冒険の始まり
ファニーは天才少女である。
彼女に筆を持たせれば、たちまち教えてもない魔法陣を描きあげてしまうほどに。
まさしく錬金術師の希望。未来の錬金界を背負って立つ逸材。
「だがなファニー。世界は広い……天才錬金術師といやぁ、パルルっつう子もいるからな」
「つかれたぁ~~~~………………」
「おい、まだ1セットしか描いてねーだろ。まだ9回、残ってんぞ」
「やぁだ、もやぁ~だぁ~~」
錬金術師・シュタインの研究室において、ファニーは嘆いた。
父親のシュタインによるスパルタ教育は、少女の精神をすり減らす。
最初のうちは楽しかった陣描きの練習も、最近は完璧に飽きてしまった。
なんでこんなことをやらされるのか、少女にはさっぱり分からない。
「ねぇおとーさん、どーしてファニーのことイジめるの……」
「……お前には才能があるんだ、ファニー。そういう運命の下に生まれてきた」
愛娘の懇願にも負けず、シュタインは厳しい顔で言う。
娘の才能を見抜いたあの日から、彼は父としての優しさを捨てた。
彼女の教育にすべてを注ぎ込み、錬金術師として世に羽ばたかせるために。
そのためならば、可愛いファニーに嫌われても構わない――そう決意するほど、彼の情熱は大きく燃え上がっていた。
だが、そんな熱い気持ちは少女に伝わっていない。
才能とか言われても知らないし、魔法陣はもう描きたくない。普通に遊びたいのだ。
「っお、おとーさぁん……っ!」
秘儀・泣き落とし。
可憐な涙を見せ、相手の心に訴えかける技である。
しかし、シュタインは難しい顔をしたまま動かない。
「おどーざぁぁんっ!!」
「……くっ、アイツ……余計な技を教えやがって」
彼は眉を顰めながら、妻が仕込んだのだろうと考えた。
ファニーがおかしな知識を蓄えるのは、決まって母親のせいだ。
まだまだ子供のくせに、妙に色気づき始めたのも、もれなく母親のせいである。
シュタインは頑として動かなかった。
仁王立ちして、絶対に退かないという態度を示す。
負けじと涙の量を増やすファニーだったが、父が頑固さを崩さないのを見て、とうとう諦めた。
涙はピタリと止まり、泣き叫んでいた彼女は一瞬で静かになる。
そして、反抗的な口ぶりで言った。
「……やめてやる」
最初は小さな声で、シュタインが聞き返すほど聞きとり辛い。
「あん?」
しかし、聞き返しの後に繰返された言葉は、やたら大きかった。
「てんさいなんてっ!!!! やめてやるーーーーーーっ!!!!」
テンサイなんて已めてやる。
そう叫んで、彼女はシュタインの横をすり抜け、研究室を出て行った。
突然の出来事に、シュタインは慌てるしかない。
「お、おい!? ファニー!!」
呼びかけた彼の声は、もう少女には届いていなかった。
~~~~~~~~~~
さて、ファニーが向かった先は酒場である。
なぜ酒場なのか。その理由は、この男にあった。
「おおう、ファニー! シュタインの野郎から逃げてきたのかァ?」
「そ!」
「まあ一杯飲めや。ほらよ」
子供に対して、当然のように酒を差し出すロクデナシ。
酔いどれアーチャーのシュタインである。
彼は今日も今日とて、新しく入ったパーティを半日でクビになっていた。
「このジュース、くさいからいらない!」
「おうおう、テメェは俺の酒が飲めねェのかぁ? ガーッハッハッハ!」
「おっちゃん、わらっちゃダメ! もっとくさいからっ!」
特に気を落とすこともなく、また酒に溺れるトーマス。
もはやクビになることに対して、なんの違和感もない有様だ。
同じパーティには、2日もいられれば大したものなのである。
渾身の臭気を避けるため、ファニーはおっちゃんから距離を取った。
とはいえ、この人が臭いことは最初から知っている。今まで臭わなかったことなど一度もない。
そんな些細なことより、彼女には心を躍らせる目的があった。
彼女はキラキラと眼を輝かせて、トーマスに頼んだ。
「おっちゃん! ね、ぼうけんのはなしっ!!」
「ああぁん……? あんだよ、また聞きてぇのか? しょーがねぇなぁハッハ」
「やったーっ!!」
トーマスはいつも、少女にたくさんの冒険譚を語ってくれる。
少女は今日もそれを楽しみにして、酒場へとやって来たのだ。
彼が話すダンジョンでの冒険は、少女に寓話的な幻想を与えた。
「よし、んじゃあ今日行ったダンジョンの話でもしてやるかぁ」
「どんなっ!? どんなダンジョンなの!?」
「へへへ、聞いて驚くなよ――」
――かくして彼女は、たくさんの話を聞く。
トーマスの話は若干誇張されていたが、聞く分にはその方が盛り上がる。
ヒヤヒヤとワクワクが交錯するストーリーに、大満足の少女であった。
「あーおもしろかったっ!!」
いつの間にか、酒場の外は暗くなっていた。
ファニーは残念そうな表情をしつつも、トーマスに手を振る。
「おっちゃん! またねっ!」
「うっしゃあ、今度は飲めるようにしとけよ!」
「べーっ、ヤーだよ! あははっ」
元気にあっかんべーをして、陽気な冒険家と別れた。
家路を行く間、聞いた話が多種多様な想像を呼び起こしていく。
もしも自分がダンジョンに行ったら、こんな魔物とかあんな魔物とかに出会って……
「ひっさつ! ファニーパンチ!」
ファニーの鋭い拳は、突き出されると同時に魔物のコウラを砕く。
とんでもない威力を内包したパンチなのだ。
もちろん、実際の彼女にそんな力はないが。
まだ明るい夕暮れが、街を橙に染める。
早く家に帰らなければならない――ファニーはそんな気持ちに駆られた。
が、帰宅に際して一つ、煩わしい懸念があった。
『お前には才能があるんだ、ファニー』
天才であることを押し付けてくる、父親の存在。
自ら『やめてやる』と言って飛び出したのに、帰るのもなんだか癪である。
ゆえに、少女の心は揺れ動いた。
帰らないと、お母さんが心配するかもしれない。
お父さんにたくさん怒られるかもしれない。
早くごはんが食べたい。お腹が空いて死にそうだ。
――でも、帰りたくない。
今日はなんだか、なんでもできそうな気がするから。
「そっか……ぼうけんしゃになればいいね!」
天才をやめて、冒険家を目指す。
彼女は心に決めた。固い決心だった。
空腹で緩まりそうなほど、固い決心だった。
そうと決まれば、家に帰る必要なんてない。
まずは仲間探しである。自分と冒険してくれる子を探さなければ。
「ダンジョンっっっ!!」
一つ叫んで、身をひるがえす。
彼女は噴水広場を目指して歩き出した。
果たしてこんな夕暮れに、満足のいく仲間探しができるだろうか。
未成年の飲酒は危険です。