詩
酩酊した詩人が好きです。
詩とは、孤独の謂いである。
その言葉が届く先に、誰が待っているかは分からない。
それでも詩人は、たとえ笑われたとしても、信じるなにかへ詩を綴る。
吟遊詩人のジャックは、信じてきたものが結実する予感に震えた。
はたまた、今までの戦いが無価値になる可能性に怯えた。
心に纏わりつく不安を払うように、彼は一度、深呼吸をした。
「大丈夫だ。僕の声は、きっと人の心に届いてくれる…」
祈るように呟いて、ぐっと前を見る。
すると眼前には、大袈裟なほど華々しい世界が広がった。
彼は今、自分が居る場所を再確認した。
踊り子のエバに誘われ、詩人はこのパーティ会場へ訪れた。
今日ここで、彼は自らの唄を披露することになっていた――孤独の戦いがどのような結果を齎すか、それが決まるのだ。
しかし、彼は一人ではなかった。
確かな心の支えである、ある少女が隣に居る。
「パーティだー!ジャックー、たのしそうー!」
ジャックと手を繋いではしゃぐ、ベリーという少女。
彼女はジャックの唯一のファンにして、ジャックが唯一信じている娘であった。
今まで孤独な詩人が戦ってこれたのも、傍にベリーが居たからである。
楽しそうな少女の様子を見て、ジャックは微笑む。
同時に、自らを奮い立たせる勇気を、殊更に湧き上がらせた。
「ベリー。今日も僕を見ていておくれ…君のために、最高のパフォーマンスをしてみせる」
「うんー!ジャック、かっこいいー!」
ベリーは愛らしい笑顔を浮かべて、憧れのスターを見つめた。
彼女の眼に映るその人は、溢れんばかりの輝きを身に纏っていた。
ほんの僅かに闇を照らす、誰にも表せない特別な光を。
お互いの存在を励みにし合う二人に、ある女性が話しかける。
彼女は踊り子の衣装に身を包み、ジャックへ親愛の笑みを寄せた。
「まぁ、ジャック!来てくれたのね!」
「やあエバ…驚いた、とても素敵な衣装だね」
「ありがとう。この衣装はマディに選んでもらったの」
そう言って、踊り子の女性・エバは嬉しそうに笑う。
すると、マディという名を聞いたジャックが慌てて問う。
「そうだ、エバ!僕はまだ、マディさんに挨拶をしていなくて…」
「そうなの?なら、私が案内してあげましょう」
踵を返して、「こっちよ」と優しく声を掛けるエバ。
ジャックは「ああ、ありがとう」と返しながら、その案内に有り難く従う。
彼と手を繋いでいるベリーも、彼の気遣う歩調に、ご機嫌でついて行った。
~~~~~~~~~~
パーティ会場の奥にある部屋では、超絶技巧の演奏が行われていた。
嵐のようなリュートの音を奏でているのは当然、主催者のマディであった。
騒がしい会場では聴こえなかった、息つく間もない演奏に、ジャックは驚愕と感動を示す。
「これが――マディさんの、演奏……!!」
まだ部屋に入ったわけではないのに、音だけで打ちのめされる感覚。
感動の余り、彼は涙さえ流した。
その様子を見て、エバはちょっと満足気な表情を浮かべるのだった。
ドヤ顔を悟らせないように隠して、彼女はジャックへ微笑む。
「ここが夫のいる部屋よ。どうぞ」
言葉も忘れたジャックは、震える手でその扉を開く。
すると彼の前には、さらにダイレクトに響く音色と、それを発生させるマディの姿が飛び込んできた。
かと思えば、訪問客の存在を察知したマディは、ぴたりと演奏を中断する。
それと同時――部屋は一瞬で静寂に支配され、嵐を思わせる旋律が嘘のように消え去った。
「エバ。どうだい、ご来場の皆様はパーティを楽しんでくれているかな?」
「ええ。パーティ会場は笑顔でいっぱいだったわ」
「でも、君の笑顔には誰も勝てないだろうな。さて…」
恥ずかしげもなくキザなセリフを吐いたマディは、来客へ眼を向ける。
そして、ミステリアスな微笑を浮かべた。
「初めまして、ジャック氏…お会いできて光栄だ」
鷹のような鋭い眼差しを受け、ジャックは身震いした。
親和的な口上の中に、隠せない攻撃性を読み取ったのである。
しかし、ここで臆して言葉を返せなくては、己に勝負など出来はしない――そう考えて、口を開こうとした、その時。
「てきー!だめー!」
「なっ!?君は、あの時の…!?一緒に来ていたのか!!」
彼より先に言葉を発したのは、隣に居たベリーであった。
しかも、マディの反応からして、二人は知り合いだったのだろう。
予期せぬ繋がりに戸惑いつつも、ジャックは改めて挨拶をした。
「初めまして、マディさん。さきほど聴かせて頂いた演奏は、とても素晴らしかったです」
「ジャックー。あのひとねー、てきだよー」
「こ、こらベリー…そんなこと言わないでおくれ」
挨拶に茶々を入れる少女。
彼女の口元に自らの人差し指を添え、詩人は優しく注意した。
すると、少女は物分かりよく頷き、素直に従った。
マディはそこに、ジャックの実力を見た。
(なんということだ…あれほど自然な動作で、少女の口元に優しく触れるとは…)
普通の人なら、静かにしてほしい場合、相手ではなく自分の口を使う。
一見、頼りなさげにも見えるこの男。
しかし、マディは確かに感じ取った――彼の仕草から、隠しきれぬエロスを。
「ふっふっふっ…!ジャック、君を僕のライバルと認めよう」
「え?」
「ああ、君の演奏が楽しみだ…僕が人の演奏に期待するのは、いつ以来だろうか!」
「私がヴァイオリンを演奏する時以来だわ」
「そうだ!あの時のエバは素敵だった。伏せた睫毛が流麗で!」
ごちゃごちゃ言いながら、彼は踊るように退室していった。
残された客人に、エバは補足を加えた。
「演奏会を開始しに行ったの。いつも彼の演奏で始まるのよ」
その言葉を聞き、ジャックは心臓の鼓動を早めた。
彼の出番は、いよいよだ。
~~~~~~~~~~
上品さと熱気が入り混じった世界が、会場に展開されていた。
盛り上げ好きの陽気な口笛と、慎ましくぶつかる甲高いグラスの音。
騒ぎ過ぎず、冷め過ぎず――華美な会場に似合う、貴族的な賑わいだった。
舞台裏で、ジャックは静かに呼吸を整えていた。
その隣には、やはりベリーが座っている。
「ベリー、そろそろ時間だ。テーブルへ戻っておくれ」
「わたしねー!ここでみたいー!」
少女は珍しく、ジャックの前でワガママを言った。
戦いに赴く彼の元から、離れたくない一心で。
そんな彼女に、詩人は困ったような笑みを向ける。
「ふふ…ありがとう、ベリー。だけどね――」
すると彼はおもむろに、少女の前髪を手のひらで捲って、小さなおでこに優しいキスをした。
突然の出来事に、普段は天真爛漫なベリーでさえ、動くことが出来なかった。
「僕はいつだって、君の心の傍にいるよ」
「ふえぇ…」
蕩けた眼で、完全に惚けるベリー。
ジャックは最後にもう一度笑うと、彼女に背中を向け、ステージへ上がって行った。
それと同時に、ステージ上のマディが彼の名を呼ぶ。
「さて、諸君……人の姿をした魔物を見たことがあるか?」
そんな紹介と共に、彼はジャックへ目配せをした。
どこまでも挑戦的で、人を試すかのような視線。
それを不敵な微笑で受け止め、ジャックは自らのリュートを抱える。
とうとう一歩踏み出して、華々しい舞台の光を、詩人は勇ましく浴びた。
――斯くして、彼は高らかに愛と希望を歌い上げた。
が、その言葉の真の意味は、たった1人にしか伝わらなかったという。
後に“ブラッド・シュガー”と呼ばれるこの日は、後世では世界中に広まる伝説となる。