砂の海
今回のメインは、精霊術師のヘレナちゃんです。
その日のセンは、見たこともないほど溌溂とした表情を湛えていた。
ヘレナは彼の顔を見ると、自身も笑みを浮かべた。
「センさん、今日は面会の日ですね! いってらっしゃい!」
「ああ、ありがとうヘレナ。久しぶりに――といっても数日前だけど、彼女に会うのが楽しみだ」
「今日のダンジョンは攻略難度も低いので、私たちだけでも平気ですからね。心置きなく、たくさんお話してきてください」
「うん、そうするよ。それじゃあ行ってくる」
すでに外出の準備を済ませていたセンは、大空へ飛び出すように宿屋を出て行った。
「お気を付けて~!」
ヘレナは彼を見送る間も、笑顔を絶やさずに手を振り続けた。
丁寧に見送りの挨拶まで付けて、彼女は楽しそうにしていた。
「……」
そんなヘレナの様子を、彼女の親友であるスイミーは、憂いを帯びた視線で見ていた。
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今回、彼ら『サマーライト』が攻略するダンジョンは、砂嵐が舞い狂う殺風景な砂漠だ。
ダンジョンの中だけで照る太陽は、焼けるような光線によって景色を揺らがせる。
冒険者たちは水分を奪う熱気に耐え、乾いた大地を踏みしめて、干からびた砂の音を聞いた。
「最近、やけに顔を見ることが少ないとは思っていたが……まさかリーダー不在のまま、未開の地を踏破することにはなるとはな」
「センのやつ、俺と戦わねぇんだよな。最近」
「炎属性の魔導師が2人居るせいでバランスが悪いのに、剣士が抜けたらゼッタイにまとまりません。サイアクです」
「おい、スイミー? 貴様、我を愚弄したな?」
暑さのせいか、パーティメンバーはグダグダと文句を並べる。
この不和は、あまり良くない状態だった。
いつもならばセンが居て、そこを仲介するのだが……その彼が居ないからこその不満である。
「ねぇヘレナ~。喉が乾いたので、ジュースおごってくださ~い」
ザクザクとうるさい砂の音に煩わされるスイミーは、ストレス解消のためのジュースを親友にねだる。
しかし、7割ツッコミ待ちの彼女の発言は、華麗にスルーされてしまった。
「………………」
スイミーの声が耳に届いていないのか、ヘレナはまったく反応を示さず黙っている。
無視されたのが悔しいスイミーは、眉の端を「ムムム」と吊り上げた。
「ヘレナ~~~、ミーちゃん疲れましたよぉ~~~~~」
「へへ! このくらいで疲れてちゃ、最強にゃなれねーぜっ!」
「うるさいですね……はい、今日の探索は終わり。お疲れ様でした」
「おい貴様、勝手に終わらすなっ!!」
周りの人たちは彼女の声に反応するのに、肝心のヘレナだけは振り向いてくれない。
周囲の気温は暑苦しいほどだというのに、いつもなら構ってくれる親友は冷たかった。
頬を膨らませて、うーうー言う。されど、ヘレナは振り向かないようだった。
そんな時、『サマーライト』の目の前には魔物が現れた。
不穏な雰囲気の接近に、素早く気付いたライリーが声を上げる。
「!! 全員、その場を動くなっ!!」
「!?」
「あ?」
彼女の声が響くと同時、大地に広がる砂の海から、途轍もなく巨大な魚が現れた。
それは冒険者たちの20倍以上もある体格から、見るもおぞましい口内の空洞を晒し、破壊的な鳴き声をあげる。
理不尽に襲い来る音波は、それだけで相手の戦意を奪う暴力性を有していた。
咄嗟に耳をふさいで、『サマーライト』の面々はダウンを逃れた。
リーダーがいない今、この敵いそうもない怪物を相手取るのは危険だ。
そう考えて、ライリーは精一杯の大きな声で、慣れない号令を出す。
「ここは退くぞ、愚か者どもよ――」
「あの魚を殺すのは俺だァァァァァァ!!!!」
「きき、貴様ァ! 無明の闇に飲まれるぞォ!?」
残念ながら、その頑張りは報われない。血気盛んな炎の魔導師・ニックの耳には届かなかったのだ。
彼はカンペキに命令を無視すると、地面に炎を噴出して飛びあがり、魚の頭をブン殴った。
“ボヒィッ”だか“ブキョボォウッ”だか、なにやら変な音とともに魚の頭は減り込み、変形する。
「へへっ! イッチョーアガリぃ!」
確かな手ごたえを感じ、得意げに言い放った彼だが、実のところ敵にダメージはない。
この魔物の皮膚は相当柔らかいため、小さな衝撃であっても大袈裟に凹むのである。
ゆえに、彼の行動は徹底的に悪手なのだった。
「ウゥーーーーーーンンンッ!!」
老人の呻き声を増幅させたような、奇怪でけたたましい咆哮が、荒れ狂う砂の海に鳴り響く。
それは明らかに、声の主の憤怒を表していた。いきなり攻撃を受けて逆上しない魔物など、もはや魔物ではないのである。
魚のヘイトが完全に自分たちに向いたことで、先ほどよりも窮地に陥った『サマーライト』。
怒らせた原因はニックだが、そんなことはお構いなしに、彼は逆ギレした。
「なんでダメージになってねーんだ!? 俺の渾身の一撃が効かねーわけねーのにっ!!」
「うぷぷ、ザコです」
「なんだとっ!? もう一回言ってみろォ!!」
「ザコニックで~す」
「コンニャロ!! もう一回言ってみろォ!!」
「ザコザコザコザコザコですですですですです」
「コンニャロコンニャロコンニャロコンニャロコンニャロ!!」
仲間をからかって遊び始める、危機感のないスイミー。
状況を分かっているとは思えない弛緩ぶりである。
「貴様らぁ~っ、愚かな人類め!! 虚ろなる伝令の中で、永遠に彷徨うがいい!!」
まともにその場をまとめようとしているのは、ライリーだけであった。
そしてヘレナは魔物を前にしても、未だに無反応のままである。
意思がバラバラの彼らは、強大なる力を前にして、眼を覆いたくなるほど無力だった。
その時、魔物の小さく鈍い眼が、不気味にギョロリと動く。
そして獲物を定めると、口をありえないくらい大きく開けて、それへ突進した。
無論、この場に居る獲物は、『サマーライト』の内の誰かだ。
今回、不運にもターゲットにされてしまったのは――
「…………ヘ」「レ」「ナ~~~っ!?」
始終ボーっとしていた、様子のおかしいヘレナである。
彼女が空洞に飲み込まれる瞬間、ライリー・ニック・スイミーは順に声を上げ、驚愕とともに彼女の名前を呼んだ。
綺麗に丸飲みされて、無音のうちにその場から消えてしまった少女が、元気な返事を返すことはない。
おやつにもならぬ食事を終えると、魚は再び大きな音を立てながら、砂の海へ潜っていった。
押し寄せる砂丘の波に足を取られた者たちは、それを阻止することもできなかった。
こうして、吹き荒ぶ嵐の中、その場に残された3名。
呆然と状況を整理すると、期せずして一斉に叫ぶ。
「「「ヘレナが喰われたぁぁぁーーーーーっっっ!!!」」」
シンクロによって華麗に響いた言葉はしかし、情なき風の前でチリと化した。
ヘレナぁぁぁーーーーーっっっ!!!