化け物も笑う
民家の立ち並ぶ狭い通り。
エルドラの腕に絡みついていたのは、彼に恋するロゼアであった。
「ウフフ~、エルドラ~♪」
デレデレした表情で、子猫のようにすがりつく少女。
歩きにくいが、無理に振りはらうのも躊躇われる。そのため、エルドラは少し困っていた。
「なーロゼア。歩きにくいんだけど」
「えへえへ、そうだね!」
「うん、そうだろ?だからさぁ」
「私も歩きにくいよぉ……一緒だね♪」
歩きにくさを共有することで、ロゼアはめっちゃ幸せになっていた。
そのためか、エルドラが離してほしいと思っているなんて、まったく気付かないのだ。
もちろん、彼を解放する気はまったくない。
しがみつく力が強く、エルドラの腕は少しずつ悲鳴を上げていた。
このままでは腕に血が通わなくなってしまう。そう考えて、彼はおもむろに走り出した。
「走るぜ!」
「ひゃあっ」
いきなり身体を引っ張られて、ロゼアはバランスを崩す。
しかし、どうしても腕を絡ませたい彼女は、逃げていく腕に無理やりしがみつく。
そうすると、逆にエルドラの方が後ろへ引っ張られてしまった。
「ううぇぃっ!?」
背中側から倒れ、彼は咄嗟にバランスを取ろうとする。
胴体を反転し、着地点を見る暇もなく、地面に手をついた。
そこで多少は安定を得たものの、今度は自分の体重が腕にのしかかってしまう。
「いでェ!?」
結局、彼は腕にかかる負荷に耐えられず、倒れ込んでしまった。
肩に僅かな痺れを感じながら、苦しい顔で起き上がる。
「おいおい、いきなり引っ張るなよー……って、んん?」
ふと気づくと、地面についたはずの手は、なにやら柔らかい感触に触れていた。
正体を確認すると、彼の手の下にあったのは――ロゼアの胸であった。
彼の緩衝材になった少女は、頬を赤らめて抗議的な眼をしている。
「ごめん」
なにか危険を感じて、少年は即座に謝った。
が、それでは解決しない。ロゼアの気持ちが収まらないため。
彼女からの強い視線を浴びると、エルドラは眼を逸らす。
「……エルドラ、なんでこんなことするの」
「いやぁ……なんか、なっちゃった」
「ねぇ、今どうなってるの?説明してよ」
「えーっと、まぁ……アハハ!俺は気にしないってかさ、これ以上のことはなんもしてないよ?」
明らかに怒っている彼女から、早急に逃げようとするエルドラ。
適当に弁明しながらも、そろりそろりと彼女から距離を取る。
すると、こっそり抜き去ろうとした腕を、凄い勢いで掴まれてしまった。
腕は再び、ロゼアの胸へと吸い込まれていく。
なぜまた当てようとするのか分からなかったが、とにかく彼は抵抗した。
その引っ張られる力を利用して、ロゼアは自分の上半身を起こす。それからエルドラと目が合うと、にっこり笑った。
「いいよ」
「え?」
「エルドラになら、なんでもしてあげる」
――少女の発言は、エルドラの予想とは違うものだった。
彼はてっきり、めちゃくちゃ怒られまくるか、最悪なら死ぬまで殴られるのだと考えていたのだ。
しかし、実際に聞いた彼女の言葉は、とても穏やかな口調のものだった。
「ん?今何でもするって言ったよね?」
「うん。好きなだけ触らせてあげる」
なんだか分からないが、ロゼアはあんまり怒っていない。
想定より事態が悪化しなかったため、彼はホッとする。
その際、つい油断したのだろう。口を滑らせてしまったのだ。
「いや、それはもういいんだけど……」
その発言と同時に、ロゼアの手が彼の口をふさいだ。眼にも止まらぬ速さで。
突然の出来事に混乱する少年を、彼女は空虚な眼で見つめる。
「エルドラは私を傷つけるようなこと絶対に言わないもん……そんなのエルドラじゃない……」
「もごごォ!?も、もごもご……!!」
「エルドラの声や言葉は、ぜんぶ私をシアワセにしてくれるもの……そうじゃないなら、本当のエルドラじゃない」
「むぐゥ……ッ!!」
ぎりぎりと握り潰されていく、エルドラの頬。
苦しむ彼の姿は、光なきロゼアの眼には映っていないようだった。
必死に藻掻くも、彼は少女の握力から逃れられない。
(このままじゃ殺される!!)
そう直感し、彼は即座に足を使った。
手遅れになる前に窮地を脱出するには、ロゼアを蹴るしかなかったのである。
友達を蹴るのは、いくら彼とて抵抗があった。しかし、迫る死の前でそんな話はしていられない。
「きゃあっ!」
太もものあたりに攻撃を喰らったロゼアは、思わずエルドラを解放する。
だが大したダメージではないため、すぐに持ち直した。
逃げようとするエルドラへ、彼女は再び手を伸ばす。
「私から逃げるの?ねぇ、エルドラ?」
「や、やめろ!来るんじゃない!」
「ああ、やっぱり!やっぱりオマエ、エルドラじゃない……あはははははは」
「うわああああああ」
恐怖に呑まれたエルドラは、半狂乱になりながら逃げていく。
それを追うロゼアは、まるで悪魔のような笑い方で走っていた。
たまたま周りに人がいないが、もしこの異様な光景を眼にすれば、みな逃げ出すことだろう。
エルドラは追い付かれないよう、距離を確認しながら疾走する。
すると、後方から追ってきていた彼女が、コンクリートの突起につまずいた。
大きな音を立てて、派手にこけてしまうロゼア。
それを見て、少年は立ち止まると共に、少しだけ冷静になる。
(なんか焦っちゃったけど、ロゼアってああいう子だもんな……)
恐怖感が去ると、全速前進をモットーにしていた身体は、低速後退も可能になった。
自分の命をいつでも守れるよう、細心の注意を払いつつ、ロゼアに近寄っていく。
そして、倒れ込んだ彼女を人差指でツンツンしてみた。
「おぉ~い、ロゼア……だいじょーぶか……?」
問いかけると、少女はバッと顔を上げた。
突然の機敏な動きに驚きつつも、エルドラは逃げずに堪える。
少女はパッと明るい表情をして、心底嬉しそうに微笑んだ。
「エルドラ!!」
「な、なに?」
「私を心配してくれるから、本物のエルドラだぁ……!!」
ロゼアにとって、エルドラとはなんなのだろうか。
少なくとも、身体の特徴では認識していないようだ。
まあ彼女の基準がどうだろうが、エルドラはエルドラである。
ずっと本物だった彼は、思わず苦笑いした。
「……ああそう。んで、怪我とかしてないの」
「ううん、平気よ。ちょっと擦りむいただけ」
平気と言いつつ、彼女の差し出した足の脛には、大きなキズができていた。
白っぽい彼女の肌に、赤い血液がツーっと流れていく。
「なんだよ、してるじゃねーか!ほっといたら良くないぜ!」
「ううん、これでいいの。だって……えへへ」
心配するエルドラに対して、ロゼアはなぜか嬉しそうに笑う。
「ロゼア?なんで笑ってんの」
少年が問うと、彼女は満足そうに答えた。
「だって……このキズがあれば、エルドラは私のことを永遠に心配してくれるもん」
――この時の彼女の笑みを、エルドラは強く記憶することになる。
彼は看守の言葉を思い出す。曰く、ロゼアは化け物らしい。
確かに、人間ではあり得ないような表情をすることはあるだろう。魔物や悪魔に見間違えたって、不思議ではない。
が、あくまでも、悪魔であってもロゼアは人間だ。
こけてキズを付け、赤い血を流す。笑う時はただの子供。
誰かに怪我を心配してほしい、さみしがりの子供なのである。
エルドラは、少女のドールマスターとしての才能に惚れている。
というか、我が才能として扱おうとしている。自分の才能ではないのに。
ともあれ、惚れていることには間違いない。
すなわち、惚れた女は少しイカれていた。
それくらいで、彼は相手から離れようと思わなかった。
「なんだそれ。いやぁ、永遠に心配すんのはムリだろ~」
「このキズのこと、忘れたら許さないよ……」
「ちょちょちょ……俺のこと殺しにこないでくれる?100ブロンズやるから許してくれ!」
相手が化け物じゃないなら、一緒にいられないってことはないだろ!
みたいな、そんなユルい結論を出して、彼はもう少し様子を見ることにした。
(どうしても殺されそうだったら、パルルになんとかしてもらえばいいや)
先ほど助けのない場所で襲われたばかりのに、見通しの甘さは世界一である。
ただし、不安定なロゼアの言動を予測する方法などない。それもまた事実なのだ。