続・収容 命
「藍色の風景」「収容」「続・収容」シリーズの続きです。
命の話です。
異界を照らす柔らかな光の中で、それにそぐわない剣呑さが漂っている。
雰囲気の発生源は、魔導師のニックと剣士のメルチだ。
2人は不穏に向かい合って言葉を交わす。
「俺はセンから教えてもらったぜ。強いヤツってのは、仲間を大切にするもんだって!」
「そうなのね。私は知らないけれど…」
「なら知れ!いいか、仲間を見捨てるヤツは弱いんだよ。だからお前、真っ先に死ぬ。すぐに冒険者辞めろ!」
「辞めないわ。弱くても構わないし、死んでも構わないもの」
先ほど、仲間が苦しんでいたのに、メルチは助けようとしなかった。
そのことを、ニックは仲間を見捨てたのだと判断している。
しかし、メルチには見捨てたつもりなどない。ただ、彼女は手を出さなかっただけなのだ。
「お、お前………死んでも構わねぇ、だと?」
「ええ。正確に言うなら、ダンジョンで死ぬのなら構わないわ」
「……ぉ………」
『死んでもいい』などと言う人物を、ニックは生まれて初めて見た。
そのためか、彼は驚愕に眼を見開き、身体の動きをすべて停止している。
「えーと、ニック……だ、大丈夫かい?」
治療術師のガジルが肩を揺らしても、彼はぴくりとも動かない。
どうやら、センセーショナルな価値観に触れて、一時的に思考が止まってしまったらしい。
再び思考を回復させるため、心配性な治療術師は色々試してみたものの、なかなか難しいようである。
というわけで、動かなくなった彼に代わり、ガジルが言葉を返した。
「剣士さん。僕は貴女の言葉を正確には理解できません」
「ええ、それでも構わないわ」
「いえ…構わせてください。どうしてそんな風におっしゃるんですか?」
そう質問する彼の顔は、とても真剣なものだった。
治療術師として、戦う仲間を後方から支援し続けてきた彼には、一つ一つの命の尊さが分かる。
それを預かる重みに耐えかねて、一時期は冒険者を辞めようとすらしたほどだ。
彼のバックボーンを知らない者でも、単なる好奇心からの問いでないことは態度で分かる。
だからといって、メルチは相手の気持ちを推し量りはしない。
彼女は個人の感情に興味が無く、それに付随する想いにも興味が無い。
よって、質問されたから答えた。
「私はダンジョンが好きなの。ここで生きるのも、死ぬのも、全部幸せ」
彼女はそれだけ言って、それ以上の言葉は必要ないかのように黙る。
説明し尽されても、やはりガジルには理解出来ない。死を当然に許容するのは、甚だ恐ろしいことのように思えた。
無意識にグッと拳を握る彼は、メルチに“命”を知って欲しいと強く思う。
「余計なことかもしれません。だけど、言わせてくれませんか」
彼はメルチを見てそう言ったが、当の彼女は反応しない。
ただ微笑んだまま、じっとガジルを見ている。
どう見ても、自分に言われていると分かっていない様子だった。
徹底的な無関心が、彼の心を痛める。
それならばと、彼は勇気を出して想いを口にした。
「剣士さん。貴女にも命があって、それはかけがえのないものです。同じ命は一つもない――だから絶対に、貴女には貴女だけの価値があります」
「へぇ」
「…同じように、周りの人々にも命がある。この世界には夜空に浮かぶ星のように、たくさんの価値が煌めいているんです」
「そうなの」
「だけど、それらはすべて脆いものです。死んでしまえば最後、命は失われてしまいます…それはつまり、煌めいていた価値を失うことです」
「……………」
「その上で生命を謳歌すること…人々が生きていて、貴女が生きていること自体が意味のあることなんです。人はただ生きているというだけで、たった一つの価値を持っているんです!だから、僕は…あなたに死んでほしくない、です」
ガジルの放つ言葉には、それぞれに強い気持ちが込められていた。
彼の語りは、傍で聞いていたウォッチとフェリにとって素晴らしいものであった。
少年少女は偉大な生命の価値を知り、自らの存在を守る大切さを知る。
2人は話を聞き終えると、お互いに自然と顔を見合わせる。
「フェリ…俺、絶対に死にたくない」
「…あたしも」
そうして一言だけ言葉を交わして、命に対する責任を強く意識した。
ガジルの言葉は、2つの命の意味を確かに証明したのだ。
ところが眼の前にある最後の1つは、残虐に思えるほどわざとらしく微笑む。
「生死に価値の違いは無いと思うのだけど」
数多の価値を無価値にして、メルチは言った。
それは打ちのめすためでも、無関心や無責任を貫くための言葉でもない。
結局、彼女の前に並ぶ命は、あらゆる視点で等価値である。
命の尊さを知って欲しいと、出来る限りの言葉を尽くしたガジル。
だが、生死の価値そのものを平均化されてしまえば、そもそも命を論じることさえ出来ない。
「さっきも言ったけれど、私はダンジョンが好きなの。ダンジョンを見て、触れて、感じることが幸せ。生死はその結果よ」
「そんな…だけど、貴女のその『幸せ』だって、生きていないと感じられないじゃないですか?」
「生きている幸せがあるなら、死んでいく幸せだってあると思うの。そこに意味や価値が無くても、幸せなら同じことでしょう?」
メルチの抱える幸福は、もはや麻痺に近い形で彼女を支配している。
それより上の価値を知らない彼女は、不幸でさえ幸せと同義だと勘違いしていた。
だが、その勘違いを正す術は、おそらく他者の中には存在し得ない。
彼女がダンジョンの外へ、自ら眼を向けなければならなかった。
――実際にはそうならないことを、ウォッチもフェリも予感してしまっている。
それでもガジルは、より伝わる言葉をなんとか見つけようと苦悩していた。
そんな中、固まっていたニックが目覚めた。
彼は非常にコミカルに身体を動かし、今までの雰囲気を壊しながら言う。
「セン!俺は死んでも戦いてぇぜ!!」
発言と同時に、彼は悩むガジルの方を見た。
今の彼は催眠術に掛かっており、ガジルのことを所属パーティのリーダーだと思っている…のだが、時間を掛けて覚醒した彼の脳は活発で、既にまやかしには騙されない。
「…あれ?お前センじゃねーな」
「え、あ…やあ。ごめん、僕はガジルだよ…本当にごめんね」
「おいっ、センは!?」
彼は慌てふためくと、視線をキョロキョロと彷徨わせる。
そして、その着地点をメルチへと定めた時、文字通りに燃え上がった。
「分かったぜぇ…!!お前がセンを倒したんだな!?」
「ふふ、違うわ。センが誰かも知らないし」
「倒せそうなのがお前しか居ねぇからな!!うおおおおおおおっ」
その気合いと共に、自らの身体に炎を纏わせると、メルチへ向けて突進する。
彼の急な攻撃にも、女剣士はまったく慌てずに対処できた。
その結果、力任せなニック少年の攻撃は、容易くいなされてしまう。
「ふふ、あなたは炎の魔法が好きなのね」
「なにィ!?やべぇッ!!」
勢いは殺さず、そのまま他方へと力を流されたために、少年は炎を纏ったままどこかへ突撃していく。
その後、遠くに居た一匹の魔物にぶつかって、大きな音と共に静止した。
「うおおおおおっ」という雄叫びが、ウォッチの耳に届いてくる。まあまあの距離を隔てているのにも関わらず。
「あのさ、メルチ…それと治療術師の人。今はとにかく、ダンジョンを攻略しない?」
完全に死生観の話をする空気ではなくなり、ウォッチは本来の目的へ戻ろうと提案した。
呼びかけられた2人は、それに首肯を示す。
「ああ、僕の名前はガジルって言うんだ。向こうの元気な少年はニックだよ」
ウォッチに名前を呼ばれなかったため、ガジルは今更ながら自己紹介を思い出す。
それを見て、フェリはなんだか可笑しくなった。
「なにそれ!言うの遅過ぎなんだけど!」
「あ、あはは…ごめんね、よろしく――」
「まだ俺は負けちゃいねーぜぇーーーー!!」
なんだか騒がしくなってきて、そのまま彼らの剣呑な衝突は終わった。
だが、ガジルの胸の内には、メルチの言葉と存在が引っ掛かって残るのだった。
命の話だと思います。