明日
ウィンドの記憶は戻らなかった。
最終的に蘇ったのはフェリの記憶だけで、彼の求める記憶の手掛かりはない。
呪いによって今日を消される前に、自身の過去を取り戻したいと願う。しかし、時間がなかった。
彼は調査隊として、アバトライトと共に冒険者ギルドへと向かう。
そして、基本的にはギルドに常駐している治療術師・キョウガを訪ねた。
キョウガは、ウィンドの所属するパーティ『リワインド』のリーダーである。
年齢的にはまだ少女だが、話し方は非常に難解。そして振る舞いは大人びている、変わった娘だ。
彼女はいつも通り、ギルドのロビーに用意された椅子へ腰かけている。
それに加え、今回はどうやら子供達も一緒のようだ。
キョウガの右手を引くのはテリ。左手を弄ぶのはベリーという。彼女らと遊んでいるらしい。
安らかに眠るベックを背負ったまま、アバトライトが言う。
「ウィンド。私はベックを弔うために、ケビン達と準備をしてくる。君はキョウガと話してくるといい」
「ああ……」
聖騎士はウィンドの隣を離れ、ギルドの奥に向かって歩き出す。
残されたウィンドも、言われた通りにキョウガの方へと歩き出した。
「キョウガ」
「……おや?ウィンド?」
名を呼んで話しかけると、少女は意外そうな表情を浮かべる。
どうやら、ウィンドが彼女に話しかけるのは珍しいことらしい。
記憶が無いため、どんな調子で話せばいいのか、彼は計りあぐねた。
すると、彼女の方から言葉を続けてくれる。
「いや、すまないね。今、一寸ばかり忙しいのだよ」
「キョウガさん、ぼうけんのはなしして」「ぶひー、キョウガちゃんの手ー、かわいー」
「……そうらしいな」
彼女はなにやら、子供達と戯れている様子だ。
とはいえ、ウィンドとて戯れに妨害されるような軽い話をしに来たのではない。
「そのままで聞いてくれ。今日あったことを話す」
「ふむ?そうか、なら遠慮せず言いたまえ」
意を決して、彼は自らの記憶について語った。
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「結局、記憶は君を再訪しなかったと」
「ああ」
神妙な顔つきで語ったウィンドだが、聞き手の少女は至って冷静だ。
どうしてそんな顔でいられるのかと、彼は内心、訝しんでしまう。
「いいかね、ウィンド。君の焦燥は理解できるし、焦るなと言っても無理があるだろう。しかしだね……身勝手な行動は止すべきだ」
超然とした態度で、彼女はそう語る。
それはおそらく、パーティメンバーであるウィンドの身を案じた言葉なのだろう。
だがしかし、身勝手な行いだろうが、そうでもしないとウィンドは自らを保てなかったのである。
呪いに喰われて、今すぐにでも消えてしまいそうな曖昧な記憶。
思い出せないが、それでもなお忘れたくない人物を思い浮かべると、いつか気が狂ってしまいそうだった。
「キョウガ……記憶を取り戻すために、俺は行動するしかないんだよ!」
「その糸口も掴めないうちから、わざわざ危険に身を晒すことはない」
「だから俺は糸口を掴みに行った!危険だったかもしれないが、それが分からない限り、なにも出来ねぇ!」
「焦りは承知の上だが――」
「もう冷静じゃいられない、俺はッ!!あんたのように、悠長な構え方は出来ねぇんだよッ!!」
彼は制御不能の焦燥に駆られ、湧き出る感情のままに話す。
自身の攻撃的な物言いさえ、放った後に省みることは出来ない。
「もういい、俺は一人で動く……間に合わなくなってからじゃ遅い」
そう言うと、このままギルドに居ることさえ時間の無駄に感じられて、彼はいきなり飛び出した。
「待ちたまえ!君だけで行動したとして、今すぐ解決する問題では……!」
キョウガの呼びかけも耳に入らぬまま、ギルドを後にして走る。
もう一度、あの路地裏へ向かおうと考えた。
なにか手掛かりを見つけて、一早く記憶を取り戻そうと、躍起になって疾走した。
――そうして辿り着いた狭い場所で、“なにか”を必死に探すのである。
壁に挟まれた細い通路を、狂ったように往復をして。
彼の形相は、そこで居眠りする猫達すら忌避して逃げ出すほど、異常な興奮に満ちていた。
胸の内にあるのは、今や焦りだけではない。
明日に希望を見出すキョウガの態度が、暢気に思えて堪らなかったのだ。
『身勝手な行動は止すべきだ』と言うが、ジッとしていて治まる程度の不安ではない。
そこが理解されないとなれば、非効率だろうが不合理だろうが、自らで行動を起こすしかなかった。
無茶苦茶な気持ちを抱えて、異常な速度で散々に歩き回る。
しかし、脚の疲労に釣り合う収獲など一つもなかった。
ダンジョンでの疲労も蓄積しており、彼はとうとうコンクリートの上へ倒れ込む。
「なにも………………ねぇ………………」
仰向けになると、空には既に星空が輝いている。
キラキラと輝く天の粒に、彼は小さな自分の存在を見た。
そのまましばらく、ただ茫然と眺めていると、今更ながら冷静さを取り戻す。
「…………なんだよこれ。バカみてぇ」
滑稽な己の倒錯を、ふと嘲笑ってみる。
そうして、初めて肌を伝う汗に気付く。
抗えない疲労に身を委ねていると、先程までの必死さも、まるで他人事のように感じた。
しばらくは動けないで、動く気もなく星を眺めていた。
「ウィンド」
すると、誰かの声がする。
顔を真上へ上げると、そこには少女が立っていた。
彼女の名を、ウィンドは知らない。
「んー……こういうの、青春っていうん?」
それなのに、自分が彼女を知っていることは確信していた。
なぜなら、夢で見た顔の無い少女と、目の前の彼女が一致したからだ。
間違いなく夢の正体であると、すぐに直感したのである。
ウィンドを覗き込んで微笑む彼女は、優しく告げる。
「ほら、帰ろ。みんなのとこ」
「…………わりィ、動けねー」
「ふーん。んじゃ、お姫様抱っこしたげよっか」
「冗談だろ」
言葉のみで抵抗を示したものの、少女は宣言通りにウィンドを抱き上げた。
不思議と悪い気はしないウィンドだが、この態勢はやはり落ち着かない。
「……せめて背負ってくれ」
「あーしの勝手っしょ~」
「重いだろ」
「んーん、軽い。記憶ないからじゃね?」
「明らかに関係ねーぞ」
軽い掛け合いの中で、張り詰めていた心はするりと緩んでしまう。
そういえば昨日も、一昨日も、その前も――昔から彼女とはずっと、こんな風に話してきた気がする。
そう思えるほど、彼は不思議な安心感を得ていた。
「宿でさぁ、ウィンドが昔使ってた木刀見てたんよ」
「俺の?」
「そー。手入れしてねーから手垢まみれだけど」
「なんの話だよ」
「今はマジ剣使ってっけど、昔はあんなの振り回してたんよねぇ。なついわー」
「…………」
「いつの間にかあーしの魔法もパクって、使えるようになってたなぁ。天才過ぎてウケるんだけど」
「そうだったっけな」
記憶を失う明日を想う事は、途轍もなく虚しい祈り。
けれど、少女と話していると、それも受け入れてしまえそうになる。
彼はいわば、悟りの境地のような諦念の上に、幸福を感じたのだ。
自分が忘れても、こうして彼女が憶えていてくれるなら。
確たる根拠などない信頼が、ウィンドの届かぬ明日を照らす。
今日しか無かった彼の世界に、今日を失う世界への望みが芽生えた。
「なぁ」
「ん?」
名も知らぬ彼女へ、声を掛ける。
そして彼は、どこか穏やかな表情を浮かべて言うのだ。
「これからも、俺の傍にいてくれ」
それだけ伝えておけば、もう今日を失っても平気になる。
錯綜した彼が最後に気付いたのは、彼女との平凡な日常を望む気持ちだった。
「やめなよ、急にプロポーズすんの……」
「返事は明日でもいいぜ」
「何回目だと思ってんの?」
「――は?」
……つまり、ウィンドは前にも同じようなことをしたのだろう。
わりと特別な気持ちで言ったのに、しっかり平常運転だったようだ。
そのまま宿に到着するまで、彼は少女と眼を合わせられなかった。
その道中、今と同じ思いをするくらいなら、「やっぱり明日なんぞ来んな」と願ったのである。