許し
ケイは心の中で、センとの再会を望んでいた。
自分にも分からない奥底で、無意識に望んでいたのである。
しかしそれは、叶わぬ願いであろう。
ケビンに連行され、彼女は冒険者ギルドにまで連行された。
捕えられた彼女に、抵抗の余地はない。彼らの為すがまま、ただじっとしているだけだ。
「密人を捕えた事は、既に連絡してある。テレサとアバトライトも、じきに戻って来るだろう」
「やあ、それは助かるね。なんせ私では、こんな煩瑣な職務を全うできそうにないのだよ」
「キョウガ。代行を引き受けてくれたこと、改めて感謝する」
「ふむ。一寸ばかり、貸しておくとしよう」
ケビンはギルドの運営を別の冒険者に頼んでいたらしい。代行者の名はキョウガ。
見た目からすると治療術師らしいが、どこからどう見ても少女で、代行者として相応しい人物には思えない。
ケイは自分の運命よりも、しばらく少女の存在に驚いた。
「……ところで、その女性が密人かい」
「ああ。社会悪だ」
キョウガはふと、ケイに視線を移して、彼女を観察するように眼を細める。
少女からジロジロ眺められ、ケイは少し困ったが、口は開かない。
「社会悪……と? 随分と決めつけたものだ」
「密人に正義などない。まさか君まで、彼女を庇うつもりか?」
「さあねぇ。詳しく知らないのだし、庇う理由も、庇える道理も見当たらない。ただね、君、一概に断定するのは止しなさい。人はそう、単一の針には見合わないものだ」
今の会話は、まさか少女が自発的に行ったのだろうか?
こんな言葉遣いは、ケイでもできないだろう。『単一の針』がなんなのか、一瞬分からなかったくらいだ。
この娘が代行するなら、なんとなく問題はなさそうである。
ケビンは少女と意見が衝突して、煮え切らない表情を浮かべていた。
対して、彼の『断定』を好ましく思わないキョウガも、超然的な態度の裏に不服を隠している。
ケイの処遇を前に、両者はぶつかりそうな感じであった。
――そんな時、一本の矢がケビンの頬を掠めた。
矢の軌道に沿って、たらりと頬を伝う血。ケビンは即座に振り向き、矢の出所を探す。
一方でケイは、彼よりも早く、その矢が飛んできた地点を発見した。
そこに立っていたのは、見覚えのある少女だ。
「ケイさんはっ!! シャカイアークなんかじゃないですっ!!」
弓を構えた状態で、大きな声を張り上げるアーチャーの姿。
ギルドの入り口には、ケイを助けに来たエリンが居た。
彼女の声が明瞭に耳へと届き、ケイは驚きと共に涙を堪えた。
そんな風に言い切ってくれる人が、目の前に居ること。
とても戸惑うことで、それ以上に嬉しいことだった。
「まだ邪魔をする気か、この……!」
「ケビン。君の仕事を邪魔するが、悪く思わないでくれたまえ。なあに! これで先刻の貸しが帳消しなのだから、安いものじゃないか?」
「なにをしている、キョウガ!?」
それだけではない。なんと、さっき出会ったばかりのキョウガまでもが、ケイの拘束を解いたのである。
治療術師なのに、どうして補助系の魔法が解除できるのか分からないが、とにかく助けてくれたのだ。
「あ、ありがとう! キョウガ、ちゃ……さん?」
「ケイ、君はフレイズの被害者なのだろう。忌まわしい呪術の残り香を感じる」
「……!? どうして、フレイズさんを――」
「心配無用だよ。今は行くがいい」
ケイを連行した男たちへ、光属性による眼くらましを仕掛けながら、キョウガはそう言った。
謎多き少女はしかし、企みを抱いている素振りもない。
釈然としないが、とにかくケイはエリンの方へと走って行った。
「エリンさん!」
「ケイさん! 無事で良かったですっ!」
エリンは走って来たケイの身体を抱きとめて、本当に嬉しそうに言った。
彼女の体温を感じて、ケイは感謝の気持ちを膨らませる。
勇気を出して戦ってくれたアーチャーの少女を、彼女はとても頼もしく感じたのだ。
「キョウガ! 君は、なんてことを……!」
ケビンはキョウガを問い詰め、行動の理由を吐かせようとした。
しかし、少女は気にする様子も特にない。
「実に強烈な魔が差したのだよ。無論、反省していない」
「おい、反省しろっ!!」
傲岸不遜な少女に怒り、その肩を掴もうと思わず手を開くケビン。
すると、開いた手からスイーッと抜け出た小さな光。
「ハッ、しまった……!!?」
「ずっと握ったままとか、ホントにキモいんだけどっ!!」
気持ち悪い皮膚の感触から逃れた、妖精のフェリが毒づく。
声を発することもなかったため、ケビンは彼女の存在を失念していたのだった。
フェリはすぐさまケイの隣へ飛んでいき、「あんまり心配させないでよねっ」と、彼女に伝える。
相変わらずのツンツンな態度に、ケイは微笑みながら「うん。ありがとうね、フェリちゃん」と返した。
こうして、ケビンとケイは再び対立して、お互いに向き合う。
正義の男・ケビンは、未だケイを捕えようと画策している。
「キョウガ、エリン、フェリ……! 密人の脱走に協力するならば、お前達も処罰対象だ……!」
「おやおや、貸しの締切はついとやって来る……古人曰く、“pathos”と嘯く」
「だって! 私! ナットクできないもんっ!」
「人の話くらい聞きなさいよ、この正義バカ」
誰もケビンの脅しに揺さぶられず、悠然・毅然・冷然と返す。
堪忍袋の緒が切れたケビンは、もはや情を捨てて、彼女らを処罰しようと決めた。
「厳正処分だ……覚悟しろ」
そう言って、彼がゆらりと身体を動かす。
ケイ率いる(?)密人チームが、それに対抗するため構えた――その時。
「待ちやがれっ! ケビン、お前は間違ってるぜ!」
威勢の良い啖呵と共に、ウードが現れた。
彼は密人チームの間を抜け、ケビンの前へ出て行くと、説得するように言う。
「お前はアイクが……いや、ケイが果たした偉業を知らんようだな?」
「くっ……ウードまで、なにを言って……」
「ほら、外へ出てみな。すげぇもんが見られるぜ」
正義に憑りつかれた占星師は、訝しげに眉を顰めつつも、ウードの言うことを聞いてみる。
そして、かなり疑いながらも、冒険者ギルドの外へ出てみた。
そこに居たのは、ケイの逮捕に猛反対する人々であった。
「見損なったぞ、ケビン! アイクちゃんは、カカアの代わりに俺の料理を作ってくれた天使だ!」
「どうしても足りなかった薬草を、たくさん取ってきてくれたの! とても優しい女の子よ!」
「わしの家を見つけてくれたのも、アイクちゃんじゃったのぅ……いつもは、レイアちゃんに頼むんじゃが……助かったわい、ふぇっふぇっふぇ」
どうやらこの人々は、街に住む者たちのようだ。
彼ら、彼女らは、アイク(ケイ)に助けてもらったことを口々に申し立てる。
ワケが分からずに、ケビンは眼を丸くした。
「……な、な、なんだこれは……??」
「いいか、ケビン。ケイはな、こんなに街の人に愛されてるんだぜ。それもこれも、ケイがいいヤツだからだ」
「密人に……『いいヤツ』など……!」
ウードの言葉が信じられず、彼は頻りに首を振る。
密人は悪。例外なく、そう考えてきた頭でっかちな彼は、ひどい困惑を示す。
そんな様子を見て、ウードは真剣に諭した。
「密人は確かに、悪いことに手を出してるかもしれねぇよ……だけどな。根っからの悪人じゃねぇヤツだって、たくさんいるだろ」
「……悪に僅かでも譲歩すれば、正義は成り立たない……」
「俺から言わせりゃあ、街のみんなに慕われるケイを断罪する正義なんざ、クソ喰らえってんだ」
民意は明らかに、ケビンの正義を必要としていないらしかった。
周りが狂っているような、自分が間違っているような、ケビン自身には判断のつかない状況だった。
だが、信じられるものがあるとすれば――長年付き合ってきた仲間たちの、客観的な意見くらいである。
毛ほども納得しないケビンだったが、もはや自分の強行は無意味なことを悟る。
それゆえ、とても投げやりな口調で、吐き捨てるように言葉を発した。
「――ふん、好きにしろ。どうなろうが、俺は納得しない」
「ふっ……恩に着るぜ、ケビンよ」
こうしてケイは、悪を許されぬままでありつつも、そこに居ることを許された。
尤も、それを許したのはケビンではない。
「良かったぁ、良かったよ、ケイさん……!!」
「だいたい密人なんて、あんたには似合わないっての」
「エリンちゃん、フェリちゃん。2人とも、本当にありがとう……」
周りに存在を求められた、彼女の心が理解したのだ。
消えることは、償うことになんてならないと。消えない罪による失意は、誰にも望まれていないのだと。
そして心に決めた。正解か間違いかは、人には分からないとしても。
「私を大事にしてくれる人たちのために、人生を尽くそう」と。
“pathos”とは、パトシェニアの魔法学者ソフィア・メドベージェワが提唱した、魔法の発現におけるエーテルの微振動によって発生する、使用者に対する心的効果の名称。
魔法学では「情的錯覚」と表されることから、今日の文学作品においては、転じて「切なさ」を意味する言葉として用いられる。 ―― 出典:「魔法学大辞典」