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夢の近似値

作者: livre

#三題茶会


5月お題

・進化の過程で

・弱者の生き方

・夢

 夢がある。

世界平和?

就きたい仕事?

幸せな家庭?

エトセトラ、エトセトラ。

 そんな綺麗な夢じゃない。

こんな優しい夢じゃない。

僕の夢は、


 下卑た笑い声。青空を背景に僕の脚が飛んでいく。

それはすぐに視界から消え、近くのコンクリートにゴツンと落ちた。

「こんなもん着けてさ。本当気持ち悪いな、お前。

まぁ取ったら余計に気持ち悪いけど。……こんなの、人間じゃないだろ?」

取り上げた張本人の声が降ってきた。僕は何も言い返せない。

痛む身体を起こして見てみれば、自分で見たって「気持ち悪い」と感じたからだ。

膝の下がすぼまって丸い。そこから先には何も無かった。

「気持ち悪いよ。それに無様だ。人間の出来損ないのくせに、自分も周りと同じように生きていけると思ってるわけ?」

そう言い放って、既に何度も痛めつけられた身体にまたひと蹴り。

「思ってないよ。」の小さい声に重なってチャイムが鳴った。僕の言葉は今日も彼に届かないままだ。

大きな舌打ちが響いて、吐き掛けられた頭上から唾が落ちてくる。

「早く死ねるといいな。」

僕の死を祈る台詞を残して、彼は悠々と去って行った。二本揃った、人間の脚で。

 動けないほど殴られたわけじゃないけれど片脚では立ち上がれない。

自然這い蹲るようにして、投げ捨てられた義足のもとまでいくことになる。

砂利を引きずる音がする。制服は破れていないだろうか?

口の中は鉄の味でいっぱいで、喉に流れ込んだ血が痛かった。

身体も。全部。痛かった。

「授業には間に合わないや……」

義足を着け直してよろよろと立ち上がる。保健室へ行くことにしよう。

脱がされたズボンを履き直して、壁を伝って校舎を歩いた。


 立て付けの悪い保健室の扉を開けると、保健医が血相を変えて駆け寄ってきた。

彼女は「どうしたの?」なんて訊かない。今更確認する必要もないからだ。

ただひとつ小さい溜息をついて、その顔に慈愛と悲哀を浮かべたまま静かに治療をしてくれる。

手当てが終わるといつものように紅茶を淹れてくれて、

「それで……」と切り出した。

「今日も、また……?」

こくり、と肯いた。頭が動いた弾みで涙が落ちる。この為のタイミングを僕は逃さない。

「……出来損ないだって言うんです。」

なるべく小さな声で。でもきちんと聞き取れるように。話し辛そうに、心から悲嘆した表情で。

「僕には片脚が無いから気持ち悪い。人間の出来損ないだって……。

出来損ないのくせに普通に生きようとするなって……」

そんなことを言うなんて信じられない、そんな表情で目の前の女性は口許を覆う。

それに相反するように僕は薄く笑った。自嘲的に。そして、儚く。

「今日は去り際、早く死ねるといいな、なんて言われちゃいました。」

笑っていた顔を崩す。堪え切れなかったかのように全部を歪めて涙を溢す。

「やっぱり、そう、なのかなぁ……」

すると彼女は僕を抱き締めた。

「そんなことない!」と叫ぶ声は涙に震えていた。

消毒とシャンプーの混ざった香りが心地良い。柔らかな体温も心地良い。

決して好みのタイプではないけれど、抱き留められると救われるのだ。この後にもらえる優しい言葉と同様に。

「あなたは出来損ないなんかじゃないわ。」

僕を抱き締めたままで言う。僕は腕の中で震えている。

「あなたは出来損ないなんかじゃない……。他人にそんなことを言える人間の方が、余程出来損ないだと私は思うわ。」

 今だ。

彼女の身体からそろりと離れて、その瞳をじっと見つめた。

「……そうかな。そう、思いますか……?」

言い終わってすぐ涙が流れた。はかったわけではないけれど、我ながらいいタイミングだ。

彼女は「大人としてこんなことを言ってはいけないと思うけど」と前置きをしてから言う。言ってくれる。

「社会にとって、生きていてはいけないのは……きっと、本来」

あの子の方よ。

その言葉に、込み上げる笑いを必死に噛み殺して

「ありがとう。先生。」

と項垂れてみせた。

その頭を優しく撫でる手を感じながら、僕は密かに微笑んだ。

 彼を批判したのは僕じゃない。代わりに怒り、罵ったのは、彼女の方だ。


 スッと胸のすく思いがして、朗らかな気持ちで保健室を出た。

今日はこのまま帰ってしまおう。

身体はまだ痛むけれど、心は不自然なくらいに軽かった。

授業中らしく妙な静けさが漂う校舎を出る。さっきまで僕を殴っていた彼も、今は大人しく机に向かっているのだろう。


 たかが保健医に何が出来るでもない。

僕にとってああいう役目の大人は何人か居るけれど、その誰もがこの状況を打破する術をもたない。

明日あるいは明後日には再び同じように殴られ虐げられるのだろうし、やはりまた同じように、僕は誰かに縋りに行く。

その誰かは僕に代わって彼に怒りを滾らせ、僕を慰める。そうして胸がスッとする。

嫌な生き方だとは、思う。

解決も見込めないのに人に頼って、自分の代わりに呪詛を吐かせるなんてものは。

けれどこうでしか生きられない。僕の心はこうしないと保てない。

 彼の言うことは事実なのだ。僕は確かに出来損ないだ。

身体の形は不完全。自分の手を、心を、自らは汚そうとしない卑怯さ。

こんな個体は本当なら真っ先に淘汰されているだろう。弱い個体をいちいち守っていては、種族そのものが滅んでしまう。

けれど人間は進化していく中で感情を知り、協調性を培い、社会を形成することにした。その〔社会〕に於いて弱者を捨て去ることは許されない。

だからこんな風でも僕は生き延びている。淘汰されることなく社会の一員として。

それでも人間の心は複雑になりすぎて、色々なものを受け入れることが出来なくなった。そうして彼のような人間も生まれる。


 夢がある。

人類滅亡。

彼の死。

僕だけの生。

全員が弱者となった世界。

この街に隕石が落ちること。

僕だけが生き残ること。

或いは僕以外の全ての人間が脚を失うこと。

エトセトラ、エトセトラ。


 荒唐無稽な夢をみる。あり得ないと知りつつも、願わずにはいられない夢を。

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