庶民の振る舞い
怪しげなコートに身を隠す、3つの人影。
彼らは素性を隠し、街の人々から情報を集めていた。
「ヒマクについて、なにかご存知でいらっしゃいませんか?」
「え?知らないねぇ……それよりアンタら、なんで街中でコソコソしてんだい」
「いえ、どうかお気になさらず。ご協力、感謝いたします」
街の人から訝し気な目線を受けながらも、人影は怪しく動く。
その正体は、もちろんレイン姫である。
「情報が集まりませんわね」
彼女は目を伏せると、少し悔しそうに呟く。
すると、もう一人のコート仲間が横から言った。
「情報が集まるより先に、レイン姫の身分がバレそうだよ」
「まあ、なぜですか」
「だって、喋り方が……」
コート仲間……否、パルルが心配しているのは、レインの口調だ。
明らかに平民の喋り方ではないため、はっきり言って浮いている。
彼女の発言に、3人目のコート……否、アバトライトも賛同した。
「姫。難しいでしょうが、もう少し平民らしい振る舞いをして頂けませんか?」
2人ともに注意されて、レインは首を傾げる。
平民らしさとは、どのような振る舞いに表れる特徴なのだろう。
そこのところが分からず、困ってしまった。
「平民らしさ……そう言われても、上手く演じる自信はないわ。私は女優ではないもの」
「それでは、実際に街の人々を観察してみてはいかがでしょう」
アバトライトの提案により、レインは街を眺める。
コンクリートのストリートに、鮮やかなテントで並ぶ市場。
その場所で生きる人間を、まず漠然と認識した。
「いらっしゃい奥さん!アプロンは間に合ってるかい?」
「コラ、勝手にどっか行くんじゃないよ」
「ひひひ。今なら誰でも、たった5ブロンズで占ってあげるよぉ……」
「それじゃ、また噴水広場で会おうね!」
「おや、お嬢さん。お金を落としましたよ」
「ええ、今日はいい天気ですねぇ。洗濯もの日和で――」
果実売りの前を、はしゃぐ子供が通り過ぎていく。大きな身体の婦人がそれを追う。
街の隅で怪しく笑うのは、黒ずくめの占星師。
嬉しそうに手を振りながら、待ち合わせ場所を決める若者たち。
冷たい床に響くブロンズの音で、着飾った娘が振り向く。優しく差し出される紳士の手。
そんな光景を背中にして、うららかに談笑する何人かの女性。
庶民の生活というものが、レインの前に広がっているようだった。
あらためて見渡してみると、それらはまるで共同体のように調和して、いろどり豊かに賑わう。
雨や風の日には見られない、晴れやかで活気あふれる世界が、青空と太陽に照らされていた。
以上の景色をもって、姫君はしばし逡巡してみる。
自らが庶民の暮らしから得たものを、しっかり整理しようとした。
「――つまり、彼らはブロンズしか使わないの?」
「いや、そんなことないと思うよ」
出した答えは、あまり妥当ではなかった。
王族としては見慣れないブロンズが目についたのだが、どうやら問題はそこじゃないようだ。
平民を平民たらしめている要因は、なにも使う道具に限った話ではない。
「他に気付いたことは?」
パルルに問われて、レインはもう一度悩む。
そして再び、自分なりに回答してみた。
「皆さま、話すのがお好きなのかしら。話している時、とても楽しそうですもの」
「ああ、それはそうかもしれないよ。やっぱり人と話すのは楽しいよ」
「それと……あらゆる所作が大きいのですね。笑い方もなんだか壮快でいらっしゃるわ」
「パルル達からすると、レイン様の仕草はキレイすぎるよ」
「そうなのですか?」
観察によってハッケンした特徴は、レインの平民観を新しくさせた。
(できるだけ口を開いて笑うのね。身振りも大きくして、走る時も衣服は気にせずに……)
そうして、見様見真似で平民になりきっていく。
王女としての彼女は、今まで品行方正な立ち振る舞いを求められてきた。
だが現在においては、それとはまったく真逆の振る舞いを試みていた。
大きく手を振って歩くのは、彼女の心を少しだけ弾ませる。
服を気にせず大股で踏み出すと、なぜだか革新的な気持ちになる。
いつもと違う自分になることに、レインは喜びを見出していた。
「では、皆さま……いいえ、皆さん。参りま……行きましょう」
「そうそう、その調子だよ」
「素晴らしいです、レイン様!」
上達が早い彼女へ、パルルとアバトライトは賛辞を送る。
すると、パルルは市場の先を指差して言った。
「よーし、噴水広場まで走ろうよ」
「まあ……!あはは、そうしましょう!」
「もっと砕けた喋り方じゃないと、パルルには追い付けないよ!」
「あら、お待ち……いえ、待ってパルルさん!」
パルルは噴水広場を目指して走り出す。すかさず彼女を追いかけるレイン。
広い市場を駆けていくことに、自由を感じながら走る。
アバトライトは2人を後ろから追いかけつつ、「やれやれ」と首を竦めた。
「レイン姫にも、まだまだ子供らしいところがあるね」
彼は最初、部屋から脱出するなんてありえないと思っていた。
しかし、今のレインの楽しそうな表情を見ると、少し考えが変わってくる。
王族として生きる彼女にとって、この経験はきっと貴重なものになる――と。
コンクリートの僅かな突起に、走り慣れていない姫が躓かないよう、アバトライトは眼を凝らした。
彼女を全身全霊で守ることこそ、聖騎士である己の役目だと念じながら。
涼しい風がレインの前髪をくすぐる。噴水広場はもうすぐだ。




