孤児院 ⑤
マリアンヌが兵隊長への返事を考えあぐねているとハンソンの姿が目に入った。ハンソンは王の間から出てこちらへ向かって歩いて来る。
お父様の警護でいらっしゃってたのかしら?
「ルーキン様、伯爵のご様子はいかがですか?お父様の警護であのようになられ心苦しく思っております。」
「これは、マリアンヌ嬢、父は相変わらずでございます。しかし、これは我がルーキン家の責務でございます。お嬢様がお気になさることではございません。宰相閣下や夫人にはこの上なくお気遣いを頂きこちらこそ感謝しております。我が家の財政破綻の危機は脱して、他所から妻を娶ることも叶いました。これで、貴女に迷惑をお掛けせずともよくなりました。しかし、私が貴女をお慕いしていた気持ちに嘘はございません。それは信じて下さい。ニキータは戦友です。お互い恋心などなくとも彼女とならこの関係を維持して行けると思い婚約致しました。彼女も親孝行程度のものですよ、私との結婚は。」
「お二人の関係は親密だと伺いましたわ。」
「親密。そうですね、部隊でのパートナーですから、もしかしたら親以上かもしれません。何せ命を預ける相手ですから。」
マリアンヌの言葉にさも当然だとでも言うように答える。
これ以上、この会話は不毛ね。
「今日は、お父様の護衛でこちらへ?」
「いえ、別件ですよ。ジュリェッタ嬢を我が妹として、ルーキン家に迎え入れることを陛下にお許しいただけるようお願いに参ったのです。ジュリェッタ嬢の目の色、あれはルーキン家のものである証です。父がどこぞの者に手を出したのでしょう。ただ、赤い目である以上、放っておくわけにも行きませんので。マリアンヌ嬢はどうしてここへ?」
ハンソンはルーキン伯爵について呆れた風にそう言い捨てた。
クシュナ夫人の姿が頭に浮かぶ。
確かに、他に愛妾がいらっしゃって、その方にお子様がいらっしゃっても何ら不思議ではありませんわね。ハンソン様お疲れ様です。これはハンソン様に同情致しますわ。
「今しがた、リマンド侯爵家の馬車が襲われ、その中にリマンド侯爵令嬢がいらっしゃったのだ。ご無事というご報告を宰相閣下にしに参ったのです。」
マリアンヌの代わりに兵隊長が答えると、ハンソンは納得がいった顔をした。が、訝しげに眉尻をピクリと上げるとマリアンヌをじっとその鋭い視線で射抜く。
「近衛騎士を護衛にどちらへいらっしゃった。」
そんな怖い顔、しなくてもいいじゃない。
「孤児院でございますわ、慰問に行ってまいりましたの。」
ハンソンの態度に腹を立てたマリアンヌは、敢えてつっけんどんに返す。
「へー、孤児院へ、ですか。それより、その事を誰かにお話しになりましたか?」
お父様が狙われているかもしれないのに、孤児院へ行ったのかって顔ですわね。お父様のせいでルーキン伯爵が瀕死なのにとでも言いたいのでしょうか?
ハンソンの小馬鹿にしたような物言いにイライラがつのる。
「我が屋敷の者と、近衛騎士への依頼。そして、伺った孤児院ですわ。」
ハンソンは少し考えるとマリアンヌに再び視線を合わせる。
「新しく雇い入れた者はいますか?」
ここ最近、新しく雇い入れた者といえばリンダよね。
「ええ、侍女を一人。彼女たっての希望とかで私付きになりましたの。」
ハンソンは少し驚いたような顔をしたあと、納得したように軽く頷くと何か確認するようにマリアンヌに問う。
「マリアンヌ嬢付きに、という事は今回の孤児院への訪問も前々から知っていたんですね。」
「勿論よ、彼女にも準備を手伝って貰ったわ。」
私付きの侍女ですもの、その手伝いをするのは当然ですのに確認なさるなんて、ハンソン様どうなされたのかしら?
「その侍女は今回の慰問に同行されましたか?」
ハンソンは先程とはうってかわって真剣な雰囲気だ。
「いえ、最初は同行する予定でしたが、手紙を届けてくれると言うのでそちらを頼みましたの。」
「ありがとうございました。今から、宰相閣下に会われるのですよね、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
ハンソンは窺うようにマリアンヌと兵隊長を交互に見た。
「ええ、大丈夫ですわよ。」
「私も問題ございません。簡単なご報告だけですので、むしろハンソン様が一緒の方が手間が省けます。」
「それは助かる。宰相閣下はお忙しい方だ、あまりお時間をお取りしたくない。」
ハンソンは礼を言い、兵隊長の横に移動すると誰かを探すように辺りを見回す。
「番犬が見当たらないが?」
番犬?
「ああ、上司の権限を駆使して、お使いを頼んでいます。」
近衛騎士団で犬を飼っていたとは聞いていませんでしたわ。いつもは、兵隊長が連れてらっしゃるのでしょうか?犬にお使いって、賢いわんちゃんなんですわね。
兵隊長はにこやかにハンソンに答える。
「ほぉ、それで…。」
「はい。」
「あの、どのような犬ですの?」
マリアンヌの言葉に二人は一瞬ビックリした様子だったが顔を見合わせたあと、お腹を抱えて笑い出す。
「はあ、苦しい。これは、あのフリードリッヒも手を焼くはずだ。」
兵隊長は必死で笑いを堪えている。
兄様が手を焼くって、絶対、私のことですわよね。失礼しちゃうわ!
必死で笑いを堪える兵隊長とハンソン、そして一人憮然としているマリアンヌを見て、王の間を守る騎士はぎょっとした顔をする。珍しい組み合わせの上、普段滅多に笑わない二人が必死で笑いを堪えているのだ、まあ、百歩譲って、マリアンヌまで笑っていたら納得するが、マリアンヌはいたく不機嫌な顔をしている、そんな光景を見て驚かない方がおかしい。
「リマンド侯爵ご令嬢、隊長、中で陛下と宰相閣下がお待ちです。ルーキン伯爵は、先程ご用はお済みになったのでは?」
近衛騎士の質問にハンソンではなく兵隊長が答える。
「いや、ハンソン殿も一緒だ。」
「わかりました。」
騎士達の手により門が開く。
中でお父様と陛下へ説明した後、私と隊長は部屋を後にした。ハンソン様は今後の護衛の件で、お父様に話があるとかでそのまま残られました。
「さ、お屋敷へお送り致します。馬車を庭園の東側にご用意致しました。」
隊長に促され馬車が停めてある庭園の方へ向かう。前から見知った顔の女性がこちらへ歩いて来ます。
あっ、おばあさま。
おばあさまは、お父様の方のお爺様の後妻でフィリップ伯爵第一夫人の叔母様です。歳はお母様やお父様より少し上でおばあさまと呼ぶのが申し訳ないような気になります。燃えるような赤い髪が特徴的な、お優しくおっとりとした方で私はとても大好きです。
「おばあさま!」
「まあ、マリアンヌお嬢様、お久しぶりです。魔法学園へ入学されたのでは?」
「もう、お嬢様じゃなくて、マリーと呼んで下さい。魔法学園の入学は半年見送ったんです。」
「そうだったんですね。マリー、お元気でしたか?」
「はい、おばあさまはどうして王都へ?」
おばあさまは普段、リマンド侯爵家の別荘でお過ごしです。
「兄と姪に呼び出されて来たのよ。はあ、あまり頼まれたくない、頼みごとでもあるんでしょうね、気が重いわ。マリー、心当たりある?」
リフリード様の婚約破棄の件かしら?
でも、それはリフリード様から破棄されましたし…。
一応、お伝えした方が良いわね。
「リフリード様と婚約破棄いたしました。あちらの都合で…。」
隊長が側にいらっしゃるのでこれ以上はもうしあげられないわ。
おばあさまはその一言で全てを悟られたのか、深いため息を一つつかれると、マリアンヌの手を取り深く頭を下げられます。
「ごめんなさいね。リフリードがご迷惑かけたみたいね。はあ、これで、呼び出された理由がわかったわ。今から、宰相閣下にご挨拶して、兄の家へ向かうわ。今日は別宅へ泊まるので心配は無用よ。帰る前には本宅へ伺うわね。」
「そんなお気遣いなさらず、本日から本宅へ泊まられたらいいではありませんか。」
おばあさまはマリアンヌの言葉に嬉しそうに微笑むと、少し困ったように軽く肩をすくめる。
「そうはいかないの、そんなことしたらまたあの二人の勘違いに拍車がかかってしまうわ。今でも宥めるのに骨が折れますのよ。では、また後日伺うわね。」
おばあさまは兵隊長をチラッと見ると、マリアンヌに手を振り城へ入って行った。マリアンヌ達はそれを見送ると馬車へ向かった。




