一章-③空手道場の黒帯少女
そして次の日すぐに隣町の道場に来てしまうあたり、我ながら行動力はある方だと思う。
「ていうか暇人ね」
「お前もだろっ」
不・破・道・場ッ!
と威圧感バリバリなネーミングのいかつい門戸をくぐる。右隣には引き続き杏奈肇だ。二人して、土日の過ごし方のバリエーションがめちゃ少ないのが玉にきず。
他の友達は部活やなんやで忙しいし、彼女優先などという不届き千万な者も最近は増えてきた。
別に同盟を組んでいるわけではないけれど、謎の仲間意識はある。その実一緒にすんなよと悪態をつき合ってはいるけれど。
というわけで、体験入門に来たところで俺らのすることは普段となんら変わらない。
「あの子マジかわいいな」
「お前もそう思う?」
こともあろうに女の子ウォッチングをしていた。
基本のきの筋トレメニューを体験し、レッスン2はまずは有段者の実践を目で見て、空手とはこういうものなのかと感じてみてくださいな、というものだ。
床に作られた四角いスペースの中では、先ほどから二人の黒帯が技の応酬を繰り広げていた。
青コーナー、さっきまで筋トレの指導をしていたハチマキの師範代。そして赤コーナーは、お年頃には一歩手前といった感じの、まっすぐな目をしたショートカットの小柄なお嬢さんだった。親子らしいぜ、とどこから仕入れてきたのか杏奈が耳打ちで教えてくれた。
なるほど、運動神経や反射神経というものはやはり遺伝なのだろう。華奢な体から想像しがたいキレのある回し蹴りは、初心者ながら見ていてその清々しさに感心してしまう。彼女の足が上がると、各所から拍手や声援が生まれた。
「……もっかい回し蹴ってくんないかな」
俺が呟くと、すかさず杏奈が同意する。
「蹴る時の声ちょーかわいいもんな」
はぁー、やぁぁーん、という掛け声は、目を瞑ると一層甘ったるい響きとなる。
「にゃぁぁーん」
「イイな」
「素晴らしい」
目で見て云々、と言われていたのに、俺達は完全に目を瞑ってリスニングを楽しんでいた。
「じゃ、そこの君。ちょっと前に来て」
杏奈に脇を小突かれ、はっと目を開ける。四角いリングの中で、師範代が手招きをしていた。
「俺?」
顔の前に指を持ってくると、師範代は笑顔で頷いた。杏奈を残し、人だかりの中央へ。リスニングがバレて説教をされるのかと思いきや、師範代は上機嫌だった。
「カップルで空手とは嬉しいことですな」
カップル?
目の前の中年が何を言っているのかよくわからず、首を傾げた。
「ぜひ、彼氏よりも強くなって帰ってください」
それは笑える冗談だったようで、周囲の人だかりがどっと沸いた。
主な受講者は、格闘技などとは無縁そうな優しい目をしたおばさまたちだ。目的はおそらく文武両道ではなく、健康維持だろう。
「いいわねぇ、二人で格闘技を習うなんて」
「楽しそうでうらやましいわぁ」
「寝技の練習もばっちりですわね」
「山田さんたらいやぁーだぁーッ」
空手に寝技はないんじゃないの!? 主婦層は甲高い声で笑う。
「ちょちょちょっと待ってください奥様方、まさかその彼氏っていうのは……」
「寝技、がんばろうな有沢!」
お前!?
「いやーだ、彼氏さん大胆ー」
「のわあああ、誤解っす! 俺らどっちも男ですよ!」
理由はさっぱり分からないが、まーた女子と勘違いをされていたらしい。腹立つとか悔しいとかは置いといて、まず誤解を解こうと、クールダウンさせるつもりで俺は二人の性別を主張した。クールダウンを……。
「うそっ男同士!?」
「男同士で寝技!?」
「やったわね、山田さん!」
「ッしゃッ」
なぜかヒートアップした。男同士で寝技……は別に普通じゃないか!?
「え、男……」
すぐ横で、お花が揺れるような柔らかな呟きが聞こえた。二つの無垢な瞳がためらいがちにこちらを伺っている。赤コーナーのお花ちゃんだ。
「あ、うん。よく女子と間違えられるんだけどさ……」
もうぶっけちゃてしまうが、女子に間違えられたのはこの前のアレが初めてではない。ナンパの経験もあるし(される側)、お嬢さんこっちは男子トイレだよと大きなお世話を焼かれたことも何度もある。試したことはないけどレディースデーは、多分イケるな。
女子から誤解されるのはやはり少々ヘコむが、冗談っぽく笑ってみせた。
「男……」
もう一度、噛みしめるようなニュアンスで空手少女は呟いた。そして今度は、俺が「えっ」と思う番だった。
無垢な瞳が眇められ、一瞬ではあったけれどとろけるような笑みを彼女は浮かべたのだ。
きゅっと唇を噛みしめて、頬をピンク色に染めて……、…なぁ杏奈!俺今日道場にきてよかったよ! 空手最高! ビバ一日体験!
「きっ、きっ君はっ! 女の子なのにすごいねっ!」
終わったら連絡先を聞こう。絶対に聞こう。心の中で有頂天になり、モテそうな台詞バリエーションを吟味していると、不意に襟元を引っ張られた。ごくごく近距離で不穏な呟き。それは依然変わらぬ甘い声。
「じゃ、手加減なしで」
一秒後、俺は何故か宙に浮いていた。