ぼうけんしゃになる
テリさんの夢です。
ある民家。
「わたし、ぼうけんしゃになる」
テリが言い放つと、世界は枯れた。
灰色の空は爛れ!
地はあらゆる万物と斑に混ざり合い!
概念は悉く壊疽し!
人類は矮小で愚かなる本能を剥き!
最後の祈祷はメフィストフェレスを呼び出した!!
そんな破滅の発端は、ネアの脳内だ。
その集約点もまた、ネアの脳内である。
上述のすべては、彼女の見た幻だった。
妹の言葉が信じられない彼女は、恐怖に身を震わせる。
たった一言の響きが、天変地異よりも遥かに大きな絶望を与えた。
「…………ダ………………メ、……、…………、……、ッ」
瞳孔を開ききったネアの機微は、非常に難解である。
表情筋さえロクに扱えなくなってしまった彼女。
だが、かろうじて出た単語は意図通りであった。
「……ダメ?」
「ダメに決まってるじゃない。テリが冒険者なんて早すぎるもの」
瞬きすらしないままで、続く伝達は明瞭な言葉になる。
不気味な顔の姉を見ると、不似合いなシワを眉間に寄せるテリ。
「もうきめたもん。いつならいいの」
「ダメに決まってるじゃない。テリが冒険者なんて早すぎるもの」
壊れた機械のように、ネアは何度も繰り返す。
彼女はそれしか喋れなくなっていた。
相手にしてもらえないと勘違いして、テリは悔しくなる。
「だから、いつならいいの」
「ダメに決まってるじゃない。テリが冒険者なんて早すぎるもの」
「そればっかり!」
「テリが冒険者なんて早すぎるもの」
「はなしきいて――」
「ダメに決まってるじゃない」
こうまで否定されると、少女だって悲しくなる。
それなりに勇気を出して夢を打ち明けたのに、まったく取り合ってもらえない。
お姉ちゃんは自分のことが嫌いなのかと、そう思いさえした。
ネアの眼に映るのは、窓向こうの爛れ落ちた空を背景に、何事かを懸命に話す妹だけ。
とてもかわいいが、気付けば手の届かない場所へ去っていく。
どんどん離れていく大切な妹を、ネアは息もせずに見つめた。
「おねえちゃん……なにみてるの」
「ダメに決まってるじゃない、テリが冒険者なんて」
「うー!」
話にならない姉を置いて、少女は足早に家から去って行く。
今度は幻覚ではなく、本当に妹が消えてしまった。
ネアは彼女の残像を部屋中に探したが、到底見つからなかった。
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家を飛び出したテリが目指したのは、冒険者ギルドであった。
彼女のヒーローに会いに行くためである。
治療術師のキョウガは、『リワインド』というパーティのリーダーだ。過去にテリを呪いから救った功績も持っている。
とはいえ、呪術に精神を封じられていたテリは、救われた記憶が鮮明にあるわけではない。
それでも、カッコいい冒険者の理想像として、キョウガをとても尊敬していた。
そもそも冒険者に縁の無かった少女が、なぜそれになろうと考えたのか。
それもこれも、すべてはキョウガの存在あってこそだ。
冒険者ってカッコいい! という憧れを、テリは彼女から与えられたのだった。
ヒーローの優しい笑みを想像して、少女は浮足立った。
姉には最初から最後まで否定された夢も、きっと分かってくれると信じて。
人の行き交う街角を抜け、噴水広場を抜け、けったいな建物の中へ。
少女は受付の椅子に立つと、テーブルの向こうの女性へ話しかける。
「キョウガおねえちゃ……キョウガさんいますか」
「こんにちは、テリちゃん……ごめんね、今キョウガさんはいないの」
女性はにこりと笑うと、少し困ったように眉を垂らして言う。
せっかく来たのに、残念ながら不在。
テリは落ち込みながらも、「ありがとうございます」と健気に伝えて椅子を降りた。
「キョウガおねえちゃん、いそがしいんだ……」
寂しく呟いて、ギルドのロビーを見渡す。
受付嬢の言う通り、どのテーブルにも治療術師の姿は見当たらなかった。
帰ろうかとも考えたものの、ふとネアの顔が浮かぶ。
否定しかしてこない彼女のところへ帰るのは、些か嫌な気分だ。
それならまだ、キョウガに偶然会う事を期待しつつ、その辺を歩く方がマシである。
ギルドを出ると、家に帰らぬまま、彼女は適当に足を動かす。
周りをキョロキョロと見る。果物の色彩が眼につく。
ちょっとお腹が空いたが、それを買うお金なんて持っていない。
意地でがまんしつつ、眼を背けた。
(おねえちゃんのばか。ぜったい、かえってあげない)
家に帰らなければ、ネアが自分を心配することは分かっている。
それを織り込み済みで、あえて心配させてやろうと画策した。
少しは反省させて、ちゃんと話を聞かせようという企みもあったが――大部分は反抗心だ。
噴水広場に帰ってきて、空いていたベンチに座る。
あんまり歩くと足が疲れるため、休憩を行った。
涼し気な水飛沫を眺めていると、それなりに楽しい。
テリと同い年くらいの、小さな子供たちが遊んでいた。
どこからか持ってきた木刀で、男の子同士のチャンバラが繰り広げられている。
彼らはそのうち、パトロールのお兄さんに怒られるだろう。
そういえば、パトロールのお兄さんも冒険者だった気がする。
なんとなく、テリは思い出す。いつかここを通った時、キレイなお姉さんがおじいさんの手を引いていたことを。
彼女はそれと同時に、お茶に誘われたり、他人の落とし物を探したり、子供たちと遊んだりしていた。
イッペンにこなせる仕事量ではなさそうなのに、あの日見た彼女はすべてこなしていたっぽい。
冒険者って凄いな――テリは少しの羨望を瞳に湛えて、それを見ていたのだ。
街の中にも頼りになる人がたくさんいるのだ。
やはりテリは、冒険者になりたいと思った。
そんな人々と一緒に働けたら……なにより、キョウガの率いるパーティに所属できたら、どんなに楽しいか。
ダンジョン攻略は怖そうだと考えつつも、ムゲンダイの夢は膨らんでいく。
……もしも、姉のパーティへ入ることになったら?
唐突に浮かんだ疑問に、少女は首を振る。
頼まれても入ってあげない。そんな反動的な決意を、お腹の内に固めた。
反動が反動的なのは、不思議はございませんので。