図書館
図書館ではお静かに。
呪術師アリエルには、大切な親友がいる。
その名をエリンという。
アリエルにとって彼女の存在は、何者にも代えがたい特別なものである。
なぜアリエルが呪術を学び始めたか、その過去を語る時、エリンはエピソードの大半に登場する。
登場しないエピソードでも、アリエルは基本的にエリンのことを考えている。
彼女にとって大事な人に、勝手ながら順位をつけると、エリンは紛れもなく一番なのだ。
そんな彼女は、今日は魔法学院の図書館に訪れていた。
学院の図書館は国の発展・知識の公共化のため、市民へ開放されているので、誰でも自由に出入りすることが出来る。
「…この魔法式なら、『ファングプット』の効果を上げられるかも。でも…こんな複雑な式じゃ、きっと発動が遅れる。」
応用を考案する彼女はそう呟いて、不服そうに一ページめくる。
我の要求に合わぬ式は早々に飛ばしていく。
すると、その作業の途中、後ろから声をかけられた。
「アリエルさん、アリエルさん…」
しかし、集中している彼女は気付かない。
声の主は方法を変え、彼女の肩を人差し指でとんとん…と、軽く叩いた。
しかし、集中している彼女は気付かない。
「ミーちゃん、邪魔しちゃ悪いですし…帰りましょう?」
「かわいい後輩よりも、本の方が大事なんて…本に嫉妬です。」
「集中なさってるだけですよ!」
ミーちゃん(スイミー)は気持ちに正直な少女であった。
そのため、日頃からお世話になっている先輩・アリエルの関心を、たかが本から引き離せないことに、非常にもやもやした。
その場合の彼女は、「こうなったら絶対に振り向かせるです」と躍起になる。
躍起にならないヘレナからすれば、あまり理解しやすい機微ではないが、この結果だけなら彼女にも予想がついた。
ヘレナはスイミーの腕を取ると、そのまま彼女を出口へと引っ張っていく。
スイミーは「離せー!です!」と喚きつつ(図書館では静かにしなければならない)、ヘレナから逃れようと暴れた。
(…騒がしい。なに?)
2人の迷惑行為によって、集中力を乱されたアリエル。
彼女は本から視線を外し、原因を確認する。
「あれ…スイミーとヘレナ?」
その時、初めて彼女は後輩2人の存在に気付いた。
「な、なにやってるの。」
二人の行動に対し、驚きと呆れの両方を含んだ視線を送る。
スイミーは、先輩の目にようやく自分が映ったことを知り、歓喜した。
「アリエルさん…!やりましたー!私は本の魅力に勝ったのです!」
「ミーちゃん!いい加減にしてくださいっ!」
図書館で起こったこの些細な騒ぎは、二人の頭にグーを優しく置いて、アリエルが収束させた。
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図書館の椅子を借り、3人はカシマシトークを行う。
「その本、魔導書です。アリエルさんは呪術師なのに変です。」
「これも役に立つんだけど…変かな?」
アリエルは呪術師ではあるが、そもそも呪術とは魔力を呪術へと変換するもので、魔導師の扱う魔法と根本的には一緒だ。
ゆえに、魔導書の類から得られる知識も、上手に応用すれば役に立つのである。
「本なんて読まなくても、私がいればそれで良い!です。」
「もう、良くないでしょ。ごめんなさいアリエルさん…ミーちゃんがお騒がせして。」
「むっ…ヘレナ、自分も騒がせたのにズルいです。そういう所あります。」
「ううん。元はと言えばミーちゃんが…」
後輩がアリエルの好感度を競い、内申点バトルを繰り広げる間、渦中の彼女は困っていた。
慕ってくれるのはとても嬉しいが、二人の仲に度々起こる言い合いには、どう対処していいか分からない。
無論、これは二人の仲が良過ぎるために起こることで、放っておいても収まる。
しかし、いざ応酬が始まるとアリエルは少し焦ってしまうのだ。
「アリエルさんもそう思いますよね!」
「え?」
「アリエルさんは私の味方なのです。ねー、アリエルさん。」
「その…私は」
「なら聞いてみようよ!私とミーちゃん、どっちが好きですか!?」
「わわ、私は…」
普段は冷静な彼女も、怒涛の勢いに巻き込まれては抗えない。
さきほどは周りに迷惑をかけてしまっていたので、控えめに注意してあげれば反省してくれたが、今回もグーを置くのは違うだろう。
なんとか宥めようと、彼女は提示された二択を抜け出し、別の回答を拵えた。
「…私が一番大事なのは、エリンだから。ごめんね。」
少し頬を赤らめながら、アリエルは静かに微笑んだ。
「えっ…」「はっ!」
その可憐な仕草に、ヘレナもスイミーも打ちのめされた。
さらに、こういった表情の意味に聡いスイミーは、自らとヘレナがエリンに勝つ術が無いことすら見通した。
スイミーは珍しく動揺しつつ、アリエルに対して質問する。
「もしかして、その…エリンさんのこと、好きですか。」
その問いはあまりにも単刀直入であったが、
「?うん…だって、親友だから。」
なんとも言えぬ、当然と言えば当然な解釈の齟齬で、はっきりとした回答は得られなかった。
要するに、スイミーが知りたいのは友人としての関係ではなく、もっと先の…
しかし、禁断の領域に足を踏み入れるような気分になって、彼女は一度踏み出した足をすぐに退いた。
(アリエルさん…あの表情は絶対、そうです。私ですら初めてのケース…)
頬を染め、少量の汗をかき緘黙する友人の姿を見て、ヘレナは戸惑った。
ヘレナはスイミーほど深い洞察は出来なかったものの、不思議な魔力を帯びたアリエルの微笑みには驚かされた。
一瞬、あまりにも突然に、魅惑の世界へいざなわれた彼女は、すぐには言葉を発せなかった。
「…二人とも、本当にごめん。」
自分が少女たちを惑わせたことに気付いていないアリエルは、二人の困惑を傷心だと勘違いし、丁寧に謝る。
偉大な先輩の見当違いな謝罪に、ヘレナとスイミーはとても慌て、必死に言葉を発した。
「ち、違うんです!私は別に、好きとかの話に傷ついたんじゃなくて!ね、ね?」
「そ、そうです。私たちは平気だから、アリエルさんが謝る理由はないです。」
そっと顔を上げたアリエルは、不思議そうに二人の焦った様子を見た。
依然申し訳なさそうなアリエルに、ヘレナとスイミーはスマイルを送り続けた。
「…そっか。じゃあ、良かった。」
アリエルは「ふふっ」と笑い、安心したように態勢を戻した。
スマイルを維持していた二人も、ホッと胸を撫でおろすと、落ち着いて椅子に座り直す。
その時ヘレナは、いつもの様子に戻っている先輩を見て、かなり安心した。
しかし、スイミーはヘレナとは違う心持ちであった。
彼女のさっきのような一面は、無暗に覗いてはならないのでは?…と、かなり警戒した。
スイミーは、少し不自然だと承知しつつも、話題を変えにいった。
「そういえばアリエルさん、ベックって人には会いました?」
持ち出したのは、精霊術師ベックの行方について。
ヘレナが尊敬する人物であるが、スイミーが実際に会おうとして情報を集めても、有力なものは一切なかった。
本当に実在するのか怪しくなり、とりあえず知り合いにも捜索をお願いしていたのだ。
もちろん、アリエルにも。
「あ、ううん。精霊術師なんて珍しいから、見たらすぐに分かると思うけど…」
「やっぱり見当たらなかったですか。ヘレナ、ちゃんと名前は合ってます?」
「…合ってます。名前を聞いた時、凄く印象に残ってるから。」
パーティ内の仲間に、彼はそう呼ばれていた。
ヘレナはたまたま聞いたその名を、幼いながら強く記憶したのだ。
スイミーは「うーん」と唸りつつ、ちょっと考えた様子を見せたが、すぐに逡巡を解いて笑った。
「まぁ、考えても仕方ないです。そのうち見つかります。」
「うん。ゆっくり探そう。」
「…そうですね。ありがとうございます、2人とも。」
ヘレナは探してくれる2人にぺこりとお礼をした。
そうして、彼女たちの話は平和に続く。
――言わずもがな、スイミーはアリエルの禁断領域を覗かぬように注意し続けた。
そのくせ、彼女は今度、エリンに探りを入れに行く腹案も用意していた。
明日もあります。