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日常系ファンタジー  作者: 青井渦巻
運命の章
109/171

虚日

 寝不足の視界には、空気中を満たすエーテルの粒がはっきり見える。


 不愉快な朝を迎えて、ショルテは苛立ちながらあくびした。




「クソが」




 配給される宿の飯は食べないまま、片手で頭をかきむしる。


 彼は二度寝の誘惑に抗うどころか、もはや一生目覚めなくてもいいと思っていた。


 だが、それでも眠れそうにはなかった。頭はムダに冴えていた。




「……メルチ、おい」




 忌々しい相方の名を口にしてみたが、彼女は今、隣にいなかった。


 特に珍しいことではない。朝早くから起きて、勝手にどこかへ行く――おそらく、ダンジョンへ潜っているのだろう。


 ダンジョン狂いの彼女は、性格上そうしなければならないのだ。そして、ショルテにとってその事実は、かなりどうでもいいことである。




 ところで、このまま宿に居たところで、なにもやる気は起きないようだった。鬱々とした気持ちが募るだけだ。


 未だに視界を埋めるエーテルが、彼のささくれに障った。


 窓の向こうにも、宿の壁にも、室内にも、眼前に興味の種火は一つだって見当たらない。




「…………」




 自らの呼吸さえ、果てしなく不愉快だった。


 身動き一つ、取る気は起きない。石のように固まっていたかった。


 起きてからずっと、彼の眉間に刻まれている皺は、引っ付いて離れてを繰返す。




 それでも、彼は当然のように宿を後にした。


 いつまでも動かずにいることすら、まるで辛抱できなかった。


~~~~~~~~~~


 アテのない彼が向かったのは、とある喫茶店である。


 過去の経験に従って、とりあえず目覚めのコーヒーでもすすろうと考えたのだ。


 しかし、いざ店員に注文を告げようとすると、言葉が出てこない。




「お客さま?そのぉ、ご注文は……」


「……すまねぇな。水だけでいい」


「は、はぁ」




 呼ばれた店員は困惑した顔をしつつ、それでも丁寧に「ごゆっくり」と付け加え、別のテーブルへ行く。


 ショルテはなにをするにも、一切がやるせなく思えて、なにも行動に移せない。


 覚醒した脳ミソが訴える微かな頭痛は、苛立ち諸共、寝不足のせいであった。




 『水だけでいい』とは言ったものの、その水をいざ喉に通すと、どことなく吐き気がする。


 水特有の臭みが、口内を伝わって鼻に香った。


 彼は喫茶店に入ったことを後悔しつつ、退屈な頬杖を突いた。




「…………」




 頭の中では、冗談のような言葉が無数に飛び交った。


 にも関わらず、その表情には微笑の影もない。


 あいかわらずの仏頂面を引っ提げて、惰性で空にしたグラスを弄ぶ。




 ぼんやりグラスを見ていると、関係のない記憶が頭を巡った。


 過去のパーティメンバーが笑っている姿や、メルチの吐いた下らない嘘や、とあるダンジョンの景色や――なにも感じないで、ただ垂れ流す。


 時折、無意味な上映会を遮るように、無意味なことを思う。




(なにが見たかったんだ)




 その言葉に、前後の文脈はない。




(いらねぇ)




 思考をまとめる気にはならず、自分にすら不明瞭な言葉を、デタラメに並べた。


 それでさえ、楽しくもなんともないし、気休めにも、暇つぶしにもならなかった。ただ、時間だけが無為に過ぎる。




 しばらくすると、喫茶店に滞在していることは億劫になった。


 思うか思わぬか、とにかく場所を変えようと立ち上がる。


 結局、なにも注文しないまま。




 店を出る際、店員の「ありがとうございましたー」という声が、背中越しに聴こえた。


 そんな決まりきった挨拶を、ショルテはバカ丁寧と見下して、なんとも白々しい心持ちになった。


~~~~~~~~~~


 街の中には、今の彼を満たすものはない。それどころか、目いっぱい煩わしいもので溢れている。


 すれ違う人々、特に笑っている人間を見ると、非常に強い嫌悪を感じた。




 奴隷の子供に飴をやりたくなった。


 貴族の娘を凌辱したいと思った。


 資産家を海に沈めようと決意した。


 そんな衝動の悉くは次々に現れ、あっという間に霧散した。




 街を追い出された彼が辿り着いたのは、清潔な壁の向こうに広がる、緑で覆われた豊かな森だ。


 まだ人間に侵されていない領域は、恐ろしくなるほど静かで雄大である。


 そこにおいて、ショルテの睡魔はようやく復活した。再び、あくびが出る。




 ただ黙って、空を仰ぎ見た。


 腹立たしい晴天も、眠たげな彼の眼には無感動に映った。


 そよ風が肌に寄り添う。無味乾燥の空気を吸って、小鳥の鳴き声を聞くと、少しだけ癒された。




「青い花」




 うわ言のように呟くと、彼は今日、初めて表情を変える。


 感情の波が飽和に達した時の、安らかな顔つきであった。


 眉間の皺はキレイに消え去って、苛立ちの面影は残っていない。




 呟きを合図にして、記憶はまたざわめきだした。


 過ぎし日の立てる物音へ、彼はなすがままに傾聴した。




 ――緑の生い茂る、のどかなダンジョン。


 新米冒険者たちが踏み慣らした地を、彼らは進んでいた。




『さっきの魔物は俺の獲物だったぞ!お前ばっか良いとこ持っていきやがって!』


『へッ、うるせぇよ。取られたくねぇなら、一撃でノしちまえばよかったんだ』




 戦士の青年から抗議されると、ショルテは皮肉げな笑みを返す。


 すると、彼の隣から、少女の高い声が聞こえた。




『もー、キミたちはケンカばっかしないの!』


『おー、わりーわりー。今後は気を付けますよっと』




 魔法剣士の少女は、困ったように笑って2人をたしなめた。




 攻略は順調で、決して楽ではなかったものの、確かな手ごたえを感じていた。


 5人の冒険者は、自信を持って足を前に出して行く。




『ショルテ、少し寄り道しましょう。ほら、あそこにステキな木の実があるわ』


『ばーか、メルチ。ありゃあプラーンって食いモンだ……ダンジョンには珍しくねぇのさ』


『へぇ、そうなの。やっぱり、ショルテは色んなことを知ってるのね』




 メルチは様々な場所へ目移りして、不思議なものを見つけるたびショルテを誘う。


 彼は誘いには乗らないが、その代わりにダンジョンの知識を自慢げに語った。




 そうして知識を披露し続ける彼へ、パーティのリーダーが言う。




『ショルテ』


『……ん?なんだよリーダー』


『経験も大事にしなさい』




 彼の手には、さきほどメルチが指差したプラーンが乗っていた。


 それを差し出されたので、とりあえず受け取ってみるショルテ。


 おそらくは、実際に味わってみろということなのだろう。




 口数の少ないリーダーだが、彼の言葉が間違っていたことはない。


 知識を正しく使うには、経験することも大切である。


 そう考えたショルテは、少し警戒しつつも、プラーンを口にした。




『どんな味なの?』『どんな味だった?』『どんな味がするんだ?』




 口に含んだ瞬間、仲間たちから寄せられる視線。


 彼はそれに応えるべく、しばし味に集中する。


 口の中には、酸味のある甘さがいっぱいに広がっていた。




『甘くてすっぱいな。なかなか悪くねぇよ』


『なに!?よっしゃあ、俺も取ってきてやらぁ!!』


『ショルテ、一口ちょうだい』


『いいぜ、ほら』


『きゃっ、メルチ……!それって間接キスだよ?!』




 賑やかなパーティと過ごす、大切な時間。


 とりとめのないことにも、時間を忘れるくらい夢中になれた。


 願わくば、誰一人欠けることなく、ずっと先もこうしていられたなら……




 脆過ぎた幸せは、ショルテの心に鮮やかな傷を残していた。




 ――気付くと、彼は無意識に涙を流していた。


 冷たさが頬を伝うと、初めてそれを知る。


 その原因は、彼自身では分からない。ただ、曇り一つない空が、胸中に溢れる虚しさと同化した。

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