生気
メルチはとてもご機嫌で、楽しそうにニヤニヤしていた。
なんといっても、ショルテと久しぶりに協力しているからだ。
宮殿の先に進んで行く2人は、スライムを何匹も倒していく。
時にお互いの死角を補いあって、仲間としてダンジョンを攻略していった。
――そのうち彼らは、ボスの気配が漂うエリアへと着いた。
「ここがボス地点か」
「そうみたいね」
ショルテはニヤニヤ笑って、禍々しい雰囲気を嗅いだ。
そして、なんとも気軽な動作で中に入っていく。
彼の弛緩を認めつつ、メルチもその背中へ続いた。
宮殿の大広間は、初めて青い花を見た空間に酷似していた。
その奥で、なにやら花を愛でる人影がある。
謎めいた影の正体は――美しい女であった。
彼女は知性的な眼差しで、2人の侵入者を見た。
「あらら? 遊び相手が来たみたいね?」
口元に手を当て、クスクスと笑う。
侵入者を興味深げに眺めて、彼女は品定めをした。
「なかなか若い子たちだし……あらら、よく見たら前にも見た事がある子達ね」
魔女は2人を見ている間に、自分の記憶を探り当てたようだ。
だが、ショルテは訝し気な眼をして、含み笑いを浮かべながら言葉を返す。
「お前とは初対面だがな、魔女」
ショルテは魔女を見た覚えは無いし、間接的に出会ったこともない。
魔女はまたもクスクス笑って、ショルテへ上目遣いを向ける。その視線は高圧的だ。
「あなたにとってはそうでしょうね。だけど、あたしは見た事あるのよね」
「なんだと?」
「ほら、前に来たことあったでしょ? あたしの養分になった女の子、連れてきてくれた人たちよね?」
「――お前…………」
ショルテは彼女の言葉を聞いて、一瞬で合点がいく。
つまり、このダンジョンでラウラが死んだ原因は……他ならぬ、この魔女のせいなのだと。
彼はボウガンを構え、照準を魔女の首に合わせ、即座に撃つ。
それは見事に命中した。けれど相手には、特にダメージを受けた様子はない。
攻撃が通らなかった事実に、青年は眼を見開く。
「いったーい! なにするの!」
魔女の怒りが眼に入ったが、彼にそんなことを気にしている余裕は無い。
「ダメージがない、だと…………?」
「いきなり攻撃してくるなんて、酷いわね!」
魔女はプンプン怒って、青年に抗議する。
しかし、青年は驚いて、相手の言葉を聞いていなかった。
動揺を抑えつつ、彼は再びボウガンを構え、今度は連射攻撃を試みる。
「だ・か・らぁ……痛いって言ってるでしょうが」
無数の矢が直線状に連なって、魔女を貫くべく推進する。
それに対し、魔女は手を前に差し出すと、氷の障壁を創成した。
障壁に阻まれ、撃ち出された矢はすべて弾かれてしまう。
「バカな……」
「あはは! もしかしてあたしが嫌いなの?」
「クソ…………!!」
苛立ったショルテは、より素早い攻撃を繰り出そうと、勢いよく魔女へ接近した。
至近距離から技を繰り出せば、回避も難しいだろうと考えたのだ。
ボウガンを前へ持ち上げ、乱れ撃ちを実行する。
が、魔女はなんの態勢も取らないまま、ショルテの接近攻撃をいなした。
思惑がまったく外れて、彼は余計に苛立つ。
「なぜだ!?」
「コントロールが悪いのねぇ」
「クソがぁ……っ!! おい、メルチ!」
彼は咄嗟にメルチを呼んで、加勢するように号令を掛ける。
名を呼ばれたメルチは、自らの剣を鈍く光らせて、魔女へ接近した。
神速の剣捌きによって斬りかかるが、魔女は彼女の攻撃さえも指一本で受け止め、ダメージを回避する。
「あなたも若いみたいね、剣士ちゃん」
「…………何者かしら、あなた」
「あたしとしては、あなたたちの方へ質問したいくらい!」
魔女は攻撃を返すことも無く、雑談に興じる。
そうして自己紹介を始めた。
「私は魔女。カリアッハ・ヴェーラよ」
ショルテはその名を聞いて、自らの記憶を素早く探る。
カリアッハ・ヴェーラ。魔女の名は確かに覚えがあった。
氷の属性を持つ魔女で、若い人間の生気を吸い取り、自らの若さにするという。
犠牲になった者は、身体に氷の花を咲かせ――
「氷の花を…………やはりお前が、ラウラを殺したのかッ!!」
記憶はまさしく合致した。
すべての元凶は、この魔女なのだと確信した。
「あの子はラウラっていうのね。あたしもよく覚えてるわ……侵入者は少ないからね、この場所って」
「殺すッ!! お前は絶対に殺すッ!!」
倒すべき敵を知り、ショルテは復讐に燃えた。
彼はボウガンを何度も連射して、魔女へ攻撃を試みる。
しかし、魔女は指一本でそれらを捌いて、あくびをする。
「なにを怒っているの? こんな退屈な攻撃、意味ないわよ」
「殺してやるッ!!」
「あはは、殺せるワケないじゃない……面白くない冗談ね」
彼の撃つ矢に混じって、メルチも加勢に入った。
素早く剣を振って、魔女へ攻撃を仕掛ける。
矢を捌きながらでも、魔女はその剣閃を止めてしまえた。
「あら? この子の方が強いみたいよ?」
魔女は自らの爪が欠けたのをふと見て、2人の実力の差を測った。
それは間違っていない。ダンジョンに長く潜っていなかったショルテの実力は、全盛期に比べて衰えている。
それに対し、メルチは毎日のようにダンジョンへ潜っている。差が開かない理由はなかった。
ショルテは魔女の話も聞かず、近距離から速度最大の攻撃を連打した。
レンジャーとしての適切な間合いさえ捨てて、ただ殺意に身を委ねて戦う。
それなのに、攻撃は一度も通らない。
「もういいじゃない、なにこれ? ずっとこんなこと続けるの?」
「殺すッ!!」
「…………ムリだって、言ってるでしょっ」
魔女は眉を顰めると、それまで戯れていたショルテに対し、初めて攻撃を行った。
おもむろに氷の刃は生成され、魔女の指先による命令で飛んでいき――それは、ショルテの身体を貫いた。
大量の血液が体外へ排出され、ショルテは吐血した。
身体のコントロールを一瞬にして失い、無力にも地面へ落下した。
「あはは! しつこいから、あなたは殺すことにしたわ」
「――ぐふっ…………!!」
魔女の高笑いの中で、彼は背中からへ倒れる。
生命の灯火が消える場面が、そこにあった。
「ショルテ?」
呟くような声量で、メルチは言った。彼女は、青年の姿をスローモーションで捉えた。
目の前で倒れた仲間の姿を、うまく理解できなかった。
しかし、ごくわずかに時間が経って、ショルテの血液が地に溢れた瞬間――大声を上げた。
「…………ショルテっ!!!」
彼女はすぐに仲間の近くへ駆け寄り、その身体を抱き上げる。
彼女の腕の中で、青年は小さく笑った。
「……へっ、死んじまうのか、俺」
彼は自らの腹部から流れ出す血を見ると、そう確信した。
殺意ばかりだった瞳は、静かに冷静さを取り戻していく。
「あなたが死ぬなんて、ありえないことよ」
メルチは薄笑いを浮かべていたが、その眉の動きは悲壮で、ほとんど笑えていない。
そんな人間らしい彼女の表情を、ショルテは漫然と見た。
その刹那、鈍い頭で考える。
(ああ、メルチは人間でもあったっけ)
そこにあったのは、メルチの人間らしい部分だった。
彼女にだって心がある。ショルテはそれを、ちゃんと知っていた。
あの時見たメルチの表情が、鮮明に物語っていたことである。
『ふふ、なんだか、えぇと……どうもありがとう』
そう言って、ヘタクソに笑った彼女の、慣れない気持ちに気付いていた。
ショルテは出血を酷くして、自分の死を悟る。
息絶える前に、メルチへ一言だけ口添えた。
「死ぬな、メルチ」
それだけ残すと、彼は静かに眼を閉じた。
メルチは彼の身体を揺さぶって、彼の意識を取り戻そうとする。
「嘘よ…………起きて、ショルテ……?」
もはや下らない笑みを浮かべる余裕などなく、今にも崩れそうな表情になる。
揺さ振り続ける青年の瞼は、いつまで経っても開く気配がない。
そのうち、彼の体温さえも徐々に冷えていく。
メルチは彼の死を知った。
「…………生きて、って? あなたは本当に、そんな風に言ったの?」
最後に彼が放った言葉が、彼女には信じられなかった。
どうしてそんな風に言ったのかさえ、見当がつかない。
しかし――
「さあ、久しぶりにおいしい食事ね。あはは、若いっていいわねぇ」
目の前に存在する魔女の実力は、彼女の力を越えている。
どのように戦闘したところで、彼女が魔女に勝てる可能性は限りなく低い。
一撃でも喰らえば死んでしまう。
(――死ぬのは、イヤ…………)
メルチの頭の中に、その言葉が過る。
そして、彼女は身を翻し、魔女の前から逃げ出した。
脱兎の如く去っていく侵入者を見て、魔女は慌てて攻撃を実行する。
「…………あ、待ちなさい! あなたも食べるんだからね!」
氷の刃を創成し、即座に撃ち出す。
背中に迫った脅威を、メルチは素早く弾いた。
彼女の剣は薄い刃を欠けさせて、氷の直線軌道を変更させた。
そうして、素早くエリア脱出し、彼女は魔女の下から逃げ去った。
「……ふぅん、残念。でも面白い子だわ」
魔女は少し残念そうに溜め息を吐いたが、その後で小さく笑う。
去っていった剣士の背中を思い出しつつ、食事を開始した。
「若い……というと嘘になるわね。でも、おじいさんではないから良いわ」
死んだ青年の姿をそう評すると、彼女はその身体へ噛り付く。
そして、ゆっくりと舌鼓を打ちながら、すこしずつ生気を取り出すのだった。
やがて青年の身体には、氷のように透明な青い花が咲く。
彼の浮かべる表情には、もはやなにも残っていない。
ただ、安らかな眠りを体現しているのみだった。