狂気
ショルテのあだ名講座!
ファニー = ファニ子
テリ = テリ子
ベリー = ベリ子
簡単ですね。
白く、白く、白いダンジョン。信用するに足らない無色の廊下を、訳の分からぬまま4人は歩く。
視路は白み、甚だ白々しき私論の上の死も、つまり飢えの詩――デタラメな呪文が、ショルテの頭で構築される。
どこにも使い道のない言葉だった。
「ねぇ、おにいさん」
「ンだよテリ子」
「ダンジョンってふしぎだね。こんなばしょ、ここにしかないとおもう」
「こんな場所ってのァ、この途方もねぇ廊下のことを言ってんのか? ハッ……不思議ってよりは、不気味じゃねぇのか」
好奇心を疼かせるテリに対して、彼は皮肉気な言葉を返す。
その胸中は、テリの純粋な眼差しが忌々しく、どこか羨ましくもあった。
なにか深奥をくすぐる様な、汚れの無い輝き。
(こんなガキになにが分かる?)
子供というだけで、彼は少女たちを見下している。
しかし、それと同時に羨んでもいる。
2つの相反する感覚は、彼の表現を捻じ曲げていた。
大人というよりも、なんだか拗ねた子供を想起させる態度。
身体の大きな青年を見ていると、テリはやっぱり不思議な気持ちになる。
もちろん、大人にだってたまに子供っぽいところがあるのは知っている。実際、テリの姉は1人で眠れない。
けれども、これほどあからさまに陰湿な様子を伴って、如実に幼さを内包する人は知らなかった。
「おっちゃん! おんぶして!」
「黙って歩けよ、甘ったれが」
「おっちゃんー、てきー」
「そうだな。テメェの味方なった覚えは無ェ」
その特徴は、ファニーやベリーとの掛け合いにもよく表れていた。
なんとなく偉そうではあるけれど、上から目線の人とは違う感触だ。
口は悪いが、少なくとも年齢で上下の決められた接し方ではない。
そういう彼の性格を、テリはダンジョンよりも興味深く観察していた。
彼を気に入っているのは、姉に似て聡明なテリだけではない。
ファニーもなんとなく、ショルテのおかしな顔つきを知っていた。
なんだか寂しそうなくせに、あえて人を嫌うような振る舞いをする彼。
そういう不合理な一面を、少女は深く考えずに捉えていた。
ちなみに、ベリーは別にそういう考察みたいのはない。
女の子しかいない楽園に、変な男が混じるのは邪魔であると考えていた。
ゆえに敵である。即刻、退場して欲しいのである。
「てきー」
「うるせぇボケ」
「そういういいかた、ダメ」
「あんだよ。お前は俺の母親にでもなったのか?」
「はーい! ファニーもダメだとおもうよっ?!」
テリに便乗して注意すると、ファニーは拳骨を喰らった。
眼玉が飛び出るほど――
「痛いっ!?」
ので、自分だけにダメージを与えるショルテへ、彼女は抗議の視線を送る。
しかし、ショルテはまったく無関心であった。
――そうして、名も無き冒険者パーティはひたすら歩いた。
白い廊下はただ続いて行く。
なぜこれほどまでに長いのか、その理由さえ悟らせること無く。
棺を開いて、魔物や魔道具を発見するだけの、単調な探索だった。
ショルテの睡魔は復活して、彼は口を大きく開けた。
青年のあくびに続いて、ファニーもフニャフニャのあくびをした。
2人のシンクロを眺めたテリは、ちょっとだけ笑う。
密やかに笑んだ少女見つけて、ベリーも「ぶひー」と鳴くのだった。
かくして、彼らが経過の分からぬ地点へ着き、気怠い疲労を感じ始めた頃。
今までの魔物とは違う、怪しい人影を見つけた。
それは魔物の影を転がして、仁王立ちしている。
「……なんだありゃ」
ショルテが呟くと、ファニーが指差す。
「なんだありゃ!? えっ!? しってるの!?」
誰も知っているなんて言ってないのに、彼女は博識な人物の方へ振り向いた。
視線の着地点はベリーであった。
「んー、んーとねー……なんでこっちみるのー?」
「さあね!」
ベリーが首を傾げると、彼女はすぐに視線を戻す。
その背後で、ベリーがもっと深く首を傾げた。
ショルテが眼を凝らすと、人影はどうやら剣を持っている様だった。
歩いて距離を詰めながら、だんだんと正体に迫っていく。
次に眼についたのは、冒険者らしい硬質な装備と、女性らしいヘアースタイル――
「……クソが」
そこまで観察を終えて、彼は確信した。
人影の正体を完全に見切ったのだ。
それは女で、それは剣士で、それは……
「ふふ……目玉を抉っても生きているのね。それじゃあ、次はこっちを刺してみようかしら」
それは人間ではない。
姿形だけが人を成している、どうしようもない化け物。
ショルテが最も会いたくなかった者――女剣士・メルチだった。
彼女は得物の剣によって、身動きが取れぬように跨った魔物を、何度も悪戯に切り刻んだらしい。
魔物の身体には、無残な菱形の穴が無数に開いている。
見るも残酷な行為に耽る彼女は、その顔に恍惚を浮かべて笑っていた。
「呼吸かしら? それとも皮膚? でも、皮膚はもう爛れてしまっているみたいだし……ふふ、どうして頭だけが弱点なのかしら。もしかしてあなたは、頭さえ残しておけば、どの部位を失っても生きていけるの?」
呻く魔物の声は、心なしか命乞いのような悲痛さを含んでいる。
あまりにも耐えがたい光景。
ファニーは刹那、涙をこぼした。
「……ファニ子」
「――」
彼女は声さえ発さないで、ただ泣いた。
浮かべる表情はどこまでも透明で、茫然自失と表現するのが相応しいような、理由の見当たらなさ。
ただ、少女が悲しくて泣いたことは、誰の眼にも明らかだった。
白いだけの廊下に雫が跳ねた時、ショルテはとても不愉快な感情を抱いた。
一瞬でメルチに対する殺意が膨れ上がり、生理的な嫌悪が動機となる。
彼の手は、彼が意識せずとも、メルチの胸倉を思い切り掴んだ。
「メルチッ!!」
「うっ!? ……まあ、ショルテ」
女剣士は青年と眼を合わせて、きょとんとした表情を浮かべる。
その後で、付け加えるように演技的な笑みを浮かべた。
彼女のいつも通りの下らなさを眼の前にして、レンジャーの憎悪はさらに沸き立つ。
「この女は、生きてちゃならねぇ」。彼の心は強く叫んだ。
「答えろよ……! なにが目的で、こんな下らねェことをする!?」
「……? 今日はなんだか、いつもより怖いのね」
「あの時からテメェは!! なにも変わっちゃいねぇのかよッ!!」
倦怠の中で抑え込んでいた感情が、たった1粒の雫によって解放されていた。
透明と白が跳ねて混ざって、赤黒い泥濘の奥に隠された、熾烈な情動を呼び起こす。
今まで彼が隠してきた、どうしようもない憤り。本来あって然るべき表出が、この場で行われているのである。
いきなり怒鳴られて、取り乱した言葉をぶつけられて、メルチは困ったように笑う。
彼女の顔は少し引き攣っていて、口端の吊り上がりには困惑も含まれていた。
しかし、こうして彼に殺意を向けられるのはいつものことだ。それゆえ、いずれ感情が過ぎ去るのを待って、心にもなく笑っていた。
「あの時って、多分……あの子が……」
「――とぼけるのも大概にしろ、この人間もどきがよォ……!!」
「まあ。酷いわ」
「人形みたいに笑ってんじゃねェッ!!」
「ごめんなさい。許して」
なにが悪いのかも分からないで、メルチは謝る。
試しに笑みを消してみても、青年の表情が緩まないため、また笑った。
傷心も受け入れられないと知っていて、彼女は半ば呆れていた。
ショルテは仲間の死を思い出して、怒りを抑えきれなかった。
ダンジョンへの忌々しさと、メルチという人間失格に対する殺意が、完全に混同されていた。
――どうしてこの女が生きていて、アイツが死ななけりゃならなかったんだ?
感情は理性を越えて、時に望みと現実を曖昧にさせる。
彼の求める少女が死んだのは、メルチが悪いわけではないとしても。
その時。
ふと差し込まれた、震える声。
「お、おにいさん……! ふっ……もう、やめてよぉ……」
今にも消え入りそうな小さな声を、ショルテは確かに聞いた。
振り向くと、テリが泣いていた。ファニーよりも確実に、もっと弱弱しく。
少女を見た時、彼は自分の罪を認識した。
(……これじゃ、俺もメルチと同じ……)
そう考えた瞬間に、それまで怒っていた青年の顔は、絶望に染まる。
そのまま怒る力を失くして、3人の少女へ呆然と眼を向けた。
大人しく涙を流すだけの、哀しいファニーとテリ。
その2人の横で、ベリーだけは――
「……くひひ」
頬を紅潮させて、少女とは思えない卑屈な笑みを浮かべていた。