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日常系ファンタジー  作者: 青井渦巻
運命の章
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窓の外の雨

 ダンジョンの中で、ショルテが息を引き取った。


 その光景は、メルチの心の中に焼き付いて、離れようとしない。


 彼女は今、初めて人の死に直面していた。




 なんとか宮殿から逃げ延びた、その翌日。


 彼女は喫茶店に入って、少しだけ回想に耽っていた。


 目の前にショルテが座るはずの、いつもの席で。




「ねぇ、ショルテ」




 小さな声で、彼女は仲間の名前を呼んでみる。


 返事はない。残像はそこにあるのに、声はない。


 ふと眼を逸らして、窓を見てみる。




 窓に映る自分は、とても奇妙な表情をしていた。


 今までに見たことのない、なんとも言えない顔をしていた。


 笑い方の練習をしていた頃、何度か見た不愛想な自分は、なぜかそこにいない。




「ショルテ、今日はダンジョンに…………」




 いつも通りに振舞ってみて、気持ちを理解しようとする。


 抱いたことのない感情が、彼女を惑わせていた。




「…………ねぇ、あなたはどうして死んでしまったの」




 途中までは再現できるものの、現実が被ると引き戻される。


 眼の前にいない青年の、皮肉げな笑みが見えるようだった。




 ――本当を言えば、彼女には少し後悔があった。


 あの時、冷静な考え方なんてせずに、魔女に立ち向かっていればどうなっただろう……と。


 勝つ可能性が無いとは言えないが、きっと死んでしまっただろう。


 それで死んでしまうならば、それでもいいはずだった。




 死ぬことなんて、なにも怖くない。


 そこには死んでいくなりの幸福が存在していて、きっと一度きりの甘い感覚を味わえる。


 ……はずだけれど、受け入れることはできなかったのだ。




「…………」




 ショルテの言葉が、彼女の頭の中で反響する。




『死ぬな、メルチ』




 そう言って、彼はその後、勝手に黙ってしまったのだ。


 意味を聞き直すことさえ叶わなかった。


 最近、とても自分勝手だった青年は、最後まで自分勝手なままだ。




 意味が分からないけれど、それでも、死んではならないと思った。


 どうして生きなければならないのか、納得なんてできない。


 生きていることが幸福だとも、そんなに思えないままで。




(でも……ショルテの、言う事だもの……?)




 リーダーの言う事に従っただけ。


 そう思えば、自分の感情の理由を知らずに済む。


 自己探求などしないで済む。もう一度、ただ下らない笑みを浮かべて、ダンジョンへ向かえばいい。




 したがって、彼女はダンジョンに向かえずにいた。


 あれだけ大好きだったダンジョンの神秘に、得体の知れない恐ろしさを感じてしまったために。


 氷の花は綺麗だが、今さら思い返すと、なぜそんなものが存在するのかが分からない。




 あんなものは、現実にはない。




「ショルテ」




 縋るように、何度も彼の名を呼んでみる。


 現実とダンジョンを繋いでいたのは、彼の存在だけであった。


 それ以外に、彼女が現実を認識する機会などなかった。


 その彼が居なくなって、ダンジョンに潜ることもできなくて――どこにも逃げることができないでいた。




 眼を瞑って、眼を開けて。そこにショルテが居たらいい。


 明日が来れば、宿のベッドの上に、寝不足で苛立つ彼がいない。


 「行ってきます」と言う相手が、もはや存在さえしていない。




 喫茶店の外は次第に曇った。


 街に雨が降って、シトシト弾む雨粒が、サアサア音を立てる。


 その光景がなぜか、彼女の穴が空いたような心に、ひどく馴染んだ。




「雨……」




 雨などに心を動かしたことは、今まで一度もなかった。


 ダンジョンの中にある神秘なんて程遠い、ただの現実の曇天。なんでもない悪天候。


 それが、喫茶店の窓を通して眺めると、どうしてか哀しく感じた。


 哀しいことを、哀しいとは分からない彼女だが。




 黙ってココアを飲んでみる。ちょっとだけ味がする。


 いつもより繊細な味がする。いつもより苦い気がする。


 いつも喉に通りやすいという理由だけで飲んでいた、温かくてブラウンに濁った液体に、これほどたくさんの機微があると知らなかった。


 それが雨の景色に混じると、また別の味に変わる様な気がした。




 どこを見ても、日常というようなものは見当たらない。


 過去には、色のあるようで、その実なんの関心もない世界だった。


 今はそれが悉く新しくて、綺麗なものに見えた。


 どうしてかは、やっぱり全然わからない。




「おいしい」




 おいしいなんて特別に思ったりしないし、口に出したりしたこともない。


 でも、今日はどうしてか口に出してしまった。


 そうしないと、気持ちが消えてしまう気がして。




 ――気持ちが消えるのが、とても惜しかった。


 無意識に、この哀しみに意味を感じていたからである。


 これを忘れれば、またダンジョンに行けるようになるかもしれない。それでも、忘れたくない。


 ショルテのくれた気持ちだけは、なにか大事なものなのだと思えた。




 消えてしまった青年の姿は、眼を瞑ると現れるだろう。


 けれど、眼を開けたとしても、その像は刹那さえ残らない。


 現実という世界にはいない。でも瞼の裏には見えるのだから、どこにもいないのも違う。


 彼女はショルテの居所を探した。




 不意に、肌身離さず持っている剣に手が触れる。


 剣身ブレイドはしっかりと鞘に収まっていて、皮膚が傷付くことはない。


 それを眺めてみて、少しだけ思う。




(私が強ければ、魔女を倒せたのかしら)




 そう思うと、自分の至らなさが苦しい。


 彼女は誰かのために強くなったわけではないが、その強さが仲間の役に立てなかったのは、歯がゆく感じた。


 ダンジョンに潜る事で得たものは、肝心な時に役に立たなかったのだ。




 そう思うと、余計にダンジョンに行きたいとは思えなくなる。


 ふと、こんな気持ちを重ねて――




(ショルテも……こんな気持ちだったのかしら?)




 青年の気持ちが、ほんの少しだけ分かった気がした。


 それが、彼女に微々たる希望を与えた。


 彼のことが分かった瞬間、ダンジョンで感じたような喜びを得たのである。




 今さらになって、彼女は願ってみた。


 もっとショルテのことが知りたい、と。


 今、彼がここに居ないとしても。あの日の青年がなにを思っていたのか、自分に理解できるなら。




 人を理解する喜びが、彼女の中に芽生える。


 そのためになら、大して興味の無かった命にも、まだ向き合えそうだった。




 雨が降っていた。


 世界が終わるような哀しみを宿して、窓の外に落ち続けた。


 だから彼女は、おもむろに席を立って、窓の傍へ行く。




「もうすぐ晴れないかしら」




 空を見上げて、彼女は不安そうに呟く。


 けれども、その瞳には小さな光が宿っていた。


 頼りない眼差しに心を託して、雲の切れ間から太陽が覗くのを待つ。

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