孤児院 ④
騒ぎを聞き付け、近衛兵隊長が建物から慌てて出てきた。
「フリードリッヒ、何があった?」
フリードリッヒはマリアンヌを魔馬から降ろしながら、先程の出来事を手短に隊長へ伝えた。
「わかった。フリードリッヒ、念の為案内を頼む。今、待機場にいるA班出動、場所は南門側、橋の辺りだ。敵は外国人、武器は暗器を使用。飛び道具に注意!」
「はい」
隊長の側にいた一人の騎士が命令を受け、走って建物の中へ消えた。兵隊長は胸に手を当て跪いて許しをこう。
「リマンド侯爵令嬢、申し訳ございませんがフリードリッヒに今一度、魔馬をお貸し頂けないでしょうか?」
「それは構いませんが、他の皆様も魔馬で?」
「いえ、フリードリッヒだけでございます。魔馬は気軽に乗れるものではありませんので、それに他の者達は早駆けが得意ですので」
「オレが普通の馬なら足手纏いと言う訳さ。」
言葉を濁す兵隊長を遮り、フリードリッヒは自嘲気味にハッキリと口にした。
兄様が遅れをとる?
あっという間にA班の者達が馬に乗って現れ、フリードリッヒは魔馬に跨ると元来た道を引き返す。瞬く間に皆の姿は見えなくなった。
「門の封鎖、直ちに伝令を出せ。C班、2方向から現場へ急げ。陛下と宰相閣下へお伝えしろ。念の為、第三部隊のソコロフ隊長にも連絡しろ。」
兵隊長の指示で一斉に騎士達が動く。一通り指示が終わったのだろう、慌ただしく動く騎士達をもの珍しそうに眺めているマリアンヌに声を掛けた。
「リマンド侯爵令嬢、お待たせして申し訳ございませんでした。今からお送り致します。屋敷へ戻られる前に一度、宰相閣下にお会いになられますか?」
そうねぇ、先程の様子では私が襲われたことは伝わっているでしょうし、一度、お父様に無事な姿を見せておいた方が宜しいわね。
「ええ、一度お父様に顔を見せてから帰ります。心配していらっしゃるでしょうから。」
兵隊長は手を差し出した。
「では、宰相閣下の元へ参りましょう」
あら、兵隊長自らエスコートして下さるのかしら?
「お忙しいでしょうに、他の方でも構いませんわよ。」
兵隊長は、ニッと爽やかな笑顔でマリアンヌの手を取ると足を進めた。
「心配には及びません。リマンド侯爵家に、御令嬢をお送りするついでに従者から事情聴取を致しますので、業務の一環です。それに、帰りにまた狙われないとは限りません。部下に任せて御令嬢に何かあったら、宰相閣下に顔向けができませんので。」
まあ、それでしたら遠慮なく送っていただこうかしら。
「そう、ならお願いしますわ。」
「畏まりました。」
兵隊長はマリアンヌの返事を聞くと、機嫌良さげにマリアンヌを見る目を細め口元を微かに緩めた。
「先程おっしゃってましたが、兄様が足手纏いになるほど近衛騎士は馬術がお上手なのですか?」
「兄様?ああそうでした。幼い頃、フリードリッヒと兄弟のように過ごされたのでしたね…。皆が、そこまで馬術が得意というわけではございません。近衛騎士の中でも選りすぐり馬術の得意な者を集めた班です。ご安心下さい、フリードリッヒは近衛騎士の中では普通でございます。それに、私もA班の者達と早駆けをしたら間違いなくおいていかれますよ。」
良かった、A班の方々がとても馬術に長けてらっしゃるだけでしたのね。ならどうして、兄様あんな風に…。
「実は一度、リマンド侯爵令嬢とお話がしたいと思っていたんです。」
「え。どうしてですの?」
兵隊長が私と話がしたい?お会いしたこともありませんわよね。
「単刀直入に言います。私と結婚して頂けませんか。」
えっ、えええーーーー!
お顔はお見かけしたことはございますよ。近衛兵隊長ですもの、ですが、言葉を交わしたのはこれが初めてですわよ。
兵隊長はマリアンヌの手を取ったまま、前に跪いてマリアンヌの視線を捕らえる。
「あの、私、兵隊長様とお話したことは…。」
「初めてではございません。昔、一度だけお会いしたことがございます。子供の頃、リマンド邸へ母と訪れたとき庭でね。覚えていらっしゃいませんか?」
昔、庭でお会いした?いつ?
「子供の頃でございますか?」
兵隊長はクスリと笑い、立ち上がるとマリアンヌの手を引き再び歩き出した。
「もしかしたら、わからないかも知れませんね。あの時の私も母も酷い有様でした。我が領土に竜が出て、母と共に王都へ避難している最中に夜盗に襲われ身包み剥がされ、命からがら逃げていたところを宰相閣下に拾われ、屋敷へ連れて来ていただきました。宰相閣下に出会わなければ、私と母はこの世には居なかったでしょう。」
ぼろぼろの男の子?
「たまたま、私に合うサイズの服が無く。大人用のシャツをお借りして一人サロンで母を待っていた時に、貴女が話しかけてこられたんですよ?そして、これを下さいました。」
胸元のポケットから取り出して、マリアンヌに見せた。手にはリマンド侯爵家の紋章が不格好に刺繍された赤いリボンが乗っている。
「えっ。嘘、あの時の…。」
確かに、そのリボンは私のですわ。ですが、リボンをあげた相手は簡素なワンピースを着たお姉さん。薔薇の花を見ていたのよね。新しい下女だと思って声をかけたんだわ。私、なんと声を掛けたかしら?
あなた変な服着てるわね。髪もバラバラじゃない。リボンあげるからこれで結びなさい!みっともないわよ!!
あっ、思い出した。あの時のお姉さんは近衛兵隊長…。あの日、本来なら一緒に過ごしていただけるはずでしたお父様は、顔さえ見ないまま帰ってすぐに家からでて行かれ、その上、兄様が騎士学校に入学されることを知ってすっごく寂しかったのよね。で、兄様なんか大っ嫌い!って言って、紅茶をひっくり返してユリに怒られて、膨れて部屋から逃げ出した所にいたのよね。苛々してたから他にも酷いこと言った気がするわ。
「あの時はごめんなさい。今更謝ってすむ問題ではないんでしょうけど…。」
マリアンヌは隊長の手を離し、立ち止まると深々と頭をさげた。謝られるとは思っていなかったのか、隊長は一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、それは一時で先程の柔和な表情に戻ると口を開いた。
「大丈夫ですよ。謝っていただかなくても、むしろ私のほうが謝るべきかも知れませんね。あの日、私達のせいで宰相閣下とお過ごしになる予定だった時間を奪ってしまったのですから。」
私、そんなこと言った覚えはありませんわ!
「どうしてそれを?」
「貴女の侍女と名乗る女性から聞きました。私と同じくらいの歳の方だったと記憶しております。宰相閣下はお忙しく、中々お嬢様とのお時間をお作りになるのが難しいと…。お嬢様は今日を凄く楽しみにされていたということ、後、兄と慕っている人が騎士学校に入る事を知り、寂しがっているという事もお聞き致しました。そして、私が戴いたこのリボンはご自分で初めて刺繍されたものだと聞かされました。そんな大切な物を下さるのですから気を引きたかったのでは?と笑ってらっしゃいました。お嬢様は素直ではない方ですからとも仰っていましたよ。」
ユリだわ!その侍女は、絶対ユリ!
ああ、恥ずかしい!このまま走り去りたい!
マリアンヌは、昔の話をされ顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「いつも凛としていらっしゃるリマンド侯爵令嬢も、そのような表情をなさるんですね。可愛らしい。」
「からかうのは止めて下さい。」
マリアンヌはぷうっと頬を膨らませ、兵隊長を軽く睨むとそんなマリアンヌの様子を兵隊長は機嫌良さげに眺めている。
「さあ、歩きましょう。宰相閣下の所へ行くのが遅いとご心配をされますから。私としては、このままずっと話していたい気分なんですけどね。」
兵隊長は軽くウインクをして、マリアンヌに手を差し伸べた。
「宰相閣下ですが、今は王の間にいらっしゃいます。陛下、宰相閣下、共にリマンド侯爵令嬢が行くことは伝えてありますのでご安心下さい。」
「ありがとう。」
マリアンヌは無理矢理、侯爵令嬢の顔を貼り付け手を取る。兵隊長はその様子に必死に笑いを堪えている様子だった。
まあ、失礼しちゃうわ。
「子供の頃にお会いしたことがあることはわかりました。ですがそれでは、私と結婚したい理由にはなりませんわ。」
マリアンヌはわざとつっけんどんな物言いをする。それがツボに入ったのか、兵隊長は吹き出す寸前だ。
本当、失礼だわ。
兵隊長は無理矢理笑いを引っ込めると、真剣な声で話しだした。
「いや、失礼。ますます、貴女が可愛く見えてね。貴女と結婚したい理由は、宰相閣下の後ろ盾と侯爵という肩書が欲しいからだよ。私は継ぐ爵位を持っていない。竜が出たときに我が家はなくなったからね。勿論、貴女のことも好ましく思うし、もし、婚姻が叶ったら生涯、他に妻を娶らず、勿論、愛妾も持たず貴女だけを愛すと誓う。この言葉に偽りはないよ。」
「ハッキリ仰るのね、侯爵家が欲しいと。」
こうも、私がおまけみたいな言い方をハッキリされたのは初めてですわ。ハンソン様と比べると清々しいくらいですわね。
「私は野心家でね、貴女と結婚するだけで、喉から手が出るほど欲しい二つのものが手に入るんですよ、望まないわけはないでしょう?私と結婚して下さるのであれば、でき得る限りの望みは叶えて差し上げます。いかがですか、お考え頂けませんでしょうか?」
「では、私に他に好きな方ができたらどうしたら良いのかしら?」
「相手が既婚者や位の高い者でない限りご用意致しますよ。愛人としてお側に置かれたらよろしいかと…。他の者に気がつかれたら困りますが、それでなければ護衛の騎士や、側仕えとして雇えば宜しいだけのことです。私の子さえ産んでくだされば、後はお好きにして下さって大丈夫ですよ。もし、その者との間に子が産まれましても私の子として育てますゆえにご安心下さい。」
こうまでハッキリいわれると返答に困りますわね。別に好きにならなくても良い。結婚しても好きにして良い。欲しいものがあれば、可能な限り用意すると。それでいて、自分は第二夫人も愛妾も持たず生涯私だけを愛すると宣言なさるのでしょ?
「そこまでなさるほど、我が侯爵家とお父様の後ろ盾は欲しいものなのですか?」
「騎士で有れば皆と言っても過言ではございません。醜女であってもこの条件で婚姻していただけるならと言う者も多数いるでしょう。しかし、ご令嬢、貴女は美しい、爵位を約束されている者であれ、幾人かはこの条件で喜んで婚姻を結ぶはずです。」
にわかには信じられませんわ。世の騎士の殆どがそう思って下さるなんて…。
「このように仰って頂いたのは初めてですわ。」
もしかしたら、兄様もただ侯爵家とお父様の後ろ盾が欲しいだけ?
もし、私との結婚に侯爵家とお父様の後ろ盾と言う価値がなければ、好きと言っては下さらなかった?
「そうでしょうね。宰相閣下とフリードリッヒが貴女に誰も近づけぬように牽制してましたからね。私も、このような機会がなければ口説くことなど叶わなかったでしょう。不躾に求婚したことは詫びます。しかし、私の気持ちに偽りはございません、一度真剣に私との結婚をお考え下さい。返事は急ぎませんので。」




