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日常系ファンタジー  作者: 青井渦巻
運命の章
159/171

ただいま

 円形に立つ無数の柱。その中心に鎮座する、荘厳なる宮殿。


 それは深い青を背景にして、神秘的な翠緑を纏う。


 入り口は神々しい内部を見せているが、邪なる侵入者を罰しているようでもあった。




 自ら沈んでいった海の底に、ショルテは呼吸をして立っていた。


 過去に訪れた事のある深海のダンジョン。その聖域のような全貌を再び眺め、彼は呟く。




「相変わらず、偉そうな建物だ」




 彼は忌々しそうに唾を吐き捨て、入り口の円柱を汚した。


 そうして、翠緑に煌めく宮殿の中へ、無警戒に進んで行った。




 ――内部は静寂に包まれていて、微かな物音さえしない。


 魔法陣のような模様があしらわれた、大きく広い床の上に、青年の歩調だけが響く。


 そこには魔物の気配さえなく、神の居城と呼ぶに相応しい神聖さが漂っていた。




 この宮殿の造形は、悉く巨人のために設計されたような趣きである。


 ところどころで現れる階段や、向こうのエリアへ通じるゲートや、天井から見下ろすような柱……すべてが偉大だった。




 そういった諸々の制圧的な雰囲気を、ショルテは非常に気持ち悪く感じていた。


 前に来た時もそうだったが、改めて訪れても感じ方に変化はなく、少しげんなりした。




「クソが」




 眉間に皺を寄せ、ぶっきらぼうに口ぐせを放つ。


 すると、細部まで粧飾しょうしょくの施された高い天井まで、声は闇雲に拡がっていった。




 『クソが』……『クソが』…………『クソが』………………『クソが』……………………




「…………」




 低俗な言葉でさえ大いなる威厳を獲得し、話者の耳に反復する。


 思わぬ意趣返し喰らったショルテは、さらに機嫌を悪くした。




 だが今は、そんな些細な感情など、どうだっていい。


 彼の目的はただ一つ――仲間を死に至らしめた、青い花を拝むこと。


 今、そうしなければならない。たとえ脈絡のない衝動でも、彼は使命を感じたのである。




 ここで起こったことのすべてによって、彼のパーティ『エンドレスパルム』は半壊した。


 そのために、彼はずっと、パーティの仇を討ちたいと望んでいた。


 ダンジョンによって蝕まれた人生の、せめてもの終止符を探していたのである。


 それゆえ、常軌の中で常軌を探るような苦しみを抱えてまで、腐った生に縋っていたのだ。




 今でなければならない。


 しかし、このタイミングを計っていたわけでも、ましてや辛抱して待っていたわけでもない。


 ただ、だらしない時間の流れにおいて、ついに掴んでしまった。それと同時に、手放すことは考えられなかった。


 とうの昔に抜け殻と化した彼の身体を、使命が支配した。




 とにかく、今。それだけなのだ。


 青い花を目指す彼の歩みは、静寂に怯える素振りもない。


 ただ静粛に前進するのみで、他の考えは端から消えていた。




 その間に、彼の眼前には幻が浮かんだ。




『ショルテ!』




 自分の名を呼ぶのは、今は亡き少女。


 その声はもう思い出せないが、捏造が補完する。元と比べることはできないが、綺麗な声色だった。


 少女の身体を覆いつくした、氷のように透き通る青い花の残像は、瞼の裏側に眠っている。


 目を瞑って満開を思い出すことは、今や必要ない。こちらから会いに行くのだから。




 宮殿を進んでいくと、景色は歪曲を始めた。


 これは過去の記憶と同じ現象であった。ショルテは一瞬だけ驚いたが、取り乱すことはない。




 歪曲は徐々に増していき、ショルテの立つ場所を不明瞭にする。


 宮殿の技巧的な模様も、だんだんと猥雑になっていった。


 感覚を狂わせる奇怪な異変に、青年は笑みを浮かべた。




「そうだ……これだ……! 俺の求めてたのは、この続きだ……っ!」




 昂る気持ちが、青年の純粋な一面を浮き彫りにしていく。


 その表情は光を取り戻して、魂は身体の支配権を使命から奪還した。


 彼が今まで避けてきた光景に、最も会いたかったのは彼自身なのである。




 通常の感覚を完全に失って、ショルテは無意識に倒れ込む。


 そうして膝を曲げると同時に、原因不明の怪音が鳴り響いた。


 呻きのような、悲鳴のような、動物・魔物の鳴き声のような――形容の困難な音波は、野蛮に振動する。




 前はここで気を失って、気付いた時には少女とはぐれてしまった。


 そして今回も、途中までは同じ結果を辿る。どうしても辿れないのは、少女との別れだけだ。


 ショルテは薄く笑みを浮かべたまま、為すがままに気絶を受け入れるのだった。


~~~~~~~~~~


 いくらか時間が経過した。


 青年は眼を覚まして、まずフラッシュバックに苛まれた。デジャヴである。




 眼を覚まして、少女の姿がないことに気付き、必死で捜索した覚えがある。


 結局、あの時は自分で見つけることは叶わず、最後はメルチの報告に頼ったのだ。


 そして、一縷の望みを手繰った先に――




「…………」




 ――口ぐせが出かかって、さきほどのエコーを思い出し、発声を慎む。


 過ぎたことを思い出すのに、彼はもうウンザリしていた。


 今さら記憶を再生せずとも、何度も夢で繰り返してきた光景である。


 この記憶の日から、彼はまともに睡眠を取れなくなった。




「確か……南だ」




 繰返してきたおかげで、行くべき方角は容易に見当がついた。


 元リーダーが魔法でメルチと交信しつつ、手探りで通ったルート。


 今は彼一人、脇目も振らないで辿る。


 道のりは同じでも、壁の模様が鮮明であるため、少しだけ使命の実感を得ることができた。




 かくして辿り着いた、見渡す限りの大広間。


 夢の終着点である忌まわしきこの地点は、なんら変わりなく存在していた。


 青年は口の端を吊り上げると、瞳孔を開いて笑い出す。




「ハハッ……ハハハッ、ハハハハハハハッ……!!!」




 記憶の言いなりで、なんの苦労もなしに訪れた目的地。


 合致に次ぐ合致は狂気に似て、神聖なる空気の重圧は懐かしく、見晴らした景色は余すところなく当然だった。




 最大まで遠い場所に視線を映すと――彼の望むものが、美しい彩色を示していたのである。


 氷のように透き通った青い花が、青年を迎えるべく咲き乱れていた。




「――……ただいま」




 ショルテは自我を喪失したように誘われた。


 青い花が表情を持ち、彼に親しげな微笑を向ける。ありもしない囁きが無数に群がる。


 自分が前進していることに、彼は気付かなかった。花が自分に近づいているのだと錯覚していた。


 氷の園の真ん中に、死んだ少女がぼんやりと立っていた。




『おいで、ショルテ』


「今行くよ」


『キミは私を見捨てた』


「許してくれ」


『だからキミも』


「すぐに行くよ」




 うじゃうじゃと、美しい青が渦巻く。


 その渦中へと、儚げな笑みの傍へと、幻影の胃袋へと、彼は歩いて行く。


 身体を動かすのは、昂る魂でも、衝動的な使命でもない。ひとえに喪失であった。




 青い花は、いよいよ笑みを深くした。そうして侵入者を歓迎した。


 ショルテは再開の喜びを感じて、だらしなく笑う。




『ショルテ』




 脳裏に刻まれた友人の声が、耳にはっきりと届く。


 もう失うものはない。彼は優しく返事をした。




「ずっと会いたかった、ラウラ――」




 ――言葉が声になった瞬間、すべては切り裂かれた。


 青い花は唐突に破れ、少女の姿は無惨に掻き消え、宮殿中に惨殺の音が轟いた。


 ショルテの視界には刹那、神速の剣筋が可視化した。




「……ラウラは死んだわ」




 呆然と立ち尽くす彼に、何者かの声がする。


 彼はゆっくり、それ以上の速さで振り向けないかの如く、よろよろ首を動かした。


 震えるその瞳にようやく映ったのは、脳裏に刻まれた友人の姿だった。




「ふふ……一体、なにを見ていたのかしら」




 喪失を極めた青年の顔を見て、彼女は張り付けたような笑みを浮かべる。




 銀色の剣に、氷の花弁が溶けたように滴っていた。


 彼女は――メルチは剣を真横に振って、それを無造作に振り払った。

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