事件の前触れ ①
今、王都の屋敷には私と兄様の二人きりです。と言っても、ちゃんと屋敷の使用人達は居ますが、お父様とお母様は私の店のデザイナーとお針子を皆連れて、領地へ行ってしまわれました。
私は結婚式の準備の為マダムの所へ通う日々、兄様は正式に近衛騎士から、宰相補佐へ部署替えをされお父様の仕事を代行されたため死ぬほど忙しそうで、屋敷の中でも中々一緒の時間を過ごせていない。同じ屋敷に暮らしているのに寂しいですわ。
今日は店の定休日なので、店長が遊びに来てくれています。店長は接客時は気をつけているのでしょうが、興奮してくると、言葉が砕けてしまうそうで…。
「宰相閣下が折角作って下さった、傭兵駐屯所なんですけどね。奴等ときたら、マナーが悪いったらありゃしない。明け方まで居酒屋で馬鹿騒ぎをして、酔っ払って周辺の家の壁は壊すし、一般市民には絡むし、碌なことをしない。駐屯所近くに住む者は夜にはおちおち外出もできない有様ですよ。」
街を守るのが役目の傭兵が、市民の生活を脅かしているだなんて。
「誰が傭兵達の管理をしているのかしら?」
「勇者様ですよ。私も含め皆ね、最初はどこぞの貴族出身の騎士様が傭兵を管理するよりは、冒険者上がりで市民の気持ちのわかる勇者様が管理して下さるほうが絶対に良くなると思って歓迎してたんですけどね。蓋を開けたらあの有り様でしょう。」
店長はマフィンを頬張りながら、勇者への文句を垂れ流している。
「そんなに酷いんですの?」
「酷いなんてもんじゃないですよ!全く、その傭兵達を注意する立場のはずの、勇者様、えーっと、そうバルク男爵様も一緒になって飲み歩いてるっていうんですから!」
「ですが、市民の方々から、傭兵達の管理はバルク男爵様が良いと要望があったと聞いていますわ。」
店長は食べかけのマフィンを口へ押し込むと、冷めた紅茶で流し込み、困り顔をして、マリアンヌに視線を向ける。
「そうなんですよ。街の皆が希望して、王様が願いを聞いてくださった。だから、王様を責めるわけにも行かない。かと言って勇者様は当てにならない。本当、八方塞がりでしてね。で、宰相閣下のお嬢様にパイプのある私が皆に頼まれてこうしてお願いに上がったしだいなんですよ。」
お菓子を食べにきたのではなく、お願いにきたんですね。
「申し訳ないんですけど、お父様は今、領地におりますの。手紙で知らせはしますけど、お父様が対策を打たれるとしても領地から戻られてからとなりますわ。」
「それで充分だよ。だめもとで頼んだんだ、聞いて貰えるだけありがたいよ。」
店長はほっとしたように笑顔を浮かべた。
「市民の方々は、バルク男爵へ傭兵達を取り締まるように要望は出されてないんですか?」
「出してるは、出してるんだけどねぇ。申し訳なかった。しかし、俺の仲間にそんな事をする奴はいない。酒が入ってて失敗しただけだ、悪気はなかったって取り付くしまがないんだよ。全く、貴族様になったってのに冒険者と変わりゃしない。生粋の貴族よりタチが悪いって、今じゃ街中の嫌われ者だよ。」
ははは、流石ジュリェッタ嬢のお父様、ご自分基準な所がそっくりですわね。
「少し前までは、街中がバルク男爵親子を讃えてましたのにね。」
一時の間でここまで、評判が地に落ちるとは名声は移ろいやすいものですわね。
「何か、おっしゃいましたか?お嬢様?」
「ううん。何でもないわ。それより、今、市井で面白い話はないの?」
店長は少し考える素振りを見せたあと、両手を合わせて満面の笑みを浮かべる。
「眉唾ものですがね、何でも治す不思議な薬があるらしいんですよ!」
この世にそんな薬が存在するなんて聞いたことがないわね。一番万能と言われている治癒魔法でさえ、全身に回った毒や、欠損部の復元は不可能。そんなものが存在するのか一度ローディア商会へ問い合わせしてみようかしら。この世にあるものは全て揃えられるでしょうから。
「何でもとは?治癒魔法でも治らないものも治るのかしら?」
さて、その精度がどの程度と言われているのかしら?
「さあ、私達庶民は、治癒魔法なんて上等なものは拝む機会がございませんがね。噂では、無くなった手や足は生えないけど、折れた腕や脚が元通りにもどるとかなんとか。市販の毒けしよりも効能が良い万能薬みたいな代物らしいですよ。ただ、値段も、庶民には手が出ないほどお高いらしいですけどね。」
店長の話では、効能は治癒魔法とさほど変わらないみたいですわね。
「どこに行けば手に入りますの?」
「さあ、私もそこまでは詳しくは知りません。お嬢様がご興味がお有りなら、話を聞いたら教えますね、私も噂話は大好物ですから。」
店長は楽しそうな様子で、今度はマカロンを一つ口に放り込んだ。
「まあ、店長も噂話が好きなんですの?」
「そりゃぁ、そうですよ。王都に住む民で、噂話の嫌いな者はいないよ。ただでさえ、雪のせいで王都への人の出入りが少なくなると、それくらいしか楽しみがありませんからね。まあ、私にはお嬢様にこうして会いに行くっていう楽しみがございますがね。」
店長はにこにこしながら、今度はクッキーに手を伸ばす。
胸焼けがしそうだわ、甘い物ばかりあんなに沢山!私に会いに来たのではなくて、お菓子を食べに来てるんでしょう?なんてことはいいませんわよ、私。
店長があけすけな性格のお陰で市井の噂話や、評判をダイレクトに知ることができるのは有難いわね。私の悪評ですら、笑いながら伝えてくるんですからびっくり致しましたわ。
「そう言えば、お嬢様。砂漠の国の皇太子殿下と第二皇子、えらく美形なんでしょ?魔法学園に通っている商会の娘さんがね、目をキラキラさせて教えてくれたんですよ。」
そんなことまで、市井の皆様は知ってるのね。頭が痛くなってきたわ。
「ええ、一般的にみて、綺麗なお顔をなさっていると思うわ。」
「その皇太子殿下、クリスマス舞踏会で踊られたのはお嬢様だけだったそうじゃないですか。私、それを聞いたときは誇らしくて、誇らしくて、流石、私共のお嬢様だと思いましたよ。」
その商会の娘パーティーでなにをしているのよ。もしかして、誰と誰が踊ったとか、そればかり見てるの?
「その娘さん、他に何か言ってたかしら。」
マリアンヌは頭痛を覚えながら、ニッコリと笑顔を貼り付けて、店長へ聞いた。店長は、喜んでくれたと勘違いして、饒舌に商会の娘が話してくれたことを詳らかに話し出した。
「ジュリェッタ嬢が、フリード様にダンスを申し込んで断られたんですわね。ジュリェッタ嬢、まだフリード様のこと諦めて無かったんですわね。」
「彼女可愛いから、沢山のダンスの申し込みがあったみたいだよ。なんちゃら伯爵の御子息とか?」
だれだったかね、と首を傾げながら顳顬のところを人差し指で押さえて一生懸命、店長は思い出そうとしている。
庶民でありながら、それだけの貴族の顔や名前を覚えているなんてびっくりですわ。
「店長、その娘さんのご実家って?」
「かの有名なローディア商会だよ。」
ローディア商会。
なら、納得だわ。ローディア商会の会長には子供が二十三人いると聞いているわ、でも、その中で、魔法学園へ入れる可能性があるのはただ一人、オルロフ伯爵の庶子を母に持つエルサ。
有力な庶民は、一族に魔法を使えるものを産むために長年をかけて貴族の血をいれている。ローディア商会の会長は地位こそは庶民だが、その血は青い者達と何ら変わりはない。そこに、庶子とはいえオルロフ家の血が加わり、念願の学園入りを果たしたというわけね。末席だとしてもローディア商会の会長としては快挙よね。
まあ、リフリード様のお母様からしたら、イライラの種でしかないんでしょうけれど、昔から嫌ってらっしゃいましたものね。
「その、お嬢さんはだれと参加されたのかしら?」
「従兄弟の伯爵家の公子様って言ってたよ。」
あら、よくおば様がリフリード様との参加を許したわね。あっ、きっとオルロフ伯爵からの圧力がかかったのね、多分、リフリード様が私との婚約破棄を勝手に行ったから、問答無用でそのお嬢さんのエスコートをさせられたと考えるのが妥当かしら。オルロフ家へのローディア商会からの支援金は多額でしょうから、パートナーにと要請があれば断ることは困難ですもの。
「その、ローディア商会のお嬢さんって、うちのお客様だったりするのかしら?」
「そうですよ。今回のドレスもうちでお買い求めくださったんですよ。」
なら、話は早いわね。
「店長、今度ローディア商会のお嬢さんがご予約されたときは、私に知らせて頂戴。」
彼女とは良い関係を築いていけそうね。
「来週いらっしゃる予定なんですよ。店に戻って日時を確認して連絡しますね。すっごく明るい子なんで、お嬢様もきっとお気に召されますよ。じゃぁ、そろそろお暇しますね。今日もご馳走様でした。」
「こちらこそ、楽しいお時間でしたわ。ユリ、残りのお菓子詰めて差し上げて」
側に控えていたユリがさっと用意してあった紙袋へお菓子を詰めると、それを持ってご機嫌で帰って行った。
もうすぐで、完結します。100ぴったりで終わりたかったのですが超えそうです。




