ハンソン
父の寝室へ呼ばれた。全身に毒が廻りもうそう長くは無いだろう。久しぶりに見る父は、食べられないせいで身体を覆っていた筋肉と、お腹廻りの脂肪が落ち一回り小さくなったが、死期が近いとはいえ眼光は依然鋭いままだ。
「ハンソン、よく来た。お前に話さねばならないことがある。」
「何でしょう。」
伯爵はベッドから起き上がる気配はなく、天井を見つめたまま淡々と喋り始めた。声に抑揚はなく無表情で何を考えているのか読み取りづらい。ハンソンは普段とは違う伯爵の様子に身構える。
「私を嵌めたな。」
「ツッ…。」
言葉を失い、身体を硬くする、緊張が全身に走った。
なぜバレた、完璧だったはずだ。
「お前がクシュナと何か企んでいたのは知っておった。お前は完璧に隠しておったが彼女は隠し事が下手だ。ふっ、これから何か企てるときはよくよく相棒を選ぶことだな。でなければ破滅するぞ。」
伯爵の声は変わらず淡々として、そこからは怒りも悲しみも感じることはできない。
「ご存知でしたなら…」
「止められたか…そうだな、その上でお前を陥れるなど造作も無い。しかし、お前は私を殺さねばならぬのであるのだろう?ならば、いたしかたあるまい。」
「うっ。」
ハンソンは再び言葉に詰まった。
「安心しろ、誰にも言わん。このことは墓場まで持って行く。私もそう長くはない、それでだ、お前の子供の話をせねばならん。」
ハンソンは訳がわからないというように取り乱し声を荒げるが、伯爵は依然無表情のまま天井を見上げている。
「私の子供ですか?私に子供などおりません。」
「まあ、落ち着け、赤目と水色の髪を持つジュリェッタ嬢は間違いなくお前とシュトラウス子爵令嬢の子供だ。」
「落ち着けるわけがございません。ジュリェッタ嬢が私の娘?貴方のではなく?」
私と結婚するはずだった最愛の人。初恋だった。水色の髪が美しい、芯の強い優しい女性。病気がちでベッドにいることが多かった。夜会に誘ってドレスを贈ったが、その日、彼女は熱を出して結局行くことは叶わなかった。一生愛して守ってやると誓ったのに実の父にあっさり横取りされた人。
沈痛な面持ちで声を震わせながら、一向にこちらを向く気配の無い伯爵に問いかける。
「ああ、私とシュトラウス子爵令嬢の間には何もない。」
ハンソンは悲痛な声で叫んだ。
「嘘だーーー!何故?私の婚約者だった、なのに貴方は彼女を私から奪った。」
「そのことか、当時シュトラウス家は破産寸前だった。子爵は娘の婚姻を条件に多額の援助を要請してきた。だが、お前は成人するまで後2年、それまでは婚姻できない。シュトラウス家はその二年持ち堪えるだけの財力がない。婚約締結の陛下のサインが無いことを良いことに、子爵は他の者と彼女の婚姻を進めようとした。焦った私はお前の為に彼女を形だけの我が妻として迎えることにしたのだ。苦肉の策だ、義母となるが他へ渡すよりは良かろうと思ってな。嫁いで来てから全てをお前達二人に話す予定だったのだが、途中であのような事件が起こった…」
嘘だ、嘘だ。
今更言われた所でどうしようもない!
「では、私が成人するまでの二年間、少しずつ援助を行えば良かったのではないですか?」
本当はわかっている、援助をしたところで焼け石に水だったのだろう、彼女の義母は豪商であり爵位を金にものを言わせて買い取った新興貴族の出だ、潤沢な援助金だってあったはずだ。にも関わらず、彼女は流行りのドレス一つ宝石一つ持ってなかった。
「残念ながら、うちは子爵家に十分な援助金を二年間払った上に、結婚時に多額の金を払う財力はない。何せ、彼は借金を増やすことには長けていたからな。」
仮に彼女が腹に私の子を宿していたとしよう、だが、命のない者に子は産めない。
「しかし、彼女は野盗に襲われて亡くなったのでは?」
ルーキン伯爵は静かに首を横に振る。
「亡骸は見つからなかった。見つかったのは侍女と御者、護衛のものだけだ。ただ、馬車が崖から落ちた跡があったので、彼女は中に乗っていたということで捜査は終了しておる。」
おりしもその頃は、竜討伐と敵国との戦争が片付いて三年しか経っておらず、だいぶ落ち着いたとはいえ国は混乱を極めていた。上皇陛下が竜討伐と敵国からの侵略により、多大な被害を被ったと同時に妻である聖女を無くしたその責務として今の陛下に跡を譲られ、リマンド侯爵閣下が宰相になられ一年が経った頃だ。野盗が跋扈し、国の治安は今より数段悪い上に、兵士の数が足りず捜査も直ぐにうちきられた。
嫌な仮説が頭を過ぎる。
シュトラウス子爵令嬢はあの時、一人攫われたのではないか。そして、その野盗の元でその妻として生涯を終えたのではないか?
全身から嫌な汗が流れる。
ルーキン伯爵はゆっくりと蒼白な我が子の顔を見ると、少し長い話になるからと椅子に座ることを勧めた。ハンソンは操り人形のようによたよたと近くの椅子に腰を下ろした、それを確認すると伯爵はゆっくりとまるで御伽噺でも語るように言葉を紡ぎ始めた。
昔、この領域でジュリェッタに会った。彼女はシュトラウス家の血縁者のみが持つ水色の髪とルーキン家の証である赤い眼を持っていた。
不思議に思い彼女の出生を問うと平民だと言う。興味を持ち馬車に乗せ、道すがら沢山の質問をした。わかったことは彼女の父はなんの変哲もない平民であるということ、ただ、彼女は母親も平民と言っていたが貴族だ、そして、ジュリェッタ嬢の話す母親は正しくシュトラウス子爵令嬢だということだ。
母親はどうしている、と尋ねると亡くなったと答えた。彼らが住んでいた場所は普段人のあまり立ち入らない森の中。その上、余り人とは関わらず、一人の男が時折訪れて物を交換していくという生活をしていたらしい。彼女の母親は病気がちで家の外に出ることは滅多になかったと言っておった。
父の話を聞くうちに、自分の考えが間違いではなかったと確信した、それと同時にバルク男爵への怒りが芽生えた
私の妻となるはずだった人と娘を奪った憎き人物。
「すまなかった、お前のためを思ってとはいえ、結果的にお前から妻と子を奪った事実には変わりない。彼女が嫁ぐ前にお前に伝えるべきだった。そうすれば、お前は間違いなく護衛を買って出ただろう。」
「彼女がいなくなったとき、その事実を知りたかった。」
ハンソンは絞り出すようにそう伝えるのが精一杯だった。
不思議と今まで父に抱いていた憎しみが消え、その代わりにもの凄い後悔の念が生まれた。
父と話をすべきだったと後悔した。彼女を亡くしてから父を避け現実から逃げるようにメープル騎士団に入隊し、任務に託つけて一切家に帰ろうとしなかった。もとより、家は居心地の良い場所とは言い難い場所だったことも災いした。兄弟仲が悪く、私に仕える数名の家令以外は常に彼らの味方だ。今でもそれは変わらないが…。
「マリアンヌ嬢のことも詫びねばならないな。知っていると思うがここにお前の味方は少ない。その中で領を治めることは容易ではない。ならば、侯爵家に婿に入った方がお前にとって良いのではないかと私なりに考えた結果だ。全て、上手くいかず、お前の負担となってしまったな。」
許せ。と力無く虚空を見つめたまま、伯爵は謝罪の言葉を口にした。
「クシュナ夫人は?」
口をついて、彼女の名前を出してしまった。我が家を財政破綻ギリギリまで追い込んだ毒婦の名前。
「彼女か…、惚れていた、ただそれだけだよ。毒婦とわかっていても離れられない…、麻薬のような女性だ。もう関わることは無かろうが、お前も二度と彼女に会うな。良いな。」
「惚れていた…。本当にそれだけが原因で…。」
あそこまでの財を貢いだのか?信じられない。父は武官には珍しく策略を練るタイプだ。金勘定も苦手ではない、むしろ貯め込むタイプだと思っていた。
「ああ、それだけだ…。クシュナの我儘は私の初恋の人の我儘に似ていてな。我儘を言われると初恋の人といるように錯覚してしまっていたのだ…。現に初恋の人の夫は彼女のそんな我儘を全て叶えておる。それを間近で見せ付けられ、無意識のうちに対抗しておったのかもしれん。なに、クシュナには最後に今まで貢いだぶんの仕事はして貰った、彼女を恨むでない。」
初めて聞く話だ。父の初恋の相手…、それが、誰を指すかすぐにわかった、欲しい物を全て手中に収め気高く神々しく宝石のように冷たく光り輝く人物。エカチェリーナ皇女ことリマンド侯爵夫人。
「ははは。わはは…」
乾いた笑いが込み上げてくる。
なんと、父はリマンド侯爵と張り合っていらっしゃったのか、どう足掻いても手に入らぬ相手を密かに思って…。
それで、少しでも勝機のある私とマリアンヌ嬢の婚約にあそこまで執着していらっしゃったのだ。我が家の借金問題やリマンド家の潤沢な財産、爵位も勿論だが、皇女の娘をという理由が主だったとは…。
だから、あれ程入れ込んでいたクシュナ夫人を後妻として迎えることをなさらなかったのだな。いつぞや、クシュナ夫人が父に後妻としてルーキン家に入りたいと頼まれていたのを、父がキッパリと断っていらっしゃったのを思い出した。
侯爵も夫人も父の思いなど、全くご存知ないだろう、道化もいいところだな。太々しく厳めしい狸の皮の下にそのような父が隠されていようとは、凄く健気で可哀想な存在に見える。と、同時に死が迫っていることをひしひしと感じ、その存在が居なくなることで起こるであろう問題に胸が押し潰されそうになった。
「手を貸せ」
ルーキン伯爵はやっとハンソンの目を見ると、起き上がろうとする。ハンソンは慌ててそれを手伝い、背中にクッションを置き伯爵を支えた。
「最後の知恵を授ける。」
ルーキン伯爵の目に力強い光が見て取れ、その表情はいつもの悪巧みをする狸そのものに変わる。
「はい」
「我が家の借金はリマンド侯爵家からの褒賞で賄ったと聞いた。ふっ、まざまざと格の違いを見せつけよって忌々しい。まあ良い。最も優先することはジュリェッタ嬢を我ルーキン家の養子にすることだ。」
男爵令嬢とはいえ、王家の後ろ盾を得ているためその待遇は特別だ。それにあの容姿、婚姻の相手にも困るまい。養子にして保護してやる必要性は感じられないのだが…。
「わからぬか?ジュリェッタ嬢は我ルーキン家の赤い眼と、シュトラウス家の水色の髪を引き継いでおるのだぞ。その上
、王族でも習得できない可能性のある治癒魔法が既に使えるのだ。彼女の能力は聖女になりうるはずだ。」
「まさか」
ジュリェッタ嬢を皇后の座に据えるつもりか。伯爵令嬢であれば、皇太子でないジョゼフ殿下との婚姻は容易だろう。陛下のお子はまだ小さい。ならば、戦争でも起こればジョゼフ殿下が皇太子の座に就くことは不可能ではない。ならば、上手く二人をバックアップしてそれを実現せよと言われるのか!
「その、まさかだ。」
父の壮大な計画に寒気がした。流石だな…。
「彼女を早急にバルク男爵より引き離し、教育を施す必要がある。あれでは、誰もジョゼフ殿下の婚姻相手として認められん。一番重要なのは、お前への絶対的な信頼を植え付け、良き方向へ導くことだ。」
皇后教育を施せということか、彼女の噂は貴族内では決して良いものではない。だが、それは全て常識知らずという点だけだ。平民受けは非常によい。上手く教育すればものになるかもしれない、全て私次第ということか。
「わかりました、早急に手を打ちます。」
伯爵はハンソンの返事に満足したようにニヤッと笑う。
「最悪、真実を話す必要があるやもしれん。その時は慎重にな、タイミングと相手、方法を見誤るでないぞ。」
ジュリェッタ嬢が私の娘であるという事実を暴露しろと言うことだな。確かに、その方が皇后になるには都合が良い。
「ジュリェッタ嬢だが私の娘にしておけ。一応、シュトラウス子爵令嬢は我が妻だった相手だ、お前を醜聞に晒すわけには行かぬ。」
気は進まないが、確かに父の子にしていた方が良いか…妻を亡くした父であれば、何処ぞの平民に子がいても何も言われまい。
「わかりました。そのようにさせていただきます。」
「うむ。種は蒔いてある、良き時に芽が出て戦争が起こる。早急に事を進めるのだ。」
父はいったい何をしたのだろう、仕込みは全て毒に犯される前に終わっていたに違いない。いつから計画をしていたのか…。
「その種を教えていただくわけには行きませんか?」
「教えるわけには行かぬ。もし、失敗した場合、その事を知っておるとお前は修正をかけようとするであろう。さすれば、間違いなく誰の仕業か露見する。なに、失敗してもジュリェッタ嬢がジョセフ殿下と婚姻さえできれば、この領でお前に従わぬ者は居なくなる。」




