第322話「セシロクマン軍曹①」
シャケ王子が愛人という名の労働力を手に入れる為に奮闘しているのと同じ頃、バイエルライン王都近郊の、とある演習場では……。
「このうじ虫共!モタモタするな!さっとやりなさい!あとほふく前進するときに足を上げてバタバタさせない!実戦の時に矢で撃たれますよ!」
人工的に作られた泥沼の中で、模擬剣を抱えて必死に這いずり回る四十人程の騎士見習い達に向かって鋭い罵声が響き渡り、
「「「マム!イエスマム!」」」
と屈強な男達が精一杯声を張り上げてそれに返事をした。
ここは軍の演習場である為、罵声や怒号はなんら不思議では無いのだが……実は二点ほど少々……いや、かなりの違和感があったりする。
まず一つ目。
罵声を浴びせ掛けている教官的な人間が、いわゆる鬼軍曹的な人ではなく、鎧姿(セ◯バー風)の(特に身体の一部が)スレンダーな美少女だと言うこと。
そして彼女が引き連れているのがクールビューティーなメイド長やフライパンを装備したミニサイズのメイドや厳ついフルプレートの鎧を着込んだ騎士(♀)等だということだ。
本来このような教育部隊の教官や助教は歴戦の古強者感漂う下士官的な存在がやることが多いが、何故かここでは主に美少女、美女、幼女などの女性陣がやっている。
一応言っておくが、決して美しい女性陣に罵られて楽しむドMな趣向などではない。
違和感二つ目。
罵声を浴びせられている側である、約四十人の集団の内訳である。
この訓練部隊の内訳を見ると、騎士見習いの屈強な若い男達と、『見習い騎士ではない』数名の女子がいる。
そう、ノエルのような見習い騎士でもない数名の女子が何故か訓練部隊に混ざっていて、しかもその内訳が『幼女と少女×2』なのだ。
更にその中でも幼女は特に高貴なオーラを放っている。
そんな不思議な構成の集団が現在、人工的に作られた浅い泥沼の中を刃を潰した模擬剣を持たされ、泥塗れになりながら、ほふく前進の訓練をさせられているのだ。
そして今、沼の淵にいるスレンダー美少女教官こと、我らがセシル=スービーズ(セ◯バーVer)が残忍な笑みを浮かべながら告げる。
「遅い!10セット追加!」
「「「そんな!?」」」
ただでさえセシルによる今までの容赦ない訓練で疲弊しているところにそう告げられ、流石の屈強な男達も絶望的な表情で怨嗟の声を上げた。
「ふん!感謝しなさいノロマ共!本当はあと30セットと言いたいところを10セットで勘弁してやると言っているのです!なんと約67パーセントオフ!どうです?凄くお得でしょう?さあ!早く続きをやりなさい!」
と、セシルがどこかのシャケからインスピレーションでも受けたのか、過酷な訓練という商品を兵士達に押し売りして彼らの尻を叩いたところで、
「ふざけんな!もう我慢の限界だ!このランスのまな板女がぁ!ぶっ殺してや……」
と言って怒りと疲労でおかしくなった騎士見習いの屈強な大男が一人、訓練用の模擬剣でセシルに殴りかかろうとした。
絵面的には一応儚げなに見えるかもしれない美少女に大男が模擬剣(金属製)で殴りかかるという割とヤバい構図なのだが……。
しかし彼女を始め、その背後に控える助教のメイド長のマルセル、メイド兼マスコットのリディー、ドMのバイエルラインの騎士フローラその他の補助要員はセシルの強さを知っている為、助けに入るどころか微動だにしない。
寧ろこれから起こるであろう事態をほぼ正確に予見している彼女達の視線からは、憐れみすら感じられる。
そして当のセシルは眉一つ動かさずに一言。
「マルセル」
彼女がメイド長の名を呼ぶと、背後に控えていたマルセルが即座に主人の命を理解し、躊躇なくそれを実行する。
「イエス、ユアハイネス……せい!」
そして次の瞬間には『ボゴォ!』という鈍い音と共に見事な右ストレートが大男の顔面に叩き込まれ、
「ぐわぁ!」
騎士見習いの大男は泥に沈んだ。
泥の中に倒れ込み意識が朦朧としている相手対して、セシルは容赦の無い言葉を浴びせる。
「貴方のバイエルラインへの忠誠はそんなものですか!命を賭して国や領民、貴方の大切な人々を守るのではなかったのですか!この程度の訓練も出来ずにそれができるのですか!この無能め!悔しかったらガッツを見せなさい!」
「うう……マム!イエスマム!……く、くそぉー!うあああああ!」
怒り、憎しみ、悔しさでその訓練生は身体を震わせた後、泥の中から模擬剣を拾って泣きながら戻って行った。
「ふー、全く……これぐらいのことで根を上げるとは……バイエルラインの男も案外大したことないですねー、リアン様ならこの程度余裕で……いや、ですが敢えて手取り足取り私が…………む、おや?あれはいけませんね」
一瞬意識がシャケの方へトリップしかけたセシルは正気に戻ってそう呟くと、泥の中を這っている訓練中の男達の方へ具足が汚れるのも構わずズンズン入って行った。
それから他の訓練生達からかなり先を行く一人の騎士見習いの背中を躊躇なく踏みつけた。
「ぐわぁ!な、何をするのですか軍曹殿!?自分はしっかりと訓練をこなし、誰よりも早く先に進んでいるのに!」
いきなり理不尽な目に遭った若い見習い騎士が抗議の声を上げ、セシルに問うた。
するとセシルは怒りを露わに答える。
「見なさい!貴方の仲間が!部隊の仲間が遅れています!仲間を見捨てるのですか!愚か者!」
彼女に言われて後ろを見れば、そこには体力が尽きかけた訓練生の一人が最後尾でほとんど動けなくなっていた。
「え?……あっ!」
「軍というのは個の力など微々たるものです!いくら貴方一人が優れていようとも、巨大な力と力がぶつかる集団戦では一人だけ強くても敵には勝てません!何度も言ったでしょうが!この愚か者!」
などと偉そうに言っている彼女自身が自分一人の力で集団を……具体的には近衛兵一個中隊百二十人を何とかしてしまったという実績?があるので、それを言うのは理不尽な気がしないでもないが。
「も、申し訳ありません軍曹殿!自分が間違っておりました!」
兎に角、セシロクマン軍曹のありがたい?助言を受けた訓練生は間違いを認めて己を恥じ、悔い改めた。
「分かったのなら宜しい、仲間を助けてプラスで10セット!……あと私は軍曹ではありませんけどね」
「マム!イエスマム!」
そういうと若い騎士見習いは急いで遅れている仲間の元へ走って行った。
因みにクールなメイド長マルセルはそんなセシルを見て、
「おお!セシル様、お母上、ナディア様のようにご立派なられて……マルセルは嬉しゅうございます!」
とか涙を流して喜んでいる。
「ふぅ、分かってくれたようで良かったです、若いっていいですね……それに比べてあの連中ときたら……」
18歳のセシルが『若いって』とか訳の分からないことを言ってから、今度は呆れ顔で別の方を見た。
そこでは同じ訓練場の一角で本隊とは少し離れたところで三人の新兵が別メニューの訓練(沼の周りをランニング)を受けて……いや、無理矢理受けさせられていた。
一人目。
「ハァハァ……な、何故……ハァ……こ、高貴な私……が、こん、な…ハァ……目に!?」
シャツにズボン、特注の小さな革鎧にブーツという兵士としては比較的軽装姿のバイエルライン内政担当大臣代行、マリー=テレーズ=ルボン二等兵。
二人目。
「ゼェゼェ……そうよ!何でアタシま……うわっ!ぶっ!」
同じく軽装姿の王女付き女官、兼内政担当大臣代行補佐官、アネット=メルシエ二等兵が叫んだと同時に小石に足を取られて、横にいた乳牛を道づれに泥の中へ派手にダイブした。
三頭目。
「ぐわぁ〜!……ふぇ〜ドロドロなのですぅ〜……アネット様酷いのですぅ〜、後でお洗濯とマリー様の愚痴を聞くのが面倒なのですぅ〜」
マリー付きのメイド、兼護衛、兼乳牛のリゼット=ホルスタイン二等兵。
暗部出身の彼女にとってこの程度の訓練内容は正直余裕なのだが、単純に洗濯と主人の愚痴が増えて面倒くさいと泣き言を言った。
そんな文句と泣き言をのたまう連中に向かって公爵令嬢、兼女王(バイエルライン占領軍司令官)、兼バイエルライン騎士見習い訓練教官の『セシロクマン軍曹』が鋭く叫ぶ。
「お黙りなさい!マリー二等兵!貴方は泥と汗に塗れて現場の苦労や気持ちを少しは知るべきです!」
「むー!現場は上の言うことを大人しく聞いておけばいいです!私は大理石の階段の上から命令する側なのです!優秀な私の下ならそれで上手く回るのでノープロブレムなので……」
マリーは反抗的に言い返すが、
「口答えしないの!生意気なマリー二等兵は追加で10周!悔しかったらガッツを見せなさい!」
訓練内容の追加という手段で即座に報復された。
「す……って、ふざけるなー!うがー!」
「マリー二等兵!返事は!?メニューを増やされたいの?」
「ぐっ!……マム!イエスマム!」
「ふむ、宜しい」
マリーはキレつつも賢い彼女はセシロクマに抵抗しても無駄なことを理解している為、素直に返事を叫んだ。
そして律儀に彼女専用の模擬剣(または子供用の木製のおもちゃとも言う)を抱え、トコトコと走り出したところで……。
「ぐぬぬー、おのれセシロクマン軍曹めー……え?あっ!アネット!?きゃあ!」
「ハァハァ、なんなのよー……え?ちょ、マリー!?うわ!」
怒りと疲労で注意力が散漫になっていたマリーは泥沼から出て来た全身泥まみれのアネットにぶつかってバランス崩し、可愛らしい叫びを上げながら仲良く泥の中へダイブした。
「もうー、最悪なんだけどー……ねえセシルー」
ここで再び這い上がってきたアネットからも抗議の声が上がった。
「こら!ここでは教官と呼びなさい!アネット二等兵!」
「ぐっ!こ、このまな板女……」
怒られたアネットがまな板女に怨嗟の声をあげかけたところで、
「こら!そこの桃色ビッチ!何か言いましたか!?」
即座にセシロクマン軍曹のそれだけで人を殺せそうな鋭い眼光と罵声が飛んできた。
「ひぃ!?……と、兎に角!現場の苦労が〜っていうならアタシ下町育ちの苦労人なんだけど!?」
顔まで泥にまみれたアネットは怯えながらも、なんとか抗議した。
「ふぇ〜だったらワタシだってぇ〜地べたを這いずり回る現場の人間の一人なのですぅ〜」
更にリゼットもそれに便乗して声を上げたが、しかし。
セシル……いや、セシロクマン軍曹は哀れな二人を見ようともせず、涼しい顔で告げる。
「アネット、確かに貴方は下町育ちの苦労人かもしれませんが……」
「でしょでしょ?だったらアタシは……」
と僅かな希望の光が見えたと勘違いしたアネットが顔を明るくしたが……、
「でも今は家柄ロンダリングで書類上では侯爵令嬢ですし、仮にも王女であるマリー専属の女官という『高貴』な身分でしょう?」
セシロクマン軍曹はニヤリと笑いながらそう言った。
「ぐぬぬ!」
如何ともし難い事実を突きつけられたアネットは、悔しげに呻くことしか出来ない。
更にセシルは追い討ちをかける。
「それにマリーと仲良しなのをいいことに、おやつのスイーツを食べまくって最近お腹のお肉が気にな……」
「なってない!なってないもん!ちっとも気になってなんてないんだからね!うわーん!」
アネットは涙目でそう叫ぶと模擬剣(金属製)を担ぎ、半ギレで走って行った。
セシロクマン軍曹はそんなダイエッターアネットの姿を見ながら意外に逞しいですねー、などと少し感心しながら、今度は哀れな駄牛に視線を向ける。
「リゼット」
「ふぇ!?え、えーとぉ〜ワタシはぁ〜マリー様の護衛なのでぇ〜一緒に泥んこになって訓練するとぉ〜いざという時に直ぐに動けないのでぇ〜」
哀れな駄牛は怯えつつ、最後の抵抗を試みるが……。
「……選びなさいリゼット二等兵、ステーキとしゃぶしゃぶ、どちらがいいですか?あ、活け造りもアリですよ?」
セシロクマン軍曹は最後に残った怯える牛に冷酷な眼差しをピタリと向けながらそう告げた。
「ふぇ!?い、今!今すぐ訓練に戻るのでありますですぅ〜!ふぇ〜ん!」
獰猛なシロクマに恫喝された駄牛は心の底から戦慄し、大慌てで模擬剣(金属製)を背負い、マリ・アネを追いかけたのだった。
それからセシロクマン軍曹は鋭い眼光を眼前でランニングする三人に向けたまま、やれやれとため息を吐き、肩をすくめて呟く。
「全く、この連中はそれぞれ(小悪魔は心、ピンク髪はお腹、駄牛は乳)弛んでいますねー……この間届いたモヤシと髭(お父様と陛下)からのお手紙に『マリーを少し教育してやってくれ』とありましたし……やはりもっと厳しくしないといけません!ふふ、これはシゴキ……いえ、やり甲斐がありそうです!」
因みにその日の訓練は、それから三人が指一本動かす元気が無くなるまで続いたのだった。




