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日常系ファンタジー  作者: 青井渦巻
試練の章
42/171

ケイ

ガチのやつです。

 まだ未成熟な頃のケイは、純粋無垢な少女であった。


 彼女は花を愛し、蝶と遊び、空に夢を見た。


 少しメルヘンな娘ではあるが、ただの少女に変わりはなかった。




 しかし、他の少女とは差別せざるを得ない部分があった。


 彼女は…




「この、クエスト…」


「表と同じやり方じゃ、こっちじゃ通用しないぜ。」


「ど…どういう意味、ですか?」




 路地に潜む、陰鬱な闇の気配。


 彼女はそれを初めて体感し、体を震わせた。


 様々な場所から、影のような視線を感じる。




「どうもこうも。ただの忠告だ…せいぜい死なねぇようにな、嬢ちゃん。」




 深くフードを被った男は、不気味に笑いながらケイに言った。


 まともに顔すら見せない怪しい男を、ケイはただ訝しんで、言葉を返せなかった。




 陽の通らないこの通路は、腐ってしまった心と身体が唯一生存できる聖域だ。


 だが、彼女はまだ腐っていなかった。


 男の言った「裏」の臭いを、彼女は一切帯びていない。


 だからこそ、哀しいほど容易く穢れることになる。




「………私がやらないと。」




 ケイは、冒険者としてこの国にやって来た。


 ダンジョンという神秘の先にある、綺麗な景色を見たかったのだ。


 クラスは呪術師…といっても、まだなんの呪文も扱えない。


 彼女は、ある男から勧められて呪術師となったのである。




 男も呪術師で、初めて冒険をするケイに色々なことを教えてくれた。


 ある時は危ない場面を助けてもらい、またある時は、彼と一緒に戦闘を行った。




 ケイは男を信頼し、男の助けになることであれば協力を惜しむつもりはなかった。


 そんな折、彼が借金に追われて破産しそうなのだと知らされる。


 しかし、普通のクエストの報酬では、返済にはまったく足りない。


 彼を助けるため、ケイの取れる手段はあまりにも少なかった。




 選択肢の一つは、勝手に現れた。



 

『こんな仕事があるんだが、受けてみないか?』




 彼女はそれを選び取って、過った。


 だが元より、正道を逸れぬ未来は選択し得なかっただろう。




 ~~~~~~~~~~


 裏の世界に対するケイの理解は、あまりにも浅かったのだ。


 こちらでの依頼とは、冒険者ギルドで受けるような潔白な内容とはかけ離れている…にも関わらず、紙の上に書かれた文面は簡素なもので、法を犯すような気配を汲み取ることは困難だった。


 その上、彼女は疑うことが得意ではない。


 人を微塵も疑えないわけではないが、他者の心を一から見下すような、尖った価値観も持ち合わせていなかった。


 こちらでは、人の優しさは望むべくもない。


 望まぬつもりでなければ、歩くことすらままならない。




「あの…依頼を受けた者です。」




 ケイはある冒険者パーティの拠点に立ち寄り、依頼主と直接、顔を合わせる。


 依頼人の男は黙ってケイを拠点の中へ通すと、立派なソファの上にどっかりと座り、彼女へ鋭い視線を向けた。




「――お前、本当に殺せるのか?」




 ケイは、彼の最初の一言を聞き、非常に驚いた。


 殺す、などという単語を聞くことになるとは、予想もしていなかったのである。


 彼女は依頼書を見直し、依頼主を見直し…とにかく、状況を呑み込めぬままに、酷く戸惑った。 




「それはどういう意味ですか?」

 

「殺しをやったことは?」


「っ…そんなのありません!」


「思った通りだな。下らん、遊びじゃないんだ。」


「私が受けたのは、この依頼書の内容で…!」


「言っておくが、いまさら受け直せるなんて思うなよ。もし降りるつもりなら…命の保証はない。」




 その言葉と、ギラついた恐ろしい表情。


 ケイは身の危険を本能的に感じ取り、咄嗟に扉の方へ向かおうとした。


 しかし、背後を振り向くと…扉の前で涎を垂らす、醜悪な犬の魔物を視認する。




「俺は魔物使いだ。新人の小娘が勝てる相手じゃない。」


「熟練の冒険者なのに、なんで討伐依頼を…私をどうするつもりなの…?」


「誰だって、自分の手を汚すのは躊躇うものだろう?」




 ケイは朧気ながら、状況を理解しつつあった。


 自分は騙されて、殺人をさせられかけている。




 なんとか脱走を試みようと、必死で周りを見渡す。


 が、どこに視線を移しても、数多の魔物の存在に計画を阻まれた。




「言う事を聞け、小娘。俺はお前に依頼をしている。」


「私…殺人なんて、そんな!」


「安心しろ、やり方は教えてやる。正面から殺る必要はない、ただ回り込んで…ヤツの無防備な首筋に、これを突き立てろ。」




 男は狡猾そうな顔で、怪しい魔法式を小さく刻んだナイフを取り出す。


 凶器を確認し、咄嗟に身体を退くケイ。


 しかし、男は彼女の手を掴むと、それを無理に握らせた。




「そう震えるなよ…お前、名前は?」


「やめて…こんなもの、持ちたくないわ!」


「名前だ。答えろ。」




 見たこともない、残忍な人の表情。


 鋭く暴力的な声に、綺麗な眼をした彼女では抗えない。




「っ…ケイ…」


「ケイ。ターゲットはこの拠点へ戻ってくる。お前のことは先に紹介するが、ボロは出すなよ。あくまで自然に振舞え。」




 それきり、男もケイも沈黙した。


 彼女は心臓の音だけに囚われて、落とされた運命から逃げることもできない。


 ただ、自らが無防備に潜ってしまった扉を見つめ、ターゲットと呼ばれた男を待つ。




 待つ時間はそう長くなかった。


 ケイにはどれだけ長く感じられたか知れないが、ターゲットと呼ばれた彼と出会うまでに、心の準備などは出来なかった。




 扉は開かれ、彼が現れる。




「ただいま、ゴーシュ。」


「…待っていたよ、ベック。」




 ターゲットの彼がゴーシュと呼んだことで、ケイは男の名を知った。


 同時に、ゴーシュがベックという名でターゲットを呼んだことも記憶する。


 ベックにはゴーシュを警戒した様子はなく、むしろ安心した様子で朗らかに接していた。




「ベック、紹介させてくれ。彼女が俺たちのパーティに入りたいらしいんだ。」




 ゴーシュはおもむろにそう切り出すと、ケイの方に視線を向ける。


 ベックもその視線を追ったので、ケイと目が合った。


 その時、ケイの思考にはある考えがよぎった。




(この人に助けを求めれば、もしかすると助かるかもしれない!)




 彼女は意を決して、彼へ助けを求めようと考えた。


 そして、事実を口にするため、声を発しようとした瞬間。




「いっ…!?」




 彼女はなにかに足首を噛まれ、鋭い痛みに行動を阻止された。


 見ると、原因は小さな魔物であった。


 ゴーシュの命令を受け、ケイを襲ったのだ。




「ん?君、大丈夫か。」


「気にする必要はない…彼女は声を出せないんだ。」




 ベックの心配を、事実ではない設定ではぐらかす。


 そうすることによって、ゴーシュは暗に、ケイに喋ることを禁じた。


 ゆえにケイは、余計なことを言えなくなってしまった。




 次に助けを求めるような行動をしても、それは封じられるか…もしかすると、殺されるかもしれない。


 彼女はこの絶望的な状況に、綺麗な顔を歪めて苦悩した。




(一体、どうすればいいの…?このままじゃ…)




 自分が助からなければ、借金を背負う彼をも殺すことになる。


 しかし、助かるということは、すなわち殺人を犯すことだ。 


 頭の中をどのように整理しても、ケイに光明は齎されない。




「ゴーシュ、彼女の名前は?」


「ケイだ。ああ、そうだ!ベックもケイに肩を揉んでもらえ。疲れが吹き飛ぶぞ。」


「へぇ、マッサージが得意なのか!なら、ちょっと頼んでいいか?」




 本性を隠し、柔らかな笑みを浮かべるゴーシュ。


 ケイは彼を恐ろしく思った。


 それと同時に、人間という生き物の残酷性を、大きな傷として心に刻んだ。




 なにも知らずにソファに掛け、ベックは無防備な肩を差し出す。


 なにも策を講じれないままに、殺傷の準備は整ってしまった。


 ケイは青ざめたまま、しばらく彼の肩を見つめたが、やがてそれも打ち切られた。




「っ!」




 先程の小さな魔物に噛みつかれ、少し遠のいていた意識を、強制的に引き戻される。


 ゴーシュには、ケイの心の準備を待つつもりは無いらしかった。


 ケイは泣きそうになったが、冷酷な依頼主の前で泣くことすら恐れ、必死に涙を押し殺す。


 思考のために残された余裕はなく、半ば逡巡を停止して、ついに自らナイフを握った。




 ――その瞬間、今まで気付かなかったある存在に、不意打ちで攻撃される。




「きゃっ!?」




 その一撃はケイに微量のダメージをも与えなかったが、完全に予想はしていなかった。


 それゆえに、ケイはバランスを崩し、後ろへしりもちをついてしまう。




 ベックはケイの転倒に驚き、慌てて立ち上がった。


 すると彼の眼前に、蝶のような生き物がひょいっと現れた。




「ベック、この人は危険。」




 この蝶の正体こそ、ケイへ攻撃を加えた者…精霊だ。


 少女は小さな体で、ベックを庇うような態勢を取り、ケイへ敵意を示した。




「フェ、フェリ!一体どういうことだ?」




 ベックは驚いた様子で、彼女の言葉について説明を求める。


 一方、作戦が失敗したことで、ゴーシュは素早く次の行動に移る。


 彼は魔物にベックの背後を取らせると、大きな声で合図し、一斉に襲いかからせた。




「ぐおぉっ…ゴーシュ!?」


「お前を殺して、俺がパーティのリーダーになるのだぁっ!!」




 仲間の豹変にベックは不意を突かれ、かなりダメージを負ってしまったが、致命傷は免れた。


 フェリと呼ばれた妖精は、彼を守るために精霊の力を行使する。




「はっ!!」




 気合いと共に小さな腕を横に振り切って、無数の氷礫を発生させた。


 それは一直線にゴーシュへと向かい、瞬く間に彼を蹂躙する。


 彼は絶叫と共に、体のあらゆる部位へ深手を負った。




「こぉんの精霊ごときがぁぁ…ぁ…!!」




 恨みがましくそう言うと、彼はぱたりと意識を失くした。




「仲間のフリとか…ほんとキモい。」




 そう吐き捨てるようにつぶやき、フェリは再びケイへ向き直る。


 ゴーシュとは違う真っ直ぐな視線に刺され、ケイはぴくりと身体を震わす。




「あんたもグル?」 


「…わ、私は…違う!」


「ふーん…そう。」




 短いやり取りの後、フェリは興味を失くしたように、ケイから視線を外した。


 それと対照的に、ベックはケイの方へと歩み寄ると、その手を差し出す。




「ほら、立て。平気か?」


「…平気、です。ゴ、ゴーシュは…どうなったんですか?」


「…あいつは気絶したようだ。フェリの力でな。」




 ケイは脅威が過ぎ去ったことを知ると、涙腺を縛る緊張がみるみる解け、自然に涙を流した。


 そうして、彼女はようやく、体と意思の自由を実感した。

明日はこれの続き。

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