自由
呪術は影の魔法である。
使用者は呪いを自己に宿し、他に宿し、そうしてすべてを隔絶する。
この力を利用するには、決して怨嗟に揺らがぬ心を持つか、或いは…
「ぐふふっ、この女の子もなかなか動きやすいなぁ…ひひっ」
怨嗟をも愉悦に転化する、破滅的な快楽主義に身を浸せばいい。
この男…呪術師のフレイズは、紛れもなく後者だった。
フレイズは密人と言われる犯罪者であり、気にいった人物に憑依し、その人生を奪うことに興奮するクズである。
今日も表立って歩けない自らの代わりに――最早、彼の生まれ持った肉体は朽ちているのかもしれない――罪のない少女を隠れ蓑にして、往来で大手を振っていた。
「貧乳はステータスだよぉ…自身持っていいよ、ワ・タ・シ」
おぞましい独り言は、彼以外の人間には聞こえなかった。
仮に聞こえたとしても、その正体を見破れる者など稀であるが。
気付かれぬまま、乗っ取った少女として普通に振舞うことは、彼の背徳心を刺激した。
「ああぁぁあ、記憶が知っているよぉぉお!!ワ・タ・シは噴水広場で友達と遊ぶんだうふふふふっふふっふぅーー、ふぅー」
言い切る前に鼻息を荒くし、楽しそうにスキップを始める。
その姿は、傍から見ればそれほどエグくはないだろう。
問題なのは、それが呪術の産物であるという事実だ。
しかし、知る者はいない。
「これぞ支配の極限形なのでーーしゅっ!!きひひっひぃーー、いたぉっ!」
訳の分からない極限を提唱しながらスキップしていると、彼は前方不注意により、大きな人にぶつかった。
少女の身体は小さいため、驚くほど後方に吹き飛ばされる。
「ぶひぃ、誰だよぉ…っ!ワ・タ・シを邪魔するのはぁ!?」
起き上がりつつ、怒りと共に彼が見上げた先には、アーチャーらしき男が立っていた。
男はフレイズに手を差し伸べると、ニカッと笑う。
「おぉ、すまねぇな嬢ちゃん!ま、ちゃんと前見て歩かねぇと危ねぇぜ?」
「…うんっ、ありがとう。オ・ジ・サ・ン!」
変に怪しまれないようその手を掴みつつ、フレイズは「おじさん」の部分を強調した。
しかし、男は特に気付く様子もなく、普通にその身を起こさせた。
「俺はトーマスってんだ。ここいらじゃ有名な冒険者だし、寛大で優しいんだぜ」
「ぶふぅーっ」(うわっ、自分でそんなこと言ってるでござるか!?きもーーい!!)
「よし、ここで知り合ったのもなんかの縁だ!お詫びに酒を奢ってやるよ!」
「ぶひぃっ!?」(余計な詫びにゃあぁ…!)
トーマスは勝手に縁を作り出すと、そのままフレイズをズルズル引き摺っていった。
フレイズも必死で抵抗するが、冒険者の力強い手など、少女の腕力では解けるはずもない。
結局、その必死さは徒労に費えた。
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かくして、彼らが辿り着いたのは活気づく酒場であった。
「おおっ、今日は人が多いじゃねぇか。繁盛万歳!」
大きなクエストが終わった後なのか、普段は寂れる昼間の酒場に、珍しく熱気がある。
粗野な賑やかさを好むトーマスは、それを楽しそうに眺めると、上機嫌になった。
一方、無理やり連れてこられたフレイズは、最悪な気分を表情にしていた。
「おじさんさぁ、女の子に無理やりお酒飲ませるとかありえなくなぁい?」
「おうおう、俺の酒が飲めねぇってのか!オヤジぃ、リベルタッド・エスプリ100本だ!!」
「え、バカなのぉ!?」
無理やり連れ去られ、飲酒を強要されるフレイズの目には、トーマスが大悪人に見えた。
しかし、トーマスに悪気は無い。
彼は頭からつま先まで、悪意など欠片も持っていない。
持っているのは、底抜けの陽気さだけだ。
対照的に、性癖から性格まで、なにもかも陰気なのがフレイズである。
彼は他者からの理解など望んだことはないし、他者を理解するつもりもない。
その上で、トーマスのことは本当に分からないだろうと悟った。
運ばれた瓶を次から次へ飲みまくり、見る間に空にしていく。
安酒を何本も並べ、楽しそうに笑うトーマスに、フレイズは貧しい欲望を見た。
「おじさぁん、こんなお酒ばっかりなの?もっと高いの頼めよぉ」
「覚えときな。質より量だ!」
「ふぅん、貧乏くさいわネ」
嗜好の快楽を知らない者の、醜く中途半端な堕落。
その顔に軽蔑を浮かべつつ、フレイズは退屈そうにトーマスを眺めた。
そうしていると、他の客の声が自然と耳に入って来た。
「突然なにを言い出すかと思えば…恥を知れ!」
「うるっせぇ!!もう決めたんだよ!!」
「ブルコンが解散しても良いのか!スカーレットが解散しても良いのか!」
「どうせみーんな解散したいんでしょ!?お互いの嫉妬で成り立った10年に、価値なんて無いわ!」
見たところ、痴情の縺れかなにかである。
なんだか面白そうだと思い、彼はそのテーブルで行われる会話へと傾聴した。
「今まで仲良くやってきたのに、お前らだけそんなこと言って…!!」
「どこが!?ダンジョンで一切会話しない、非常時しか協力しない、仲間の回復すらまともにしないパーティのどこに仲の良さが!?」
「そ、そういうスタンスだっただろ!!…多分。忘れたか!!」
「イーゼル、こんな連中と話してたって意味ねぇ!!教会へ逃げよう!!」
「ええ、デミオ…!」
デミオと呼ばれた銃士の青年と、イーゼルと呼ばれた狙撃手の女性は、手を繋いで走り去って行った。
ひゅー、お熱いねぇぇえぇ…と、思わず手元の酒を喰らいながら鑑賞するフレイズ。
ついでに、隣に居たトーマスにも声を掛けた。
「おじさぁん、あれなぁに?」
「ん?おう、ありゃあブルータルコンバットっつーパーティだな!男だけの5人組で、硬派な奴らだぜ!」
「へぇ。あっちのおねーさんズは?」
「スカーレットだな!ブルコンとは逆で、女5人組パーティだ!おっと、嬢ちゃんはスカーレットに入りたいのかい?」
赤ら顔のトーマスに説明を受け、彼は大体の事情を把握した。
(つーまーりぃ、アイツらはメンバーの寿引退のせいで、お互いに解散の危機にあるってとこかぁ)
ブルータルコンバットのリーダーらしき男に手首を捕まれるデミオ。
それを見つつ、彼らの状況を素早く考察したフレイズはニヤついた。
俄然、事の成り行きに興味がわいてきたのである。
勿論彼は、デミオとイーゼルが普通に結ばれる大団円など望んではいない。
むしろ今よりもっと関係が拗れた状態で、それでもパーティが続行する方が良いと考えている。
パーティのその後など彼の知ったことではないが、今この場では見世物として楽しもうとしていた。
「離せっ、この野郎!」
「これは立派な反逆だぜぇ…分かっているのかデミオ!!」
デミオは銃を構え、元リーダーを脅迫する。
それに対抗して、リーダーも元メンバーへ斬りかかる態勢へ移った。
「撃つぞコラ!!」
「斬るぞコラ!!」
もはやパーティ内の絆など脆く崩れ、お互いに武器を向け合う。
周りの仲間はそれを止めるどころか、新たな勢力として参戦する始末であった。
これも見る分には愉快で、フレイズは至極満足していた。
「いっけー!斬れー!撃てー!りゅーけつ!りゅーけつ!」
「ぶはぁっ…お、おおぅ?嬢ちゃんは竜のケツにぃ、興味があんのぁい…」
「うるっせぇ酔いどれ、ラフレシアみてぇぇええぇなゲップしやがって!」
酩酊者の絡ませる腕は、しつこく追い縋ってくるのが常である。
まともな意識も無いトーマスは、演技も忘れて熱狂するフレイズへと、渾身の臭気を浴びせた。
煩わしい酔いどれを必死で殴りつつ、フレイズは血眼で目の前の光景に集中した。
そうして、気付けば酒場の木壁は抉れ、店の奥にあるカウンターは真っ二つに割れていた。
それでもブルータルコンバットは猛り狂って、争いをやたらに拡大していく。
ネジの飛んだ熱狂的殺伐に、あらゆる冒険者が好んで身を投じた。
かと思えば、それを一歩退いて見る者もあった。
人それぞれの感情を、各々が胸に抱いたが、それも等しく殺伐の中だった。
「大好き、デミオ!私達、もう自由になったんだね…!」
「俺が世界で一番大切なのは、仲間でもパーティでもねぇ――イーゼル、お前だ」
デミオは夢を見ているような心地で、大切な人に愛を誓った。
イーゼルも夢を見ているようで、すぐにデミオへ抱き着いた。
二人は長らく、こうして抱きあいたいと願っていたから。
「いいから斬れっ!!なにやってだコラー!!」
「ほら飲めよぉ、嬢ちゃんよぉ…ぐい~ぃっとぅ」
「にゃああやめろぉぉごぼっぼ」
無理やり飲まされ続けたフレイズは、とうとう自分も酩酊者の仲間となってしまった。
お構いも、遠慮も、歯止めも、この期に及んでトーマスの頭には過らない。
かくして、二人は酒に溺れた。
バカのように。
幼い身体の許容量を超え、フレイズはいよいよ肉体のコントロールを失った。
僅かに残った正気で、なんとか魂をオイトマしようと踏ん張るが、まるで効果は無かった。
少女らしからぬ泥のような姿態で、彼は力なく床に突っ伏していた。
「おおい、嬢ちゃ……死んだ……のか?」
「ぶひっ」
「生きてらぁ。ゲプっ」
トーマスは動けなくなったフレイズをつつき、生存確認を行った。
そして、その小さな身体をおもむろに肩へ担ぐと、どこかへ歩いて行く。
無茶苦茶になった酒場を後にして、彼はぽつりと呟いた。
「この~ぉ…嬢ちゃんぁ、迷子らぃ…ギルドぅ行かぁねーとぉあ。ひっく」
彼は少し前の記憶を失くし、幽鬼のような足取りでギルドへと歩いて行く。
それこそ犯罪者が避けるべき施設であり、フレイズは必ず逃走しなければならなかった。
彼が起きていれば、それも可能だっただろう。