第87話「少女の皮を被った化け物 幕間②
セシルが部下にフィリップ派閥軍を適当にブチ殺してこい!と、命令している横で、色々と悩んでいる女性がいた。
陰鬱な表情で馬に揺られる悩めるスパイの名は、レオニー。
そんな彼女の悩みは大きく分けて二つ。
まず、一つ目。
「マリー様、今頃激怒しているだろうな……」
彼女は憂鬱な気分で呟いた。
王宮でフィリップに対応している筈の上司、王女マリーのことを考えながら。
「きっと、『レオニー!貴方がいたのに何故あのシロクマを止められなかったの!?』と。しかも、『わかってて止めなかったのでしょう?ああん?』と。ああ、ヤバい……お給料減らされる……どうしよう」
困ったことに、それらは脳内マリーの言う通り。
紛れもなく、事実なのだ。
彼女は、わかっていて敢えてセシルを止めなかったのだ。
珍しく、自分の感情に従って。
だが、当然そのツケは自分で払わねばならない。
「ああ、どうしよう……」
そう言って、彼女は頭を抱えたのだった……が、しかし。
二つ目の悩みに比べれば、そんなものは些細なことであった。
では、二つ目。
レオニーは今、人生で初めて芽生えた感情に戸惑い、悩んでいた。
その状況を説明すると、現在彼女は一時的に本来の部署(暗部)からリアンの特別プロジェクトチームへ派遣されている。
そして、派遣先の上司が彼女にとって、余りにも魅力的過ぎて心酔してしまったのだ。
ついでに人生初の恋もした。
そんなことは彼女にとって、初めての経験だった。
今までレオニーは何に対しても、それほど関心がなかった。
彼女は過酷で特殊な環境で育ったが故に、恋や仕事どころか、自分の命にさえ執着しないような状態だった。
今までは。
それが、ある出会いで一変したのだ。
そう、素晴らしい上司改め、皇太子マクシミリアンとの出会い。
彼との出会いが、彼女を変えた。
今までは冷徹、冷酷、冷淡、そんな単語がぴったりだった彼女が、喜び、怒り、泣き、笑う、といった感情を見せるようになった。
そして次に、内面の変化と共にマクシミリアンへの好意が芽生えた。
が、初めてのことに彼女はどうして良いか分からず戸惑い、悩んだ。
しかも、今まで人生の大半を暗部で過ごした彼女は、女としての自信の無さから自分を過小評価してしまう。
その結果、彼女は素直に妻や恋人になりたいと願うことができない。
今の彼女にあるのは、ただ彼の側にいたい、役に立ちたい、という思いだけ。
と、そんな状態のレオニーなのだが、幸か不幸か、リアンが彼女に対して『君を手放したくない』(あくまで仕事上の話)と、口に出して言うぐらいに信頼されていた。
そして、いつしか彼女の思いは少しだけ進化して、その彼と離れたくない、と思うようになった。
仕事では優秀なリアン率いるプロジェクトチームは、彼の元で一致団結し、目覚ましい成果を上げた。
だが、もうすぐプロジェクトは終わり、チームは解散され、彼とは離ればなれになってしまう。
なお悪いことに、リアンはこれを機にここを去ってしまう。
何処か遠くへ行ってしまうことも決まっており、このままではもう会えなくなる。
しかも、彼女は彼女で元の部署に戻され、我が儘で陰湿で陰険で凶悪な悪魔のような本来の上司にこき使われる運命なのだ。
ここでレオニーは、人生で初めて願った。
今まで何の疑問も持たず、今の職場にいることが当然だと思っていたが、今回初めて自分の意思で、心から願った。
彼と一緒にいたい。
離れたくない、と。
そして敬愛する、いや愛する上司と何とか一緒にいられる方法はないものかと、彼女は道すがらずっと考えているのだが……。
そう都合よく、良いアイデアは浮かばない。
「はぁ」
行き詰まった彼女が深いため息をついた、ちょうどその時、彼女の元に部下が慌しく報告にやってきた。
「失礼します!レオニー様、ご報告が……」
が、彼女は珍しく露骨に苛立ちを覗かせながら答えた。
「え?何?今、忙しいのだけど」
「も、申し訳ありません!ですが、急ぎの報告がありまして……前方の平原に第二王子派貴族の軍、約二千が展開しております!」
「あ、そう」
部下は重要な内容を一生懸命に報告したが、彼女の返事は冷淡だった。
重要事項を迅速に、しかも瑕疵なく伝えた筈なのに、こんな扱いをされた部下は困惑するしかない。
「は?え、えーと……指示を……頂きたいのですが……?」
だが、それでも彼は懸命にも何とか指示を仰ぐ。
その甲斐あって、やっと彼女は真面目に指示を出した。
「では、スービーズ軍に協力してさっさとそいつらを片付けなさい。兎に角、私は今忙しいのよ」
「は、はい!……あ、なるほど」
かつてない上司の態度に、よほどの案件があるのだと、部下はそこで勝手に納得した。
まあ、彼女にとっては最重要事項であるのは間違いないが。
「貴方達は先行して情報収集と撹乱を。あ、必要なら首謀者達の家族とか誘拐してもいいわよ?目の前で一人ずつ無惨な姿にしていけば多分降伏するから。仔細は任せるから宜しく」
「え?ええ!?」
そして、全てを丸投げされた彼は驚愕し、更に困惑した。
が、そこで今度は彼女が急に凄みのある本来の顔になって付け加えた。
「あ、マクシミリアン様には言わず、秘密裏にやりなさい。殿下は繊細だから、
きっと不安に思われてしまうわ」
「は、はい……」
彼はここで、『このような配慮をされる方だったかな?』と不思議に思ったのだが、続く彼女の言葉でその疑問は脇へと押しやられた。
「では、行きなさい。殿下に歯向かった愚か者達に地獄を見せろ」
彼女は冷たくそういうと、頬に手を当て、考え事に戻ったのだった。
「……」
部下は唖然とし、そして無言で去っていくしかなかった。
一方、必要な指示を出し終えた彼女は、その瞬間から部下の存在は視界から、いや意識から消えていた。
「それにしても、どうしたものか……、殿下が廃嫡された後も、何とかお側でお仕え出来ないものか……」
その美しい顔の額にシワを寄せながら、彼女は呟く。
「妻とか、恋人とか、愛人でなくていいんだ。私は兎に角、あの方の側にいたいだけ……」
更に、切なさが滲み出るような表情で続けた。
「勿論、無給でいいし、なんなら欲望の吐口というだけの存在でもいい……そう、私は都合の良い女で構わない……のだけど……やはり、それでも難しいか……」
最後には苦悶の表情を浮かべた……が、そこで彼女は、
「はあ、この面倒な立場さえ無ければな………………ん?立場?……が、無ければ?……ん!?」
閃いた!
そして次の瞬間、レオニーは目を見開き叫んだ。
「そうだ!スパイ辞めよう!」
レオニーが恋の病を重症化させ、取り返しがつかないところまで行きそうになっているのと同じ頃、場所は再びトゥリアーノン宮殿、フィリップの私室付近の物置部屋。
その薄暗い室内に今、二人の男によって、猿ぐつわをかまされ、両手を縄で縛られたリゼットが乱暴に放り込まれた。
「もがぁ!」
ドスン、という音と共にリゼットは埃っぽい床の上に転がった。
床に落ちた衝撃と恐怖で涙を浮かべた彼女に、欲望をたぎらせた獣達が迫る。
「もがぁ!もがぁ〜……」
必死で抵抗しようとする彼女だが、この状態では何も出来はしない。
「大人しくしろ!」
その言葉と同時に押さえつけられ、いよいよ男のいやらしい手がリゼットの豊かな胸部に迫った。
が、そこで、
「おい!待て俺が先だ!」
横槍が入った。
「はあ?ふざけんな!」
言い返したもう一人の男と、そのまま順番を巡って口論を始めた。
そして、数分後、
「俺が言い出しただろうが!それに、俺はこういう巨乳の女が好みなんだよ!」
「うるせえ!俺だって好みなんだよ!」
と、不毛な言い争いをしていると、いきなり横から声がした。
「あのぉ〜、私はぁ、貴方達のどちらも好みではないのでぇ、遠慮するのですぅ」
「「っ!?」」
男達は驚愕し、振り返った瞬間。
銀色の線が素早く横に走り、二人は首から血を吹き出してその場に倒れた。
蝋燭がぼんやりと映し出すのは、血溜まりの中で、ゴミを見るような目でそれらを眺めているリゼットの姿だ。
血の付いたナイフを持ったまま立つ彼女の雰囲気は、普段のそれとはまるで違っている。
いつもは眠たそうにしている目はしっかりと開かれ、今は鋭く冷たい瞳がそこにある。
そして、口を開けば、
「下衆どもが。主が主なら、部下も部下ですね」
これも普段の様子からは想像もつかないような低く淡々とした口調だ。
「全く、少し考えればマリー様付きのメイドが、ただのドジっ子美少女な訳ないとわかるでしょうに。さて、マリー様は兎も角、アネット様が心配ですし戻るとしましょうか……と、その前に」
そこでリゼットはパンパンと、両手で軽く頬を叩いた後、いつもの表情で呟いた。
「ふぅ、ではぁ、怒られる前にぃ、マリー様のところへ戻りましょうかぁ」
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