嘘
恋の行きつく先は、必ずしも円満とは限らない。
恋はいつしか終わる。人と人との繋がりは、淡く儚い。
スイミーとヘレナは冒険者である。
ダンジョン探索が終わると、彼女たちは喫茶店に来る。甘味を楽しみながら、他愛のない話をするのが常だ。
しかし今日、仲の良いはずの2人の間には、窮屈な空気が漂っていた。
2人が話しているのは、ヘレナの初恋についてだ。
「ヘレナ……どうしてもっと、恋に忠実になれないんですか!」
「なれないよ。私はセンさんの邪魔をしたくない」
自らの属するパーティ『サマーライト』。そのリーダーであるセンに、ヘレナは恋をした。
しかし、それはもはや過去の話だ。少なくとも、彼女の中では。
ヘレナが彼に片思いをしている間に、彼は別の人を好きになってしまった。
だから、もう叶わない。そう考えた少女は、自身の気持ちを押し殺そうとしていた。
だが、スイミーは眉をひそめ、大いに不満を示す。
「ケイとかいう人、ぽっと出ですよ! なんで譲るなんて発想になるんです!?」
センが別の人を好きになったからといって、その後にヘレナを好きにならないとは限らない。
ライバルが現れただけのこと。戦う前から諦める必要はない。
恋の成就を第一に考えるスイミーは、ヘレナの選択を許せなかった。
しかし、本人は意固地な表情を崩さず、眼を伏せる。
「…………ミーちゃんには関係ない話でしょ」
「――!」
「この話は、もうしないでください」
逸らした目線にも、突き放すような言葉にも、明確な拒絶が仕込まれていた。
スイミーは椅子から立ち上がり、ヘレナに顔をぐいっと寄せる。
その眼に湛えていた感情は、言葉になるものではなかった。
「…………っ!」
彼女はヘレナに、なにか言おうとしたのだ。
けれど、感情のままに発しようとした言葉は、喉の奥に引っかかってしまった。
いくら放とうとしても、声が意思を持って逆らうように。
「ミーちゃん」
顔を寄せたまま動けない彼女を、ヘレナが優しく呼んだ。
そして、哀しそうに笑う。
「冒険者は、まだ辞めませんから」
親友を安心させるために、少女はそう言った。
それによって、親友は不安を覚えた。
このままでは、彼女の心が押し潰されてしまう――そんな直感が過ったから。
片思いを隠しながら、好きな人の近くで普通に振舞う。
相手の気持ちは別にあって、絶対にこちらを振り向きはしない。
どう考えても生き地獄だ。そんな苦しみに耐えるよりは、いっそ冒険者を辞めてしまった方が良いのだ。
引っかかった言葉だが、やはり言わなければならないとスイミーは思った。
たとえ拒まれたとしても、ヘレナの気持ちが拗れる前に。
「ヘレナ……中途半端に諦めると、絶対に後悔しますよ?」
センを諦めるとしても、不燃焼の想いを1人で抱え込むのは危険である。
諦めはいずれ破綻して、ヘレナ自身を壊してしまうかもしれない。
確実なのは、後悔は先に立たないということだ。
いつになく真剣な眼をしたスイミーに、ヘレナは戸惑う。
言われたことの意味は分かる。はっきり言って、後悔しない自信も彼女にはなかった。
だが、いくら後悔しようとも、センが幸せである以上に願うことなど、あるはずがない。
「好きな人の幸せを望んで、後悔なんてするハズありませんよ」
口から出たのは、嘘だった。
スイミーに気持ちを伝えるためではなく、自分に言い聞かせるためのものだった。
言葉にしてみると、彼女の胸は圧迫されるように痛む。
スイミーも、そんな言葉を素直に受け取ってはあげない。
事実、半分は本当の気持ちを含んでいると知っていたが、それでも首を振った。
「それ、後悔する人のセリフです」
彼女は色恋沙汰について、やけに詳しい少女である。
昔からたくさんの事例を見て、聞いて、恋愛の結びを学習してきた。
そうして培ってきた恋愛データが、ヘレナの状態の危険性を警告していた。
意図して嘘をつく人の表情は、ほんのちょっと強張る。
本人が動揺しているのであれば、さらに顕著に表れる。
その変化を、スイミーが見逃すハズはない。
彼女は再び、ヘレナを鼓舞した。
「ヘレナ! 前にも言いましたけど……逆境は、逆転するために――」
スイミーがそこまで口にした瞬間、ガタリと音がする。
引かれた椅子の音。急に席を立ったヘレナは、静かに言った。
「ごめんミーちゃん。私、今日は帰るね……っ」
微かに震える声で、それだけ言い放つと、少女は足早に去っていく。
テーブルの上には、まだ甘味が残っていた。
「ヘレナ!!」
咄嗟に彼女を追いかけるため、スイミーは走り出そうとした。
するとそこに、見知らぬ女子が立ちはだかった。
服装的に、どうやら喫茶店の従業員らしい。
「お客様。お金、ちゃんと払いなさいよ」
「む……? い、今それどころじゃないです!」
「払うまで通さないけど」
しつこい店員が行く手を阻む。
仕方ないので、さっさとお会計を済まそうと、スイミーはポシェットを探った。
お金はなかった。
彼女は金銭使いが粗いため、お金は常にヘレナへ預けていた。
(な、ない……? マズいです、こんなことになるなんて……!)
瞬間、彼女の頭に食い逃げの選択肢が浮かぶ。
次に謝罪、次に開き直り、次に――様々な切り抜け方が考えられた。
そして1つの結論として、彼女は行動を開始する。
犯罪者の呼称である、密人とは呼ばれたくない。
その一心で、彼女はいきなりキレた。
「な……なんなんですか! この店の店員はァ!?」
「は?」
「こんな、こんなムリ強いされるなんて! 強制的にお金を払わされるんですか、このお店はぁぁ!?」
「バカなの? ウザいしキモい」
結果、彼女はすごく罵倒された。
その後、食い逃げも成功せず、店の皿洗いをすることになったという。
ちょっとはお金、持っといたほうが良い