裁判
特に逆転はないです。
泡のような球体が、無数にふわふわと浮かぶ迷宮。
その景色の中核を担うは、エメラルドのような煌めく緑を張った、不可思議な湖。
冒険者パーティ『ネームフラワー』は、この湖のダンジョンを攻略するため、5人で足を踏み入れた。
ライ・ジッド・リザの3人は、初めて見る光景を前に言葉を交わす。
「すっげー…あれ、触ったら割れるかな?」
「どうだろうな…いずれにせよ、軽はずみな行動は避けよう。」
「兄貴は慎重だなー、とりあえず触ってみようよ!」
「ジッドって、この前ライの忠告を聞かなかったから死刑囚になったのよね。」
「だからさ、死刑囚じゃないしっ!!」
ジッドは少し前、ライから下された宿待機の命令を破ってしまい、ペナルティを喰らってしまった。
その時、ライから付けられたあだ名が『死刑囚』である。
もちろん、本当に殺される訳ではないものの、言われるだけで結構辛いのであった。
「そろそろ許してよぉ、兄貴…もうしないよ。」
「しばらくは死刑囚だ、ジッド。」
「…死刑囚じゃないんだよなぁ。」
精神的に制裁を加えるライのやり方は、パーティメンバーの一人、パラディンのレイアには少し過剰にも見える。
悪いことをしたら叱ってあげるのは大事だ。
と、彼女も理解してはいるが、このやり方にはやはり違和感があり、口を出す。
「ライ。せめて期間を短くしてあげたら…」
「いいや、簡単に許しちゃダメなんだ。特に僕はしっかり締める気だ、リーダーとして。」
リーダーとして。
そう言われると、パーティ内で役割の違うレイアは引き下がる他なかった。
しかし、そんなレイアの隣から、魔導士のリザが冷静な声で反論する。
「悪いけど、私はレイアの言う通りだと思う。このままジッドに罰を与えることが、パーティにとってプラスになるとは思えないわよ。」
「リザ…」
「ちゃんと見てあげて?ジッドも反省してるわ。弟だからって、ちょっと厳しくし過ぎてるんじゃない?」
彼女にはっきりと言われ、ライは少し考え直す。
しかし、彼の基準からすると、命令違反はかなり大きなペナルティを与える事柄なのだ。
パーティ内の調和を目指すには、破ってはならぬルールが必要だと、ライはそう意識し続けてきた。
その上で、議論の姿勢を崩さぬように彼は言った。
「ダメだ。このパーティに在籍する以上、ルールは守ってもら…」
その言葉を言い切る前に、リザは口を開いた。
「じゃあ聞くけど、アーサーだけ許したのはなぜかしら。」
ライは驚いた表情で、不意打ちで弱点を突かれたように、思わず足を後ろに退いた。
そして、隣に立つ戦士の少年・アーサーをチラリと見る。
ライの視線に、彼は頷いて返した。
アーサーも、ジッドと同じ違反を、まるっきり同じように起こした。
それなのに、ライはアーサーに処罰を与えなかったのである。
「あ、あのね?リザちゃん、それは――」
「レイアは静かにしてて。」
ライがアーサーを罰しなかったのは、彼の優しさだとレイアは知っていた。
慌ててフォローしようとした彼女だったが、その言葉はリザの強い口調に遮られる。
言いたそうな顔をしても、リザは譲ってくれそうもない。
「アーサーだけを処罰にかけないのは、どう考えても不公平だわ。不信な例外のあるルールなんて、ルールとして欠陥よ。」
「ライ、俺もジッドと同じペナルティを受けるよ。そうじゃないと、ジッドに申し訳ないんだ。」
「お前…自分から進んで罰を受ける気か?」
「そうだ。頼む。」
アーサーは自らに処罰を与えることを願い出た。
ライはなにも言わないが、自分の判断に対しては、ある程度間違いを認めているらしく、苦々しそうな表情をした。
このままでは、アーサーを見逃してあげたライの気持ちが無駄になってしまうと、レイアは声を発した。
「リザちゃんもアーサーくんも酷いよ!ライは二人のためにペナルティを無くしたのに!」
「お、俺のため?」「私のため…?どういうこと?」
「聖女の日でさ、あんなに楽しそうに笑ってた二人を見て…死刑囚なんてあだ名、付ける気になるわけないよっ!」
なんとかライの気持ちを汲んであげたいと、レイアは奮起した。
しかしリザには、その例外こそがルールの形骸化を招くのだと思えて仕方がない。
冷静さを欠いているレイアへ、彼女は落ち着いて言葉を返した。
「それが絶対のルールなら、個人的な気持ちで取り扱ったらダメよ。」
「じゃあリザちゃんはアーサーくんを死刑囚にしたいの!?」
「違うわ。でも、筋の通らない判断はすべきじゃない。そもそも、ジッドの処遇について話を持ち出したのはレイアよ?ライの采配に対する違和感は、あなただって持ってたはず。」
「そうだけど、それはジッドがかわいそうだったから!だって、違うのに死刑囚なんて呼ばれたら、悲しいよ…!」
「レイア…悲しいや楽しいじゃ、例外を適応する正当な理由にならないのよ。ライも分かってるでしょ。」
ライの方を、リザは厳しい目つきで見た。
彼女の言葉にライは黙って頷くと、レイアを見て言った。
「レイア、僕は判断が不十分なものだったと認めるよ。今からアーサーにも罰を与える…」
「そ、そんな…!こんなの、絶対おかしいよ!」
その後、なぜ彼の優しさを汲んでくれないのかと、レイアはアーサーとリザへ訴え続けた。
リザは黙ったまま、真顔で表情を固定してレイアを見つめた。
「…ていうかさ、僕のペナルティを終わらせて!喧嘩するなよ!」
そんな中、話の中心である死刑囚のジッドは、困った顔で発言した。
アーサーはその言葉で、その発想はなかった的な反応をした。
「そうだ!よく考えたらそれが一番じゃないか!?」
「…あ、あのね、アーサー。それは例外扱いになって、ライのルールとして…」
「ね、ライ!もういいでしょ?ジッドを許してあげれば、丸く収まる話だよ!」
「そうか…いや、だが…」
目を伏せて、しばらく結論を迷った末に、ライは降参したように両手を挙げた。
それを受け、ジッドは歓喜し、ライを礼賛した。
「分かった。僕に甘い所があったってことで、ペナルティとしてジッドを無罪放免にする。」
「…そう、まぁライが良いなら、私も異議はないわよ。」
「良かったねー、ジッド!」
「うんっ!途中から誰が味方なのか分からなくなって、ヒヤヒヤしたけど!」
「ごめん、ジッド。俺だけなにもなくて…」
「そんなこと別に気にしてないぞ?とにかくペナルティが嫌だっただけだからね!」
一応、話がまとまったので、ジッドは死刑囚ではなくなった。
それにより、リザとレイアも棘が抜け、普段と同じように言葉を交わし始める。
一方で、ライは難しい顔をしていた。
「大丈夫か、ライ?」
「アーサー。いや…僕はリーダーとして、まだ一人前とは言えないんだ…と考えてな。」
「…ペナルティの免除は俺とリザのためだったんだろ。だから、ありがとうな。」
アーサーのお礼に、ライは目を丸くした。
彼の珍しい表情に笑みを溢して、アーサーは言葉を続ける。
「あの日、俺はただ幸せだったよ。もしペナルティが来たら、ちょっと気持ちが沈んでたと思う。」
「ああ…そ、そうか?」
「あ、リザには内緒にして欲しいんだけど…実は、あの日はリザのことで頭がいっぱいでさ。あれだけでも結構大変だった。」
剣だの鎧だのにしか興味がなかったはずの彼らしからぬ、ただの青い言葉。
それを聞いたライは、自分のした判断も悪くはなかったと誤魔化す余裕を得た。
「リザ、今回のクエストの報酬…きちんとやるぜ!」
「…ええ、お願いね。」
今回の話の裏では、ジッドがリザを弁護人に選び、クエストとして弁護を頼んでいた。
その報酬として、彼はアーサーとリザの仲介役をする予定だ。
密かに蠢いているこの取引を、少し弱っていたライは気付けないのであった。
そろそろ毎日更新は終わるかもしれません。