起請文が紡ぐ縁
江戸は元禄の頃
木材商を営む大店に産まれた跡取りの若旦那は少し火遊びが過ぎるが真面目で稼業の切り盛りも良くこなす、出来た青年であった。
本所深川にある店から猪牙船で大川を下り大門をくぐっては吉原へ、そんな遊びが珠に傷であったが、普段の真面目さと博打と酒には縁遠い若旦那の唯一の遊びに周りも理解を示していた。
春の頃、吉原中見世の散茶女郎を若旦那は見初めた。その遊女はまだ年若くも器量が良く気だても良かった。人気もあって局から散茶に格上げしたばかり、中見世故に大夫とはいかないまでも将来は格子に上がる器があると期待されていた。
遊女もまた若旦那の元来の誠実さと、商人でありながらも精悍な見目に惹かれていった。
いつしか起請文に将来を誓う程に想いあった二人の仲は周囲の理解も合って、いずれはいい夫婦になるだろうと思われていた。
二人の出会いから3年程がたった秋の頃、格子に上がった遊女を身請ける持参金を工面して、もうすぐ幸せが訪れると思われた矢先、彼女が肺を患い労咳と診断されるまでは。
無論、肺病の事を知って尚、彼に迷いなど一寸も無かったが、時は残酷であった。
労咳を患って直ぐ、祝言の準備を急いだ彼に届いた報せは容態の悪化で帰らぬ人となった最愛の彼女との別れであった。
江戸は元禄 師走の雪そぼ降る日であった。
それから数日と置かず、一人の青年が大川に身を投げた。
手には飾りの少ない然れど細工の美しい簪と、ただ来世でと裏書きが足された起請文が握られていたという。
そんな顛末をつぶさに眺める者があった。
二人が誓った起請文、それに縛られし1羽の烏である。
烏は二人が結ばれることも、誓いが破られる事もなく死別してしまったため、地獄に堕ちることなく文に縛られていた。
だが烏は己が現世に縛られたことよりも、将来を誓いあった二人の死別に心を痛めた。
「熊野権現様、卑しき畜生の身とて誓いあった者があの様に引き裂かれるは悲しゅうございます、ただ畜生の我が身では何もしてはやれませんが熊野権現様の神使となりて起請文に縛られた魂、千々に砕いてお使いくださって結構、どうかあの二人の来世をお導き下され」
熊野の烏は起請文に我が身を縛りし二人の来世をこうして、熊野権現に祈ったのでした。
あまりの献身に心打たれた熊野権現は烏の魂を三つに割ると、一つを青年の魂に一つを遊女の魂へと紐付けました。
元は一つの魂に導かれ、二人が再会を果たすために、こうして烏を縁結びの神としたのです。
令和 東京 春の頃
とある病院の一室
「貴方、この子の名前は考えてくれた」
少し大きくなった自身の腹部をいとおしそうに眺めながら、年若い女性が語りかける。
「あぁ、決まっているさ、なんたってその子は俺たちの絆の証なんだから」
優しげにそして誇らしげにその瞳に最愛の妻を写しながら男性は語ります。
やがて縁と名付けられたその子が美しい黒髪の心優しい少年に育つのは、また別の話。
烏が今日も鳴いている。
お読みくださりありがとうございますm(_ _)m
時代考証があやふやなため、間違いがあると思いますがご容赦くださいm(_ _)m