秩序の冒涜
さて、ここからが問題なのである。
タルコスとレインたちが邂逅することで、通らぬ筋が通ることになるのだ。
そもそも、タルコスという男はある意味、誰とも関わってはならない人種だ。いいや、もはや人なのかも分からない。
「レイン姫、私に聞きたいことがあると?」
「ええ。ヒマクというものについて、なにか知りませんか?」
「知っていますとも。なんなら、今すぐヒマクの所まで連れて行きましょう」
「……今すぐ?それは一体、どういうことでしょうか」
こうなる。こうなることは、ヒマクたるボクとしては非情に厄介。
この世界を作った以上、ボクはあくまでも裏方に徹するつもりでいたのに。レイン姫が破壊したいと言うのも織り込み済みで、破壊されるつもりなど毛頭なかったのに。
それもこれも、タルコスがこの世界に存在を始めたせいである。
この男は制御が効かない。ヒマクたる僕でさえ、彼にルールを与えることができない。
なぜならば、彼は『自由』だからだ。なぜ『自由』なのか?そんなことはボクの知ったことじゃねぇ。
もしヒマクたるボクが剥がされたなら、この世界は終わりを迎えることだろう。
が、タルコスは終わらないかもしれない。少なくとも、ヒマクたるボクが与えしルールによって、存在を消滅せしめることは不可能である。
彼はまず、ヒマクの内側に収まる人間ではないのだ。かといって、おそらく外側の存在でもない。ただ、ボクにとっての彼は、箱庭の安寧を崩す者に他ならぬ。
「さあ、これがヒマクです。破壊したいのであれば、どうぞご自由に」
「……へ?」
ほら、当然じゃないか。レイン姫はポカンとしている。彼女にこんな表情をさせること、すなわち罪深きことなり。
パルルだって、なんだいこの表情。彼女は悟ったみたいな顔をしているのが常だ。これ、どこまで眼を見開いている?金魚みてぇに口を開けてらっしゃる。マジであり得ない。
アバトライトもそうだ。状況が呑み込めずに、四方八方をキョロキョロ見回しているぞ。は?なにこの空間?っていう表情してる。
この期に及んで、ボクはまだ観客への状況説明をしなければならない。だってそれがヒマクたるボクのルール。ボクがボク自身に与えたルールだから。
ヒマクを目前に控えた世界には、地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊……神はもれなく、ヒマクたるボクだ。そう、ボクの意識が水のおもてをおおっていた。
そういう場所にポツンと置かれて、タルコス以外の人間は呆然としていた。脳の処理が追い付かなかったのだろう。
ボクは今、モーレツにクラクラしている。頭が痛い。自分で決めたルールを破っている最中。
ヒマクたるボクの頭がどこかって?そんなの決まってるでしょ、水のおもて。淵のおもてが胴体で、すべて形なく現れているのだよ。
この際、為すがままでいるのはよそうじゃないか。
今まではタルコスの好きにさせてきた。そうすることで、ボクの役目はまがりなりにも遂行されてきたわけだし、ボクと対等以上に振舞うタルコスからも、不格好なこじつけで逃れてこられた。
が、肝心のボク自身が破壊されてはルールもクソもない。レインやパルルやアバトライトを守るために、ボクは戦う意志をここに示す。
つまり、ボクは全身全霊を以て、タルコスという異物を世界から追い出す。
彼さえいなければ、ボクはどんな手を使ってでも、レイン達を元の場所へ戻すことができる。
さあ、戦おうじゃないか。
「私と戦いたいのですかな、“語り手”よ……」
そうとも。キサマは本来、この世界にいてはならない存在。
なにがケビンの従者だ。ケビンに仕えることが至上の喜びだぁ?そうやってルールと関係を持ち、まんまと箱庭に安住した気だろう。ボクを惑わすのはさぞ楽しいだろうぜ、エセ紳士。
だが、所詮キサマはノイズであって、箱庭の住人ではない。神聖なる領域を荒らした罪を、しかとその身体に刻み込め。
「カタリテ?なんの話ですか、タルコスさん……」
「お気になさらず、レイン姫」
タルコスの不可解な言葉に、首を傾げるレイン姫。
すると、彼女はおもむろに腕を振り上げ、彼の眼玉をえぐり取ろうとした。
「え……?わ、私の腕が、勝手に……!!」
「ご安心くだされ、レイン姫。腕が勝手に動くなどということはあり得ません」
……彼がそう言うと共に、レインの腕は静止した。
タルコスの言う通り、動機のない行動は不自然である。
では、相応の動機があればどうだろう。
例えば、パルルはタルコスに対して、言い知れぬ殺意を抱いた。
「うゥ……?な、なんだか分からないよ、この感情……あァ、くたばってよタルコス……!!」
「パルルさん。貴女はまだ、私と関わったことさえありませんよ」
「えェ……!?あ……そ、そうだったかもしれないよ」
殺害に至る動機は殺意だが、殺意を抱く動機が曖昧だった。
そのため、彼女は己の感情の違和感に気付いてしまったらしい。
それならば、動機もなにも必要ない。いきなり死ねば解決する。
アバトライトは不思議な場所を探索するため、一歩だけ踏み出した。すると、その途端にバランスを崩し、前方へと倒れ込む。
「うわ!?よ、避けてくれタルコス!!」
その際、彼の握っていた剣は綺麗な弧を描いて、その刀身をタルコスへと振り下ろした。
不意を突く災難。こうなってしまえば、もはやタルコスには逃げる術などなく――
「なにもない場所でこけるなんて、おかしな話ですぞ。アバトライトさん、自分の足元を見てみなさい」
「な、なにを暢気なことを……!!って、あれ?」
アバトライトが足元を見ると、その足はちゃんと形なき地を踏みしめているではないか。
どうやら彼は幻覚を見ていたようだ。バランスを崩したように見えたのは、彼の勘違いである。
「そんな……私はさっき、間違いなく躓いたはず……」
「私は一体どうしたのでしょう。腕が勝手に動くなんて、なんの病気かしら」
「パルルは……なんだか分からないけど、どうしようもない気持ちが湧き上がって……でも、もう治ったみたいだよ……??」
得体の知れない自らの行動に、3人はそれぞれ違和感を持った。
そうして、行動の原因がヒマクにあると仮定した。
いや、仮定されては困る。ボクはキミ達を守ろうとしただけだ。
「間違いありませんわ。やはりヒマクとは、人智を越えたものなのですね」
「パルルの感情を勝手に操るなんて、エルちゃんより酷いよ」
「私の剣は、人を斬るためにあるのではない。世界を守るためにある」
なんで矛先がこっちに向くのかな?なんでこの子たち、ボクのこと悪者にするの?
ふふふ……すべてはタルコスの思惑通りというわけか。彼の前で、ボクができることなんてないのだ。
「まだ破壊されると決まってはいませんぞ、“語り手”よ。その選択は、レイン姫によって行われるのですから」
タルコスはフッと笑って、ボクにそう言った。
まさか、タルコスはボクを破壊するつもりはないのか?それなら、ボクにはまだ助かる見込みがある。
問題は、予定通りのルートでボクにたどり着かなかったレイン姫だ。
「ヒマクを破壊することが、私の夢。それが今、叶うのですわ……」
彼女の眼は燦然と輝いて、その視線は望みの彼方へと伸びている。
ボクを貫く純粋な視線は、ヒマクの外側へと繋がっているようだ。
予定では、彼女はボクを破壊する意志を失う筋書きだった。
ボクを破壊すれば、世界はどうなるか分からない。それでも自分の欲望を叶えるのか、隣にいるパルルやアバトライトと生きていくのか……迷った末、そのように決断する。
だが、その迷いに必要なのは、パルルと培った思い出や、アバトライトに教わる共生の喜び。それは現在、どちらも足りていない。
ボクはルールを作ることで、彼女を縛ることができる。しかし、矛盾したルールは作れない。
不完全なルールを安易に創造することは、箱庭の破綻を招くのだ。
そんな不自由なボクにできるのは、最後の祈りだけ――どうか彼女が、僕を破壊しませんように。
長い沈黙が訪れた。
その間、誰もが固唾を呑んで、レインを見守った。もちろん、ボクを含めて。
彼女は少しも身動きせず、瞬きさえせず、ボクを見つめた。
――どれくらいそうしていただろうか。
やがて彼女は、重々しく口を開いた。
「なぜかは分かりませんが…………これを破壊することは、私にはできません」
口惜しそうに眼を伏せながら、彼女はそう言った。
それによると、ボクは助かったのである。
レイン姫バンザイ!!この箱庭、もうちょっとだけ続くんだ。
さて、そうと決まればもう安心だ。ボクは改めて、ただの平凡な語りを再開させてもらう。レインのため、そして観客諸君のため。
「姫……なぜ破壊できないんです?」
アバトライトが心配そうに問うと、彼女は少しだけ笑って答えた。
「ヒマクの叫びが聞こえた……というところかしらね。ヒマクのことを想うと、まるで自分を殺すみたいなの」
アバトライトもパルルも、チンプンカンプンな顔をして首を傾げる。
それでも、レインはたった一人、ヒマクを見つめて微笑んだ。
ああ、良心の呵責があるのは当然なのだろうか。神たるボクを殺すのは、彼女にはできないのか……
ボクが彼女を守るように、彼女はボクを守ってくれているのかな。
「ふむ、“語り手”よ。私はもう少し、ケビン様の下で仕えていてもよろしいですかな?」
知るか、もう好きにしろ。語れる範囲で語ってやる。
ボクがそう返すと、タルコスは満足そうに頭を下げた。
こうしてボクは、また秩序に意志を埋めるのであった。
書くの、異常に疲れました。