仮面
冒険者ではない王女の話です。
冒険者には、腕の立つ者も多い。
それ故に、冒険者ではない者達に用心棒を依頼されることもある。
例えば、馬車を盗賊などから守ったり、防衛地点の見張りをしたり…その他、たくさん。
レアなケースとしては、王族の警護なども挙げられる。
「ワイズ、なにを緊張してるんだ。お前はあの勇敢な戦士、ワイズじゃないか!数多のダンジョンを踏破し、人々から尊敬の眼差しを送られる、あのワイズ!」
かの戦士・ワイズのように。
彼は独り言を呟きながら、街の様子を視察に来た王女レインを護衛していた。
レインはとても高貴な身分であり、冒険者がお目にかかれる機会は極端に少ない。
ワイズは自分がレインの護衛に選ばれたことを光栄に思いつつも、彼女のかつてない威光に悩んでいた。
「レイン姫!このワイズ、必ずやあなたを守ってみせます!なんと麗しいそのお姿!あなたのためなら死ねる!」
「ワイズ、騒がしいわ。」
「レ、レイン姫ぇ!!すいま、申し訳ございません!!」
ワイズの隣、少し前を歩くレインは、彼の漏れっ放しの言葉を注意した。
レインの流麗な視線に捕まり、ワイズは咄嗟に頭を下げる。
彼は周りの騎士の目を気にしつつ、レインの顔を窺いながら顔を上げた。
「…レイン姫、俺は…あ、いえ!私は!」
「言葉遣いなど好きになさい。私は気にしないわ。」
「…は、はい。俺は、俺は…俺は?」
緊張に頭を締め付けられたままで、話などできない。
彼は、自らの放つつもりだった言葉を忘れてしまった。
そのまま、幾何かの時が過ぎたが、いくら歩いていても思い出せない。
「俺は!俺は!俺は…俺、俺、俺?」
「俺は」という言葉に、感嘆符をつけたり、疑問符をつけたり、リズミカルに発音してみたり、「…」を足してみたり…悲しいかな、ワイズは壊れてしまった。
そんな彼の様子を黙って放っていたレインだったが、おもむろに口を開いた。
「…ワイズ。私達はもうすぐ、噴水公園につきますわ。」
「おっ、ひゃいぃー!?」
姫の唐突な声に、ワイズは死にそうなくらい驚いたが、なんとか上ずった声で返事を返す。
「そこで私は民衆と話をすることになる…とても、退屈な時間。」
レインはそう言って、ワイズの隣で遠い目をした。
ワイズは相変わらず、自らの心臓の音を煩わしく聞いていたが、レインの横顔を不思議そうに見た。
「騎士に守られている私を目の前に、言葉を選ばずにいられるかしら。みな本当のことなんて、話せるとは限らないわ。」
「…そ、そうかもしれませんね。」
「実際にそう。国の人々が王族に反感を持っていることくらい、加護の中で生きてきた私にだって分かるわ。」
「姫…そんな、気に病むことはないじゃないですか。国民はあなたの姿を見られるだけでも、十分に…」
ワイズがそこまで言った時、レインは彼に再び、気品に満ちた視線を浴びせた。
ワイズはその視線を受けた瞬間、なにやら重大な決断を迫られているような、そんな感じがした。
レインはそのまま、彼の目を真っ直ぐに見ながら言った。
「ワイズ。私はまだ、仮面を外していないのよ。」
ワイズは、自らの体中で血液が唸っている気がした。
手が震え、喉が震え、熱が出たのかと錯覚しそうなほど頭が揺れた。
この瞬間、彼は突然にして、レインの華美な仮面を外す権利を与えられたのだ。
「レイン、姫…そんなこと、したら、俺…」
「国の法が許さない?それなら、私が許しを与えるわ。」
「姫…!」
ワイズは、今だけは、心の赴くままに行動するべきだと思った。
逡巡する間もなく、彼はレインの金色の髪に手を伸ばした。
そして…無礼にも、王族の顔に無作法に触れたのだ。
「…ワイズ?」
「姫…仮面など、どこにもありませんよ。これはあなたの肌です。」
奇跡が起こったのか、その瞬間を誰も見ていなかった。
王女を守る騎士達は、噴水広場に集まった国民達に注目し、王女の方へは注意していなかった。
したがって、ワイズは罪に問われることはなかった。
「あなたが仮面を着ける必要など、どこにもないでしょう?」
「ワイズ…」
――その後、彼は護衛任務を無事に完遂することができた。
姫の肌に触れたことを一生忘れないと、己が胸に誓いながら、彼はただの冒険者に戻るのであった。
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