終・収容 束の間の交流・その2
「藍色の風景」「収容」「続・収容」シリーズの続きです。
このシリーズ、やっと最後です。
男はフェリに微笑むが、息をするだけでも苦しそうにしている。
なぜ彼がそこに居るのかを、場に居る誰もが分からない。
「もしかして、あなたもダンジョンに閉じ込められていたんですか?」
アバトライトが質問すると、彼は首を振る。
そして、掠れる声で言葉を発した。
「俺の…名は、ベック…」
その名を聞いた瞬間、アバトライトは表情を変えた。
精霊術師のベック。冒険者として様々なダンジョンを攻略し、それなりに富や名声も得ていた男。
彼はまさしく、アバトライトの知る冒険者に他ならない。
だが――今の今まで、なぜか存在を忘れていた人物なのだ。
「ベック…!?君は、ベックなのか…!?」
「やはり…忘れているな…」
言葉からすると、その忘却もベックには予想通りのようである。
戸惑う者達に対し、息も絶え絶えの彼は言葉を続けた。
「俺は精霊術師のベック…今までは、存在をダンジョンに置換されていた…」
その言葉は、俄かには信じ難いものだ。
人間からダンジョンに存在を書き換えられた事例など、アバトライトも知らない。
だが、現にベックの存在を思い出した彼は、その経験を基に話を信じる。
「君達が、俺をダンジョンの使命から解放してくれたんだ…」
「我々がダンジョンを攻略したことで、君は人間に戻ったというのか?」
「ああ、おそらくな…」
彼がどういう経緯でダンジョンになったのか…まずはそこから聞こうと、聖騎士は考えた。
そして、一つずつ質問をしようとした時――フェリが声を上げる。
「ベック…そうだ。あたしが大切に想ってたのは、ベックっ…!!」
そう、彼女も記憶を思い出したのだ。
目の前に這いつくばる精霊術師は、自らと契約を結んだ男であった。
すべてを思い出したフェリは、縋る様な表情でベックへ問い掛ける。
「どうしてあの日、あたしと契約を解除したの?あたしが居れば、ケイのナイフからあんたを守れたかもしれないのに…!」
ケイ。少女の口から新しく飛び出した名の詳細を、アバトライトはすぐに尋ねた。
「ケイとは誰だ?それに、ナイフとは?」
「ケイは、俺が拠点に泊めた少女の名だ――」
彼の質問に、ベックが答える。
話によれば、彼は死の当日に仲間の裏切りに遭ったという。
そこでリーダーの座を奪われかけるが、精霊だったフェリの力もあって、事件は無事に済んだ。
事件後、裏切り者に利用され、行き場も無い少女を拠点に泊めることになった。それがケイである。
彼女は至って普通の少女で、他人に危害を加える様子は無かった。しかし、真夜中になると豹変し、突如としてベックを襲った。
その身にナイフを受ける寸前、ベックは精霊との契約を解除し、そのまま意識を失ったのだ。
「ゴーシュのやつ、俺を殺すんじゃなくて、存在自体を抹消するつもりだったんだな…」
彼の存在を書き換えたのは、裏切り者のゴーシュが用意したナイフだろう。
ナイフには、怪しいスペルが小さく刻まれていた。それは人の存在自体を変容させるという、倫理を逸脱した効果を持っていた。
フェリが人間として存在していたのも、彼女がベックから生まれた精霊だったからだ。彼女もまた、過去を切り取られ、その存在をスペルに改竄されていたのである。
それでもかろうじてベックを探していられたのは、魔道具だと思われていた水晶の力だ。水晶の正体は、歪に切り取られた過去の塊だった。
「ベックがあたしを隣に置いてれば、ダンジョンになんかならないで済んだのよっ!」
「…契約を結んだ精霊は、契約者の死と同時に命を落とす…俺は、フェリに生きていて欲しかった」
「バカじゃないの!?あんたが居ない世界なんて、生きても死んでも同じよ!!」
ようやく思い出した大切な人は、もはや命を絶やそうとしている。
やっと精霊に戻れても、彼を守れないのでは意味が無い。
蘇る思い出が、彼女の頭を駆け巡る。
『あんた、人を信用しすぎ。あたしがいなかったらどうなってたか』
『パーティメンバーだぞ。普通は疑わないだろ』
鮮明になった記憶で、フェリはベックと話している。
懐かしく、もう戻らない過去。
『知ってる?あのキモいやつ、あんたのこと変な顔で見てる時あったよ』
『へ、変な顔?』
『ほら、気付いてない…』
『そういうのはフェリに任せっきりだ』
彼はいつも自分を頼ってばかり。
いつも危機感があまり無くて、のんびりしていて。
その上、馬鹿正直でお人好しだから、簡単に騙される。
『だーかーらぁ、あたしにばっかり頼らないで!自分でも気を付けて!』
『ははは、ごめんなフェリ。いつもありがとう』
それなのに、ずっと笑っていた。
苦しくても、哀しくても、彼は笑みを絶やさなかった。
そんな彼が、自分は…
『…でも、そういうあんたも…嫌いじゃない、けど』
もう長くは持たないベック。彼のために泣く精霊へ、彼自身が微笑みかける。
そして、儚くも優しい声で言った。
「最期にまた、フェリに会えて……良かった…」
それきり、彼は口を閉ざす。
「ベック…?」
少女が呼びかけても、返事は無い。
憔悴しきっていた彼は、既に息を引き取っており、永遠に話し出すことは無かった。
彼の遺体の上へ、フェリはゆっくりと飛んで行った。
そして、精霊術師の安らかな頬へ、一滴の雫が跳ねた。
「………フェリ………」
ウォッチは彼女を慰めようと声を発する。
けれど、名を呼んで、その後に続く言葉が無い。どんな風に慰めればいいのか、見当も付かなかったのだ。
大切な人の存在を忘れ、やっとの想いで思い出した時にはもう手遅れ――そんな彼女の悲しみは、到底推し量れるものではないから。
ウォッチはただ、フェリの背中を見つめることしか出来なかった。
~~~~~~~~~~
冒険者達は、またそれぞれの活動へ戻っていく。
怒涛の路地裏から離れ、共闘した仲間たちへ手を振った。
アーサーを始め、特に親しい者たちと別れを言った後は、ウォッチも自由の身になる。
だが彼は、悲しみに暮れるフェリを置いていけない。
大体、既に釘は刺されている。
『フェリを元気づけられるのは、多分ウォッチだけだな』
『うん、私もそう思う!大変だと思うけど、ファイトだよ!』
アーサーとレイアは無責任だ。勝手に応援して、自分たちはすぐに行ってしまうのだから。
(俺だけでどうにか出来るワケないだろ)
なんて思いつつも、やっぱりウォッチはここに残るのであった。
ベックの遺体は既にアバトライトが預かって、然るべき場所で弔う話になった。
それでもフェリは、精霊術師の息絶えた地点から動けないでいる。
未だにウォッチには背中を向け、とても振り向いてくれる雰囲気ではない。
なので、彼女へダメ元で声を掛けてみる少年。
「フェリ、宿に帰らないのか?」
「…うっさい」
「………」
予想は出来たものの、やはり『………』せざるを得なかった。
「頑張れ」「元気を出せ」などと言っても、そんな簡単に立ち直れるようなことじゃないのだ。
だからと言って、「辛いよな」なんて安易な同情もできない。
そのため、しばらく黙って、ただフェリの傍に突っ立っていた。
すると、少し経ってから、黙っていた彼女が口を開く。
「ベックは…バカなの。ケイのことだって最後まで信じて、優しく諌めてた」
ケイ。ベックを刺殺したという少女。
実際にどんな現場だったかは、ウォッチの知るところではない。だが、自分に殺意を持つ人間へ優しくするのは、並大抵のことではないだろう。
それだけベックは、人格的に優れた人物だったということ。
「いつも人のことばっかり考えて、自分のことは後回しで。ホント、あたしが居なかったら…生きていけないヤツだし」
募る言葉が、彼女の声を震わせている。
取り戻したばかりの思い出は、すべて諸刃となって突き刺さるのだ。
ようやく元に戻ったのに、心の喪失感は前より何倍も大きい。
「でも、あたしもバカ。ベックに伝えたかった気持ち、言えないままになっちゃったもん」
「伝えたかった気持ち?」
「………知りたい?」
「お、教えてくれよ」
「ん…あは、どうしよーかな」
彼女は勿体ぶって、『伝えたかった気持ち』を言わない。
ウォッチは少しじれったくなったが、立場が立場であり、急かすのを躊躇う。
すると、遠慮すればするだけ、フェリはイタズラっぽく笑った。
「なんだよ」
「フフ、変な顔」
「…悪かったな」
「怒らないの?」
「まぁ、それくらいなら」
「ゴブリン顔」
「からかってるだろ?」
「うん。そうだけど」
「お、お前なぁ」
「バーカ」
「ついに言ったな…もう許さん!」
ウォッチをからかう彼女は、小さく笑う。
フェリにからかわれたウォッチは、とうとう遠慮なく怒る。
いつの間にか、2人の間に流れる空気は、至って平常通りになっていた。
「あはは、あんたって単純過ぎ」
「誰が単純だ!」
「あたしの後ろに幽霊みたいに突っ立って、なんでなにも言わないの?」
「い、いや、普通は言えないだろ!つーかさ、俺は一応フェリに気を遣って――」
「…ありがと」
ウォッチが喋っている隙に、フェリは彼の優しさへ感謝する。
「――え?」
それが小さな声だったため、聞き取れなかったウォッチは咄嗟に聞き返した。
フェリはまたクスクスと笑う。
「なんでもない!」
そう言った彼女は、ウォッチが今まで見てきた中で飛び切りの表情をしていた。
とても自然で、どこまでも子供らしく、愛らしい。
彼女にもこんな顔が出来るんだ――そう考えたウォッチの心に、現状に相応しい言葉が用意されていたのである。
「ほら、そうやって笑えばいい。フェリは笑顔の方が似合うから」
「キモ」
「おいっ、今はやめろっ!一番言ったらダメだ!」
「きゃはは、キモーい」
「俺は傷付いてるからな!?」
ベックの死は、すぐには乗り越えられない悲しみだろう。
それでも、なんだかんだ隣にいてくれる友達を見ると、彼女は僅かな希望を持つことが出来る。
前に進みたいと、ほんのちょっとだけ思えるのだ。
フェリは少しだけ、気持ちが軽くなった。
フェリの話が一段落したっぽいです。
でも、まだ色々なキャラの話が終わってません。とりあえず収容シリーズを章で隔離しようと思ったけど、どこまでが1章なのか全然わかりません。ええ、それでもいいです。さしあたって。