リマンド侯爵夫人の夜会 ⑤
「旦那様、もう一つお耳に入れるべき話がございます。」
セバスがその場を仕切り直すように、ティーカップにお茶を注ぐ。
「なんだ。」
侯爵は組んでいた脚を下ろし、それに口をつける。
「はい。ルーキン伯爵が、御子息をマリアンヌお嬢様の婚約者へ推す動きがございます。リフリード様の時も大分揉めましたが今回も何かしら動きがあるやと。」
セバスはフリードリッヒに目を向けた。
ようは、兄様の粗探しをして夜会で糾弾?または、嫌み攻撃?それか、わたしを口説きに来る?ってことかしら?
「夜会ではマリーの側を離れないように致します。どうぞご安心下さい。」
力強く、フリードリッヒは侯爵に誓う。
「うむ。処で、ルーキン伯爵の所は誰をマリーの婚約者へ推してるのだい?前回は長男だったが、あれとは、歳の差があり過ぎると断った筈だが、次男か?」
「いえ、長男のハンソン様でございます。」
ハンソン・エド・ルーキン、茶色の髪にコバルトブルーの瞳。大柄で筋肉質な身体、彫りが深く猛禽類を連想させる顔。夜会で不躾な視線をよこしてくる人物。一度踊ったことがあるが、相手に合わせる気がなく振り回され踊りづらかった。会話も通じなかった記憶がある。それより、その時の舐めるような視線に嫌悪感を覚えた。
ハンソン様、今年29歳になられるのよね。年齢差より、男尊女卑を当然としたあの振る舞いが苦手なのよね。正に、権力を笠に着るタイプよね。ああ、嫌だ嫌だ。
「なぜまた?」
侯爵は眉を上げ、訝しげにセバスに目を向ける
「ハンソン様がマリアンヌお嬢様に思慕されていらっしゃるということです」
ぷっ。
マリアンヌは、口を付けた紅茶を吹き出しそうになった。
ハンソン様が私に思慕していらっしゃるとはビックリで御座います。お茶を吹き出してしまいそうになりましたわ。侯爵令嬢ともあろう者がいけませんわ。平常心、平常心です。
フリードリッヒはセバスの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をし小さく舌打ちをした。
侯爵は、少し思案してマリアンヌを揶揄うように口角を少しあげ聞いてきた。
「マリー、ハンソンとの婚約はどうだ?」
ハンソン様との結婚など死んでも御免です。
「いやです。そんなことになりましたら、修道院へ行きますので」
マリアンヌがあまりにも力強く言い切るので、侯爵はお腹を抱えて笑い出した。目尻には涙が溜まっている。
「そうだよな、うん。私もアレが義理の息子とかあり得ない」
なら、聞かないで下さいませ。お父様。まだ、笑ってらっしゃる!兄様、なんか疲れた様な顔をなさっていますが、大丈夫でしょうか?
「問題は、ルーキン伯爵と、ミハイロビッチ様の繋がりが無いかと言うことでございますな。ルーキン伯爵にはもう一つ疑惑がございます故に。」
セバスが先程の空気を締めるように真顔で続ける。
「ルーキン伯爵は、ジル商会に多額の負債を抱えていらっしゃいます。しかし、ルーキン伯爵の領地が不作であったという報告も、魔物が出たと言う報告もございません。クシュナ夫人の所に足繁くお通いだという噂です。その負債は、クシュナ夫人への貢物の可能性もございます」
クシュナ夫人、母とは真逆の美人の肉感的な未亡人。儚げでそれでいて妖艶さがある、夜会ではいつも沢山の男性に囲まれていらっしゃいます。
「随分キナ臭いな。クシュナ夫人とは」
お父様は、やれやれと肩を竦めた。
「お父様、クシュナ夫人はどのような方ですの?お綺麗な方ですが。」
「隣国であるアーシェアの第二皇子に見初められ、スミス家の養女になりアーシェア国に嫁いだのだが、不幸な事に第二皇子が突然病死してね。一時は向こうで暮らしていらっしゃったのだが、言葉や文化に馴染めず戻っていらっしゃったんだよ。それなりの離縁金を頂いて帰って来られたのだが、華やかな方でそのお金も尽き、スミス家とは縁が切れて援助して頂けないので、有志の援助で生活なさっている方だよ」
お父様言葉を選んでらっしゃいますが、要は、アーシェアの言葉とマナーを覚えられず、其方の王室で過ごすのが難しいので戻っていらっしゃった。それなりに、一生生活できる分の財産を頂いてきたが、派手なので全て使い。スミス家に生活費を頼んだが断られたので、男性に貢いで頂いて生活しているということですか。パーティーでの夫人への目が変わってしまいそうです。
「積もる話も済みましたし、私は領地へ戻ると致しましょう」
セバスが軽くウインクして、席を立った。
「私はコレを片付けるから、マリー、フリードリッヒ、セバスを送ってやりなさい。ダンスのレッスンの礼も忘れないように」
侯爵は軽く溜息をつき机の上の書類を指差した。
わかりましたお父様。セバスは私達のダンスレッスンの為だけに来たのですね。それでわざわざ、楽団まで呼んで本格的なレッスンでしたのね。で、これらの話は積もった世間話ですのね。
私と兄様はセバスの見送りです。馬車まで送ります。
「セバス、私のダンスレッスンの為にわざわざ領地から来てくれてありがとう」
「いえいえ、お嬢様のレッスンは絶対に他の者には任せられませんから。ダンスのレッスンを御所望の時はいつでも呼んで下さい。馳せ参じますので。」
玄関前で一芝居です。領地でのことを聞きたかったら、呼べばすぐ来ると言うことですね。わかりました。
「わかりました。ダンスのレッスンが受けたくなりましたら、呼びますね。」
「セバス、助かったよ。久しぶりに踊るから不安だったんだ。自信がついたよ。」
「フリードリッヒ様。練習を怠りませんようにな」
「ああ、わかってるよ」
笑顔でお見送りです。ユリがバスケットを渡します。
ユリしっかり用意させていたんですね。侍女の鑑です。
「セバス様、サンドイッチです」
「おお、ユリありがとう。道中ゆっくりといただくことにしましょう。では、名残惜しいですがもう出発致しますぞ。」
柔かにセバスは馬車に乗り込んで、領地へ戻って行きました。




