無礼
なにも始まらない回。
ワイズは勇敢な戦士である。
一人で数多のダンジョンを攻略し、その名を世に轟かせてきた伝説の男だ。
そんな彼でも、恐れるものがある。
「ワイズよ。それほど畏まることはないぞよ。」
「…っ!!」
王の前に跪き、彼は始めて玉座に座す者の器を体感した。
頭が高いという一言だけで、立つ力を失うほどの威厳。
あるところで聞いたそんな比喩を、信用していないわけではなかったが…誇張ではないことを知り、ますます驚きを大きくされた。
「ワイズ。お主はわしを恐れておるのか。」
「はっ!?い、いいえ…!!閣下を、恐れるなど…恐れ多いですっ!!」
その言霊、指を震わす。
ワイズの皮膚が震える。
細胞が、血液が震える。
思考が震え…危うく、脳が震えかけた。
「恐れ多いのか…」
「っ!!」
「ワイズ。」
「はっ!?」
ワイズは日常的に命のやり取りをしているので、危険にも敏感であったが、なによりも命に敏感であった。
奪う命は、自らと同じ位置にある…魔物の生命といえども、他の生命となんら違いのない尊いものであると信じていた。
…しかし目の前の人物ならば、その存在の威光により、おそらくそれに優劣をつけてしまえる。
ワイズはそう気付いた瞬間、鋭い銀の槍で心臓を射貫かれた心地がした。
「呼んだのは他でもない。一度、雇われの身として我が娘を守ったお主の目に、娘がどう映ったかを知りたくてな…」
「…むす、め…っ!?」
「ああ、そうだ。我が娘…姫という立場にある、レインのことだな。」
「っレイン姫っっ…」
王が些細な行動を起こすたびに、銀の鎖で背中を打たれ、その音を苦痛で覚醒する耳が細かに拾うようだった。
あるいは銀の太陽に抱かれ、自らの魂の残滓すら虚しく雨に溶かされるような、絶望的な状況に置かれた気分だった。
あえて表現するならば、微かに息づく幼き花の芽を、圧倒的な威力を持つ竜巻が完膚なきまでに摘み取る様子を、冷たい銀の義手によって無理やり目を開かされ、まざまざと見せつけられているようだった。
彼の視界は、間もなく銀色に染まりそうになった。
「お主…そんなに緊張するでない…」
「あ、ああ…!!緊張なんて恐れ多い!!」
「度が過ぎる。わしも困っているぞよ。」
「ぞ…ぞ、よっ…!?」
ワイズは勇敢で、度が過ぎている。
度が過ぎている、という事実に無感動な王に対し、彼は恐れ慄いた。
喉の奥から無理やりひねり出そうとした声が、威圧感により跡形もなく消し飛んだ。
消し飛んだことに対して、ワイズは恐れ慄いた。
「っっっっっっっっ…」
「もうよい、そんな顔をするな。分かった、もう帰って良いぞ。」
「っ!?」
「お主が王族の前で、それほどに緊張する性格だとは知らなかったのだ。」
「緊…張…す…る…」
「ワイズよ、無理をするな。」
度が過ぎたワイズは、緊張するという事実に恐れ慄きつつ、銀の槍を放置したままの心臓に手を置き、その鼓動を聞いた。
気付けば、血液の雨が喉の奥に降っているような気がした。
いつの間にか細胞だけが震えており、皮膚はその振動とは逆の思想を携え、静止を試みていた。
「つ…!!」
「ワイズよ、どうしたのだ。『つ』とはなんだ?」
「つ、てんてんてん、びっくりっ…!」
「おい、誰かおらぬのか!ワイズを城の外へ送ってやれ!」
度が過ぎた勇敢なワイズは、一体自分がどのような状態にあるのか、自覚することすらままならない状態であった。
そんな中で、玉座の扉が開く厳かな音を聞いた。
彼は己を正しく認識する作業を中断し、振り向いて己の後方を認識した。
「王よ!姫は監禁を承諾されましたっ!」
ワイズの目に映ったのは、立派な鎧に身を包んだ一人の騎士。
騎士はワイズを一瞥したが、あまり気にした様子もなく、すぐに王様の元へ向かう。
「ニコルソン…そうか、承諾したか!」
「ええ!錬金術師のパルル殿、そして聖騎士アバトライト殿との同棲を望まれております!」
「なに?同棲…?」
「申し訳ございません、表現に誤りがございました。正しく言うと生活です。」
「生活…?」
「なんと申し上げればよろしいのか、皆目見当もつきませんよ!とにかく、そういう感じであります!」
ワイズは驚愕した。
最初見た時から、確かに興奮した様子ではあった…が、王の前で跪きもせず、言葉遣いもめちゃくちゃ。
偉大な王の御前で、こんな無礼な態度が許されるはずがないのだ。
「分かった、そのように手配しよう。…ついでにニコルソンよ、この者を城の外へ送ってやってほしい。」
「へっ?彼は…?」
「ワイズだ。わしが呼んだのだが、どうやらかなり緊張しているようでな…」
「はっ、仰せの通りに!ではワイズ殿、私の手を取ってください。見たところ、立つのもやっとのようですので。」
もう訳が分からなかった。
ワイズには、なにも理解できない。
あのような無礼な態度を、なぜ偉大な王はスルーしたのだろうか?
さらに言うと、この無礼者の先ほどの印象が、自分と話している時には一切感じられないのはなぜか?
今では粗相の面影すらない、礼儀正しい振る舞いをする騎士。
彼の頼りになる肩を借りながら、ワイズは不可解な現象に恐れ慄いた。
――後にワイズは、騎士・ニコルソンの役職を聞き、さらに狼狽した。
「哀れなことに、私は姫の唯一の近衛騎士なのです。」
「近衛…だってっっっっっ…!?」
このように。
明日もきっと大丈夫です。