小さい声
耳を澄ませば、シェヴィの「…」は聞き取れます!
ダンジョンとは、どんな形にもなる。その形成を人が知ることは無い。
地獄にも幻想にも思える不可思議な景色は、常に人の想像を凌駕するのだ。
そんなダンジョンの神秘性に、心を奪われる者も多い。
「………」
「え?なんて言った?」
しかし、全ての者が等しく魅了されるとも限らない。
事実、仄暗い空洞の廊下を歩く2人は、景色など見ていない。
「………」
「…ったく、しょうがねぇなぁ…」
治療術師・シェヴィの声は小さかった。
彼女の声を聞き取るには、誰もが耳を澄ませなければならなかった。
案の定、彼も…武闘家・ウェドも、シェヴィの口元に自らの耳を近付ける。
シェヴィの背は小さかった。故に、彼もシェヴィの身長に合わせて身を屈める。
「………」
「だめだ、まだ聞こえねぇ。」
「………」
「そんな風にむくれたって、分かんねぇもんは分かんねぇ。」
「………」
「わりぃ、本当に喋ってる?」
難航する会話は、彼らには既に日常であった。
最近になって、ようやく酒場で見つけた相方のため、自分なりに声を張り上げるシェヴィ。
なんとか言葉を拾うため、難しい顔で必死に解析を進めるウェド。
「………」
「よ…く…って言ったか?なんか欲でも出たか?」
「………」
「あ、お前!今、完璧に死ねって言ったろ!?」
「………」
「じょ、じょうろ?わりぃ、じょうろは持って無い!」
そんな折、ウェドの背後に魔物が迫る。
咄嗟に気付き、危機を感じたシェヴィは、ウェドに背後を確認するよう指で伝えた。
「ん?…ま、魔物か!!」
「………」
「え?今、なんて言った?」
襲い来る数匹のゴブリン達を捌きつつ、ウェドは小さな声に耳を傾けた。
その間に皮膚を切られても、彼にとって1番重要なのはシェヴィの言葉だった。
「………」
「くそっ、ゴブリンの声がデカくて聞こえねー!」
シェヴィは自らを庇うように戦うウェドへ、際限なく回復魔法をかける。
傷を付けられたら、即座に治す。そして、その間も声を発するのは止めない。
「おらっ!邪魔だっ!失せろ!」
「………」
「声のボリューム上げる魔道具とかねーかなぁ!?」
2人でダンジョンに潜っている関係上、お互いの労力も、事の処理に掛かる時間も、そこいらのパーティよりも大きく、長い。
だが、2人はそんなハンデを背負っている中で、気にしているのは相方のことだけであった。
そして、たとえそうであっても、彼らはこれといった損害も無く戦闘を終了させるのであった。
「よし、倒した!第2波とかが来る前に聞き取るぞ!」
「………」
「今日…?今日って?」
「………」
「よろ…!今日、よろ…!?」
なんのことはない。
シェヴィの伝えたいことは、他人からすればなんでもない事だ。
「………」
「…!『今日もよろしくね』!!合ってるだろ!?」
「………」
正解を言い当てた時、シェヴィは回答者にステキな笑顔を送る。
ウェドはその事を知っていた。
おそらく、誰も知らないであろう、そんな重大でもない事実を。
「よし、笑った!こっちこそよろしくな!」
「………」
しかし、この2人には世界で最も重要な事であった。
相方の気持ちを真剣に受け止める以上に、大事なことなど存在しないのであった。
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