夜の闇(スペシャルコメンタリー)
闇の晴れたヘレナの視界には、活気づいた酒場の風景が広がっていた。
今までの時間遡行と違い、彼女の立っている場所までもが違う。
なにか変だなと感じて、近くに居る男へ試しに話しかけてみる。
「あ、あの」
「ったく、やってられるか!! あの新人は使えねェ!!」
「ひっ」
しかし、男の粗野な言葉を聞いて、少女は怯んだ。
彼はどうやら、話しかけられたことに気付いていない様子である。
「すす、すみません! お尋ねしてもいいでしょうか……!」
もう一度話しかけてみるも、彼はやはり、ヘレナに反応しなかった。
可哀想な事に、彼女はムシされているらしい。
ちょっと辛かったが、別の人物に声をかけることにした。
「すみません、あの……」
「オヤジぃ、リベルタッド・エスプリ100本だ!!」
「えっ……それは飲みすぎじゃないですか……?」
次はベロベロのアーチャーに話しかけてみたが、彼もまたヘレナに気付かない。
まるで彼女は透明人間にでもなったかのように、まったく気付かれていなかった。
不思議に思って、辺りを見回す。
「……ねぇ、アンリー? いるんでしょ?」
「やあ、ヘレナちゃん! ここは過去の世界だよ!」
呼びかけると、アンリーはヘレナの髪の毛からぴょこっと顔を出して言った。
「これからセンとケイの出会いを再生するから、ちゃんと見ててね!」
「えっ? なにを言ってるのかさっぱり分からないんですが……」
いきなり過去の世界とか再生とか言われても、当然ながらピンとこない。
身勝手に話を進める精霊に、少女は説明を求めた。
「説明してください。皆さん、なぜか私のことをスルーするんですけど……」
「それはね! 僕らは思念体としてここに居るから、他の人には見えないんだよ! 僕らと過去の人たちは、お互いに干渉できないんだ!」
簡単に言えば、ヘレナは今、過去の仮想体験をしている状態だ。
だが、存在として意味を持つことはできない。いわば映像を追うだけの立ち位置――ゆえに『再生』と表現するのである。
「そろそろ始まるから、ちゃんと見ててね!」
「な、なにがなんだか」
「ほらっ、あそこにセンが居るでしょ?」
「え!?」
いまいち状況を受け入れられないまま、アンリーの指差した場所を見るヘレナ。
そこには、少年の言う通り、センが座っていた。
―――――
剣士のセンは、新米の冒険者だ。
まだライセンスを取得したばかりで、ダンジョンに行った回数も少なく、場数の足りない少年であった。
――「……センさん、お若いですね」
――「けっこう前のことだからね!」
彼は今のところ、『サマーライト』というパーティに所属して、ダンジョン探索のノウハウを学んでいる。
パーティのリーダーはベテラン冒険者で、勇ましい女性だ。彼女から様々なことを吸収しようと、日々ケンメイに勉強していた。
――「まだリーダーになってないんでしょうか」
――「そうだよ。あの怖い女の人がリーダーみたい」
――「ひええ、あの方ですか……厳しそう……」
そんなある日、ダンジョンを攻略し終えたサマーライトは、酒場で打ち上げを行っていた。
皆、浮かれがちな席。場に似合わず、パーティリーダーは怖い顔で言った。
「お前……素質はあるが、臆病だな」
――「はっきり言うね!」
――「ひええ」
センは彼女に注意されて、しおらしく頷く。
「……はい」
「出る時は出ろ。連携が遅れる」
――「厳しい……」
ウサギの肉を豪快に噛み千切りながら、彼女はセンを指差す。
彼が注意されたのは、今日の探索において、仲間との連携が遅れた件についてだ。
リーダーの前では言い訳をすることもできず、センは大人しい態度を取った。
「気を付けます」
自信なさげに小さく頭を下げたが、それを見たリーダーは溜め息を吐き、ウサギの骨を放り投げる。
彼女はサラダを手づかみすると、手に収まっただけセンに差し出しながら言った。
「いいか、ダンジョンは戦場だ。いつ死んでも文句は言えん。次はないと思え」
――「ダンジョンは戦場……ですか。確かにそうですね……」
「はい……」
「おい、返事が小さい」
「は、はいっ!」
――「返事が小さいっ」
――「私が謝っちゃいそうです」
先輩の厳しいアドバイスはありがたいが、上手くやれなかったセンは落ち込む。
連携が遅れた本当の理由は、実は魔物に怯んだせいではない。
ただ、仲間の足並みに気を遣い過ぎたせいで、逆にテンポがズレたのだった。
新人ということもあって、仲間の邪魔にならないよう心掛けたつもりである。
しかし、悔しいことに裏目だった。もしかすると、思い切って踏み込んだ方が良かったのかもしれない。
いずれにしても、リーダーのアドバイスはもっともだ。
今後も同じミスをすれば、いずれ本当に命を落とす可能性がある。
性格をなんとかしないと、彼の冒険者生命は危ぶまれるのであった。
――「落ち込んでますね、センさん」
――「そだねー」
彼はサラダを口に押し込まれつつ、途方に暮れてしまった。
――「サラダ……」
~~~~~~~~~~
「……はぁ」
夜。眠れなかったセンは、明かりの無い街をついつい散歩する。
並ぶ家々に、光は灯っていない。人々はもう眠る時間であった。
センは少し心細さを感じながら、よく見えない視界を頼って、肌寒い夜を放浪した。
『ダンジョンは戦場だ。いつ死んでも文句は言えん。次はないと思え』
暗闇の中、リーダーの言葉が思い出される。
探索を振り返れば、反省すべき点は多く見つかった。
あの時こうしておけば、ここで剣を振れれば、あそこで前に出れたら――募っていく気持ちは、彼の心に重荷となる。
――「かなり落ち込んでるね!」
性格を克服できるよう、頑張らないといけない。
そう考えたが、すぐに克服できるならば苦労はないのだ。
人並に育ててきた価値観が、彼の冒険の邪魔をした。
「どうすればいいんだろう」
――「連携を頑張ろう!」
――「センさん、辛そうだなぁ……」
――「心配してるの? 大丈夫だよ、これは過去の話だから!」
か細い呟きと共に、星を見上げてみる。
夜空は輝いていたが、彼の瞳には美しく映らなかった。
――微かな眩しさから視線を逸らした時、彼はどこかの窓に煌めきを発見した。
「……?」
――「キラッ」
不思議に思って、そこへ眼を向ける。
すると、窓際に一人の女性が座っていた。
――「まさか!?」
――「来たねー」
姿ははっきり確認できないものの、明らかに人の影を確認できたのだ。
「彼女は……?」
センは女性の存在に惹かれて、虫のようにふらふらと、窓際へ吸い込まれていく。
――「ふらふらと……!」
だんだんと近付いて、窓の真下にたどり着く。すると、そんな彼を発見した女性は、小さく手を振った。
月の光を僅かに反射して、彼女の指の根元が光る。
なにかの装飾品を装備しているようだ。
見つかってしまったことに気付き、センは慌てて謝った。
「す、すみません……!」
頭を下げる剣士に対して、女性は鈴のような声で尋ねる。
「どうして謝るんですか?」
聞かれると、センは返答に困った。
冷静になると、別に悪いことをしたわけでもないのに、セキズイ反射で謝ってしまっている。
ポカンと口を開け、女性を見上げて、彼は照れ笑いをした。
「あ……あはは、なんでだろう? すみませ――って、また!」
「ふふ、おかしい!」
「ははは……」
――「なんですか、この話……」
――「怒らないで、ヘレナちゃん!」
――「怒ってないですよ」
繰返す失敗に、センは赤面する。
そんな彼とは対照的に、女性の方は愛嬌のある笑みを洩らした。
彼女の小さな笑い声を聞いて、センは直感的に思ってしまう。
なんて綺麗な声音をしてるんだろう――と。
一口に言えば、彼は一目惚れ……否、一聴き惚れしたのだった。
――「…………」
――「怒ってるよね?」
――「いいえ」
「剣士さん。お名前は?」
耳を癒す美しい音に浸っていたセンは、ふと名前を問われて緊張した。
質問に答えるだけでいいのに、変に意識して、しどろもどろになる。
「ぼぼ、僕はセン……冒険者のセン!」
――「ぼぼ! ぼぼぼぼ!」
自らの名前を伝えるが、最初に上手く発音できず、次の声が大きくなり過ぎてしまう。
さきほどから失敗続きで、自分が嫌になるセンだった。
けれど、闇夜の窓際で笑う彼女は、嬉しそうに言う。
「センさんね。お顔は見えないけれど、ステキな声をしてるわ」
その言葉だけで、センの失敗はすべて帳消しになった。
「私はケイ。同じ冒険者として、よろしくね」
――「ぜったい勝てないよぉ……」
――「ケイって悪いやつだなー」
ケイに褒められたことで、センは自信を回復した。
驚くほど早く、かつ爽快に立ち直ったのだ。
この夜の散歩こそ、彼の人生で最もドラマチックなシーンだった。
そうして、ここから先、彼とケイは深い関係を結んでいくのである。
―――――
ヘンリーは無邪気に笑った。
「どうだった?」
映像が終わり、2人は既に砂漠へ戻ってきていた。
ヘレナは今にも泣き出しそうな表情で言う。
「泣きそうです……」
見れば分かる状態を申告した彼女は、とても辛そうであった。
アンリーはその言葉を聞いて、いよいよ決意した。
「僕に任せてよ! さっき見たセンの過去を消せば、簡単に解決するから!」
明るく元気に言い放った少年だが、恐ろしく危険な意思である。
ヘレナはぞっとして、驚愕と共に彼を見つめた。
少年の表情には曇り一つない。
さながら、無垢に澄み渡る砂漠の空のようだった。
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