分からなかったもののとりあえず要求通りに両手で抱えるくらいの大きめな木箱をレッドの足下へ持ってきた。


「ここにいる皆さんにも、賭けて貰おうか。好きなだけ金を入れて、俺が負けたら入ってる額の二倍を皆さんとあんたにやるよ。払えない分は好きなだけタダ働きさせて貰うということで。俺が買ったら、全取りってことでいいかな?」

「んなっ……!」


 さらっとまたとんでもないことを言い出すレッド。これには今ですら沸点越えの怒りが爆発しそうな周囲も、より燃え上がってしまう。一ゼースでもいいとレッドが言う前から、財布が丸ごと木箱へ投げ入れられていく。


「どこまでもふざけたガキだ……いいだろう、一秒で負かしてやる!」

「……一秒、ねえ」


 ハゲ男の宣言に、周りがいいぞいいぞーとかやれドーソンだの歓声を上げ、さらに財布が投げられてきた。ドーソンとはこのハゲ男の名前だろう。この様子からして、ソロンでも名の知れた力自慢らしい。


 最大までこちらへの敵意と殺意を膨らませたハゲ男は、右肘をテーブルに付け右手を出してくる。レッドもそれに応じて右手を出して組むと、腕相撲の体勢になる。

 今始まるかと思ったその時、レッドはハゲ男に対してこう宣言する。


「――なら俺は0秒だ」


 そう、さらっと放たれた一言に、ドーソンもギャラリーたちも唖然とする。


「0秒、それ以上越えたらあんたの勝ちで良いよ。どうだい? 悪くない話だろ?」

「貴様、馬鹿にしやがって……!」


 完全におちょくられてると思ったドーソンはますます顔を沸騰させ、木箱にはますます財布が投げ込まれていった。


 そんな、燃えるような大騒ぎと化した酒場の真ん中で男二人が手を合わせると、レフェリー役に選ばれた眼鏡のウエイトレスが、恐る恐るといった様子で合わさった二人の手に自分の手を乗せる。


「そ、それじゃいきますよぅ……」


 ウエイトレスは緊迫した雰囲気に泣きそうになっていて、少し気の毒にも感じた。


 対峙しているドーソンは、既に勝利を確信しているのか下卑た笑顔をしている。周囲の野次も、やっちまえーだの殺せーだのかなり物騒になっていた。

 そんな周りなど気にもせず、レッドは平然とした様子を維持している。

 雲泥の差がある様子の二人に挟まれたウエイトレスが、いよいよ試合開始を告げようとする。


「じゃ、二人共いいですね? レディー……ゴ」


 ゴ、という言葉が聞こえたか聞こえなかったか、ウエイトレスの手が離れたか離れなかった、というその瞬間、

 レッドの右手は、ドーソンの右手の甲をテーブルへ叩きつけていた。


「ゴ、オ、ォ……!」


 ゴォッ、とでも叫ぶつもりだったであろうウエイトレスは、目の前で男らの肘を乗せていたテーブルが砕ける様に言葉を失う。

 ギャラリーも、勝負が始まったと思うことすら出来ず、巨体を誇るドーソンが全然小さい青年の腕一本に、砕かれたテーブルごと床へ打ち付けられたことに絶句する。


 腕どころか全身に激しい衝撃を受けたドーソンは破砕されたテーブルと共に床に転がり、動かなくなってしまう。無論、死んではいないが。


「――笑わせる」


 そう、レッドは椅子から立ち上がると、もう気絶しているであろうハゲ男ことドーソンに皮肉たっぷりにこう吐き捨てる。


「これっぽっちの力しか無い奴が、近衛騎士団より上だなんて冗談も良いとこだろ。こんな程度の奴しかいない掃き溜めが新王都だの王国に取って代わるだの……酒場のジョークを表に出すのは阿呆のすることだよ。馬鹿馬鹿しくて付き合いきれないっての。じゃね」


 なんて更に笑いものにすると、勝者の権利として木箱に入った金を箱ごと持っていこうとする。

 だが、そんなことをこの場で許す奴はいなかった。


「――ん?」


 店を出ようとしたレッドの前に、囲っていたギャラリーたちが立ち塞がる。一人の例外もなく、青筋を立て目に怒りの炎が上がっていた。


「――なにか? 賭けは私の勝ちですか?」


 なんて、とぼけた様子で笑いかけると、先ほどレッドに話しかけてきたひげ面の男が、殺気混じりの台詞を吐く。


「てめえ……まさか、タダで帰れると思ってねえだろうな……」

「タダ? 何言ってんの。金はちゃんと持って行くよ、ほら」


 そう、木箱に山盛りにされた財布を揺らしてチャリンという音を鳴らすと、いよいよ完全にキレたギャラリーたちが襲いかかろうとする。


 レッドも身構えようとするが、ちょうどその時声がする。


(――レッド)

(なんだよ、騒ぎを起こすなとでも言うつもりか?)


 出鼻をくじかれる形になったレッドはぼやくが、しかしジンメの言葉は違った。


(そうじゃない――僕にもやらせろ)

(――殺すなよ)

(誰に物言ってるのさ)


 呆れながら、レッドは今目の前に荒くれ者たちが拳やナイフやらを持って舐めた野郎を殺しに来ているというのに、体の力を抜いて目を閉じる。


 瞬間、隠されていた左目がかっと見開かれ、赤い瞳孔を周囲に晒す。


 最初に飛びかかってきたひげ面の男がその瞳に気づき、反射的に身を竦めると、その顔面にレッドの左手が食らいつく。


「が……!?」

「――遅い」


 そして、そのまま掴んだ男を、信じられないような力で投げつけ、数人を吹き飛ばす。

 ついでに、木箱を下に置いて金の安全を確保すると、赤い瞳は次の獲物を探す。


「――よし」


 と呟くと、今度は目にも止まらぬ速さで別の男の前に立ち、股間を思い切り蹴り上げる。


「べばっ!?」

「――失礼」


 しかも、その男の足を左手でむんずと掴み取ると、大きく振り上げて他の男たちへと叩き込む。

 要は、男を鈍器代わりにして殴りつけているのだ。


「おらぁ! うらぁ!」


 男をブンブンと振り回し、酒場の奴らを縦横無尽に殴り飛ばしていく。先ほどまで殺意満々だった奴らも、これには怯えて出口から逃げようとする。


「逃げるな……よっと!」


 しかし、それをいち早く捉えたレッドは、獲物代わりにしていた男を蹴り飛ばし彼らにぶつける。


「ぐほっ!?」

「そらぁ!」


 そして足止めすると、逃げる奴らから殴り蹴りつけていく。すっかり男たちは萎縮してしまっていたが、逃げることも出来ず一方的に殴られるだけだった。


 中には数人がかりで襲いかかる者もいたが、強すぎて相手にならない。縦横無尽に飛び回り暴れ回るレッドにただ任せるしかなかった。


 やがて、時間にすればそれほど経っていないはずの酒場から、一切の喧噪が消えた。


 残ったのは、ノビている人間だらけと化した荒れ放題の店内だけだった。


(――やり過ぎだろ)

(なにさ。別に殺しちゃいないから問題ないでしょ?)

(……ったく。まあいいか)


 内心失笑する。ジンメの暴れっぷりは慣れたものなので驚きはしない。


 左手に憑依したジンメは当初、せいぜい左手をちょっと操れる程度だったが、この一月でそれは進化していた。

 左手のみならず左足、そして左目の視界まで動かせる。レッドは、ジンメに合わせて動くことでこのように機敏に動くことも可能になっていた。ここまでになるのはかなりの時間を有したが。


 初め、ジンメの可動範囲が広がっていることに気づいたレッドは、勿論切り落とそうとしたのだが、ジンメの必死の制止と本気で乗っ取る気ならここまであからさまにしないだろうと思ってそのまにした。ちなみにこれ以上拡大すれば容赦なく切断する気である。


「――おい、あんた」

「は、はいっ!」


 そしてレッド以外で唯一立っていたウエイトレスに、硬貨を一枚投げつける。


「騒がせ賃。釣りはいらないよ」

「え、あの……」

「それじゃ」


 ウエイトレスが何か言おうとしているのも聞かず、レッドは財布が詰まった木箱を持って店から早々に立ち去ってしまう。


 気絶した酔っ払いたち、めちゃくちゃになった店内を放置して、レッドは夜のソロンを足早に歩く。

 やがて大通りから外れ、星の光も少ない裏道を歩き始めたとき、ジンメが口を開く。


『……なあ』

「なんだよ、ジンメ」


 そう聞くと、ジンメは心底呆れた口調で言った。


『さっきやった金、十ゼース硬貨じゃん。あれじゃビール一杯分くらいしかないでしょ。自分が飲んだ分しか出さなくて、何が釣りはいらないだよ。そんだけ金持ってるのに』

「――ま、旅の路銀というのはいくらあっても困るということはないからな。節約はキッチリしないと。それに――」


 レッドは、ふと足を止める。


「多分……迷惑料はこれから払うことになるからな」

『それも、相手の出方次第でしょ』


 長い路地の真ん中で振り返ると、後方に人が立っていた。


 そこに居たのは、先ほどのウエイトレスだった。つい今しがた泣いてばかりだったはずが、涙など一筋も見せず奇妙な笑顔を見せている。


「なんだい? 店を壊した弁償か? それとも俺が倒しちゃった奴らの治療代を請求に来たの?」


 レッドがそうニヤついた笑みをしながら問うと、ウエイトレスもフッと笑いかけて返す。


「あんな奴らどうなろうが、気にしませんわ。所詮、あなたの言うとおりただ馬鹿な夢を見ているだけ。本当にソロンが新しい王都になるには、私たちが新しい国家を作り上げるには、あんな馬鹿ども不要です」


 自分の店の客を馬鹿と嘲りながら、不敵に微笑む女。

 最初見たときから感じていた妙な気配が、正しかったと知る。


「「私たち」って……誰のこと? あんたは……何者だい?」

「あら、私が誰か気づいたからあんな真似をしたのではなくて?」


 眼鏡の奥、二つある紫色の瞳が光る。こちらを値踏みする強い力があった。


「どうだか……ま、まずは自己紹介してくれないかな、ウエイトレスさん」

「……それもそうですね」


 そう言うと、ウエイトレスは眼鏡を外し、三つ編みをほどいた。

 そして、こちらに対して貴族流の挨拶、カーテシーを行う。


「新貴族派に属しております、マリオン・ハベルスと申すものです。貴方様には是非とも、我々新貴族派のところへ一度お越し頂きたいのですが」


 新貴族派。


 最近王宮や貴族間で騒がれている、新しい考えや全く違う価値観を持った新勢力。

 今までなら不敬罪や反逆罪に問われるような発言を平然と行い、彼らが旧貴族と呼ぶ名門貴族たちから厄介者に扱われつつ、無視できない存在と化している輩たち。


 そんな彼らが潜むと言われているのが、このソロンだった。


「――今すぐかい?」

「ええ。宿も仕事も無いのでしょう? ちょうど良いのでは?」

「よく知ってること……まあいい。お呼ばれするとしようか」


 そう応じると、ついてこいという風に彼女は振り返って歩いて行く。レッドもそれを追った。


(――ラッキーだったね。こんな簡単に新貴族派と接触できて。この街に来た当初の目的は果たせそうだ)

(ああ……)

(? どうした、なんか浮かない顔だけど)

(いや、別に……)


 ジンメにはそう返したが、レッドはどうにも頭に引っかかるものがあった。

 思えば、初めにウエイトレス姿のマリオンを見て違和感に気づいたのは、その引っかかりが原因だと今更ながら分かったが、その引っかかりの正体が何かはどうにも判断付かなかった。


 しかし、今はそんなことにかまけている場合では無いだろうと思い直し、彼女について行った。

 なにしろ、レッドたちがこの街へ来た理由は、




 ――新貴族派が、ベヒモスと並ぶ力を持つ魔物、『光の魔物』を所持してるってのは、本当なのかねえ。


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