戯曲
射干玉の戯曲。
冒険者ギルド。
ロビー。
手を繋ぎ、小さなまぶたを優しく撫でて、窓の無い部屋で眠る。
それだけのことを、世界が終わるまで繰り返したかった。
とめどなく頬に伝う雫が、ネアの声を曇らせた。
「どうして…………どうして、テリはっ……」
彼女の妹は、ある正午過ぎに家出をしてしまった。
部屋を飛び出してから、もう1日くらい経っている。
誰かに酷い目に合わされているのではないかと、姉としては気が気ではない。
「キョウガさん!! お願いです、テリを一緒に捜索してくださいっ!!」
泣き腫らした下まぶたを携え、ネアはとある治療術師にそう懇願した。
しかし、治療術師――名をキョウガという。彼女は言う。
「ふむ……一寸、大袈裟とは思わんかね?」
テリは幼いとはいえ、自分で物事を考えられる程度には成長している。
経験値が少ないから、判断には多少、誤りがあるだろうが。
それにしても、自分の意思で家出をしたのなら、1日・2日くらいは放っておいても構わないだろう。
そう考えたキョウガは、焦るネアを落ち着けようとした。
「いいかね、ネア。これは無論、私個人の見解に過ぎないんだが――」
「大袈裟なんかじゃないですっ!! なら、捜索依頼を出します!」
「おい、君ね! 滅多なことを言うもんじゃあない。気が逸るのは分かるけれど、まあ聞きたまえよ」
さっさと受付に依頼を通しに行くネアを、治療術師は慌てて止める。
落ち着けるための言葉さえ、落ち着いて聞いてもらえない。
「放してください!! あの子がいない世界なんて、生きる意味ないんです……!!」
「縁起でもない豪語だねぇ、まったく……何度も言うが、滅多なことを言うもんじゃあない」
「テリ! ああ、テリ!」
「今の君の振る舞いは、まさに戯曲的だろうとも。ただ具合が悪いことに、この場の観客は皆、名演技を望んじゃあいない」
いくら諭しても、妹を想う姉の気持ちは抑えられないものだ。
ネアが守り抜くはずだった、穢れなき瞳。永遠の無垢。高遠なる微笑み。
抱きしめるべく差し出した両手の、愛おしく開いた指の隙間から、すべて零れ落ちてしまうよう。
底の知れない絶望の壺が、暗澹たる口を静謐に開いて、舞い落ちてゆく可憐を滑らかに啜る。
ああ無情。
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「テリちゃんー、よばれてるー」
「はーいっ!」
「あなたはファニーでしょ」
少女たちは仲良く身を寄せ合って、ロビーの様子を観察していた。
ネアの名女優ぶりを盗み見していたのだ。
「おねえちゃん……」
キョウガに迷惑をかける彼女を見て、テリはちょっと恥ずかしくなった。
そのために、出て行くつもりになれなかったのだ。
「どうするのー?」
「まっしろスクロール、ゲットしないと!」
「そうだけど」
少女たちの目的である、魔法陣の描かれていないスクロール。
手がかりを求めた結果、キョウガに相談しに来たのだが……テリは尻込みする。
そして逡巡の後、ファニーたちには悪いと思いつつ、彼女は身を翻してしまった。
「どこいくのー?」
「トイレでしょ!」
「ちがう……」
足早にギルドを去る彼女を追って、ファニーとベリーも慌てて走る。
かくして、ネアとテリは再会のチャンスを逸した。
『生まれ変わっても、どうかテリの姉でいられますように……』
『その分じゃ、生まれ変わっていない様子だがねぇ』
感動的な演技は、少女らが立ち去った後も続いた。
冒険者ギルドの管理者・ケビンに中止させられるまで。
ねずみ浄土。