従者と女神と転生と
女神が出てきます。
タルコスという、ある屋敷の従者が居る。
彼は眼を覚ますと、見知らぬ場所に立っていた。
「おや、ここは……」
彼の周りには雲が泳ぎ、上空はまっさらに開き、足元を支える地は座敷である。
ナンセンスな異空間ステージへ唐突に置かれ、彼は「ふむ」と頷く。
そんな冷静な従者の前に、何者かがいきなり現れた。
煙がボボボーンと吹き出し(明らかに流動法則を無視している)、派手にその姿を見せる。
「こんにちは、タルコスさん。私は女神です……あなたは選ばれました」
「ふむ?私が選ばれた?」
「ええ。あなたはこれから好きな能力を得て、勇者として別の世界で生きていくのです」
女神と名乗る人物は、タルコスに対してアルカイック・スマイルを向けた。
だが、真面目な従者は揺らがない。
「申し訳ないですが、ケビン様のお屋敷に帰らせて頂きますぞ」
「え?な、なぜです」
「私の役目は、ケビン様に完璧に仕えること。別の世界に行くわけにはまいりませんな」
これには女神も“たじたじ”だ。
なぜなら彼女は、異世界へ行くことを拒んだ人間に、今まで会ったことがない。
異世界に行くことはステータスであり、なによりも最上級の祝福だと、彼女は信じていたのである。
タルコスは丁重に頭を下げて、「では」と一言。そうして、女神に背中を見せる。
とはいえ女神の側だって、これだけの掛け合いでは引き下がれない。
もっとしつこく、押し付けるつもりでいけば、最後には祝福を受け取るに決まっているからだ。
「待ってください、タルコスさん。あなたは現状に不満があるでしょう?」
「一切ありませんよ」
「よく考えてみて。ほら、一つか二つはあるでしょう……だって、この世界で不満のない人間なんていませんもの」
「いえいえ、一切ありませんな」
「さっきから、『一切』って……ああ、なんて可哀想な人なのでしょう。不満は幸福の種なのに、それを持っていないなんて……!」
「おや、言われてみればそうかもしれません……しかし、やはりありませんな」
「一切ですか?」
「一切」
彼、不満は一切ないという。
女神としては大誤算。不満のある人を連れて来れば良かったと、彼女は反省した。
蜘蛛の糸を垂らす位置を間違えてしまったようだ。
だが、なにはともあれ、もう連れてきたのである。
となれば、もう地上に帰すも帰さぬも、女神次第ということ。
この男性に抵抗の余地はない――すべては女神の手のひらの上なのだ。
それに気付いて、彼女は得意げに鼻を鳴らした。
「時に、あなたはどのようにお帰りになるつもりです?私がどのようにここへ連れてきたのか、お分かりですか?」
「いえ、分かりません。しかし、帰り方などいくらでもあるでしょう」
余裕の笑みを浮かべる彼女は、タルコスの言葉をまったく信じない。
ただの出任せに決まっている。ハッタリをかまして焦らせようとか、大方そんな小細工。
女神である私に、それくらい見抜けぬはずがないじゃない。
「まあ、なにを言っているのですか。そんなはずが――」
その瞬間、煙がボボボーンと吹き出す(流動法則無視)。
すると、高を括る女神の前から、タルコスは突如として姿を消した。
突然の出来事に、女神は口をあんぐりと開ける。
「消えた……?」
――いや、そんなわけない。
ただの出任せに決まっている。手品で焦らせようとか、大方そんな小細工。
女神である私に、それくらい見抜けぬはずがないじゃない。
逃げられたことを認めたくない彼女は、張り込みを続けた。
「タルコスさん?出てきてください!」
必死の呼びかけも、天然の青天井へと虚しく消えていく。
それでも、ただ待ち続けた。
明日も、明後日も、そのまた次の日も、またまた次の日も……………………
こんなに待っていられるのだから、女神が相当暇なのは分かるだろう。
そもそも、祝福と称して「あっちの人間をこっちへ移してみよっと!」くらいの軽い気持ちで、遊んでいるのだから。
つまり、彼女はおもちゃに逃げられたのである。著しくプライドを傷つけられたのだ。
「なんでタルコスさん出てこないのよぅ…………うわ~んっ!」
やり場のない悔しさも、子供のような大泣きでしか解消できない。
なんせ、今まで悔しさなんて経験していないのだ。
実のところ、涙の味を舐めたことさえなかった。
(しくしく、涙ってしょっぱいのね……)
もう女神として生きていけない――そんな心の痛みを伴って、彼女はタルコスを逃がした。
これほどまでに大いなる感情を発見したのだから、どうやってタルコスが逃げたかとか、そんな些細なことには興味も失せるだろう。
転生モノです。