七章-④導火線
「ありす! 遅かったわね。そろそろ出番よ」
舞台袖では、先ほどより幾分上気した顔の若様が水分補給をしていた。
ステージの方からは、ふわりんのお花が揺れるような声が響いている。
曲順的に、あと一曲で俺の順番というところだ。
若様が小型ライトで、進行表を照らしてくれる。
「振りや歌詞は体が覚えているはずだから、頭を軽くして立ち位置をしっかり叩き込んで。当日はファンの人たちがいるから雰囲気は違うと思うけどイメージは……、ありす?」
「へ、あっ」
「どうかしたの? なんだか恋する乙女みたいにほっぺが赤くてふわふわしているけど」
「ここここ恋する乙女!? なんだって俺が巖縄に!?」
「巖縄マネージャー!? えっ何!? マネージャーと何かあったの!?」
「な、何もないですよ! アイツのことなんて、別にかっこいいとか意外と頼りになるとか何も思ってないですから!」
「え? え? 何? 私の知らないところで何か特別なイベントが発生してる?」
ま、まさかそんなに顔に出てしまっているとは、俺の表情筋もあなどれない。
べ、別に巖縄のことを認めたわけじゃなくて、俺の思う男らしさっていうのはああいう……いやいや、憧れたりとかもしてなくてっ。
とにかく、楽屋に戻ってろとは言われたけど、そんなメソメソしているわけにはいかないのだ!
「よしっ。心機一転、男らしく、リハ一発ぶちかましてきますッ!」
「女らしくお願い」
「プロデューサー、それはさすがに困ります!」
「ん?」
気合を入れてストレッチしていると、廊下の方から何やら騒がしい声が割って入ってきた。
「そう言われても、もう決定事項だからねぇー」
「どうかそこをなんとか……」
忌まわしいセクハラまんじゅうの後を追うようにして、巖縄が舞台袖に入ってくる。
続いてみなちゃんも。
女の子の時はいつも余裕の笑顔を見せているみなちゃんが、焦ったように何か抗議していた。
「私からも、お願いします。うちには今回が初ステージの新人もいますし、」
俺の話?
隣の若様もただならぬ雰囲気を察し、早足でそちらへ向かっていった。
「どうかしたんですか?」
「若葉くんだっけ? 君も早く帰る準備をしなさい」
「え?」
何だって? 聞き間違いかと思い、俺も急いでそちらに駆け寄る。
「帰る……って?」
嫌な汗が背中を伝った。
「バレプロさん、ちょっとマナー知らずみたいだからねぇ。劇場はマナーよく使ってもらわないと困るしぃ。だから今日のリハはこのくらいにしとこうか」
「え……っ、ちょちょちょ、俺まだ出番来てないんですけど!?」
「君は特にマナーがわかってないみたいだから」
「マナーって……まさか」
「挨拶、ちゃんとできないみたいだしねー」
そう言いながら俺を見るまんじゅうの目線の先を察知して、一気に顔が熱くなった。
「そ、そんなの……っ」
「申し訳ありません。今後しっかり教育していきますので、今日のところは勘弁して頂けませんか。この通りです」
「巖……っ」
「わなちゃんっ」
なんだよ、なんだよ巖縄、守ってくれるって言ったじゃねーか。
なんでそんなやつに頭下げてんだよ。
「私からも、お願いします」
「ちょ……どうしてっ」
どうしてって?
そんなことは自分が一番分かっていた。
俺のためだ。
岩頭も若様も、俺を守るために頭を下げているんだということは、いくらバカな俺にでもすぐに分かった。
みなちゃんは巌縄の横で、唇を噛み締めてただ俯いている。
「君は? 君も何かすることあるんじゃないの?」
「……リハーサルを続けないと、本番でこけますよ」
「それなら、そのくらいの事務所だってことだねぇ」
「この子、今回がデビューライブなんです。力量を測るには正しい場所でやらないと意味がないでしょ。せめて0からのスタートにさせてください」
「僕の評価はすでにマイナスなんだよねぇ。え? 君が埋めてくれるの? あんまりタイプじゃないけど仕方ないかなー」
「な、何言ってんのっ、そんなこと……」
肩にかけられた手を反射的に払いのけ、みなちゃんはぎゅっと拳を握った。
しかしすぐ、その手をゆっくりと下ろす。
「……お願いしますっ。リハ、続けさせてくださいっ」
「あの……みなさん、どうしたんですか?」
すぐ後ろで、わたあめのような柔らかい声がした。
「ふわ……」
「なにかあったんですかっ?」
ふわりんが背中越しに覗き込むようにしてぴょこぴょこ跳ねている。
自分のリハが終わったようだ。
どう理由を説明しようか言いあぐねていると、まんじゅうがそれを遮った。
「あぁ、ふわちゃんじゃないかぁー」
ゲッ何だよその甘ったるい声。
大人たちも思わずああん? と顔を上げる。嫌な予感しかしない。
「ふわちゃんー。リハすごくよかったよー」
見てねぇだろうが。全員心の中で舌打ちである。
そうだよ確かコイツ、ロリコン不審者だったじゃねーか!
「えへへ……プロデューサーさん、ありがとうございます!」
ぴょこーんとお辞儀をする小動物を、四人してはらはらと見守る。
満足そうに頷いた後、まんじゅうは俺とみなちゃんと若様を順繰りに見回し、ふぅやれやれとわざとらしい溜め息をついた。
「やっぱり君たちじゃちょっと違うんだよなぁ」
「はぁ、それはどういうことでしょうかっ」
最年長のみなちゃんが引きつった笑顔で訊ねた。拳、拳しまって。
「何かあったんですか?」
「うーん、ふわちゃん。誠意って言葉、知ってる?」
「誠意?」
「うん。実はおとなの人たちがなかなか分かってくれなくてねー。ふわちゃんはいい子だから、わかってくれると思うんだけど」
「……? わたし……? 何をすればいいんですか?」
ちょっと待て。何を見せろって?
このおっさんの鼻息からして、頭を下げればいいという話ではなさそうだ。
周りを見れば皆、出方を見計らっている。
ふわりんはふわりんで、多分何もわかっていない。
先陣を切るのは自分だと分かり、覚悟を決めて拳を握った。
「まんじゅ……、プロデューサー。俺が悪かった。謝るからさ、それで許してくれ……ま、せん、かっ」
「沢良さん……?」
「……ッ、す、すいませんでしたっ」
「……ふーん」
顔を上げなくてもふわりんが戸惑っているのが分かる。
頭に血が上って、どんどん顔が熱くなってくる。
「ま、そこまで言うなら、しょうがないかなぁ」
「ほ、本当ですかっ」
ぱっと顔をあげて、まんじゅうを見る。
誰かが短く息を吐いた。安堵か失望かは分からない。
「新人チャンなら、マナーもこれから身につければいいしねぇ」
「べ、勉強します……」
できれば独学で。そして自己流で。
大人たちはもう一度ずつ頭を下げ、自分たちの持ち場に散開していった。
次は俺のリハだ。皆が守ってくれた俺の初ステージのリハーサルだった。
まだ不思議そうな顔をしているふわりんに行ってくると告げて、ステージの方へ向かう。
「……?」
七歩半ほど、歩いて足が止まる。
何かが心に引っかかったのだ。
忘れ物? 段取りの確認?
違う。さっきふわりんの顔を見て、何かを思い出しそうになって。
「あ、ふわちゃん」
背後で、プロデューサーの猫撫で声が聞こえた。
「はい?」
「リボンほどけてるよ」
そうだ、リボンだ。まだ結んであげられてなかったっけ、と反射的に振り返る。
「結んであげるね」
「え、あ……っ、ちょ」
胸元のリボンに、プロデューサーの手が伸びる。
脂ぎったその指が触れそうになるのを見て、俺は。
「ありす!」
「えっ……な……っ、なんだ君、おいちょっと、止まっ」
一歩目を踏み出した瞬間に、巖縄の言葉が頭をちり、と掠めた。
一度しか言わないぞ、と彼はそう言ってくれた。
マッチの箱を擦るように、次々とみなちゃんの、若様の言葉を思い出す。
彼らは自分のために頭を下げてくれた。
しかし何故か足は止まらなかった。
止まらないどころか、七歩半の早戻しは勢いをつけて早まるばかりだ。
記憶のひとつひとつが、まるで導火線になっていくみたいだ。
こめかみの辺りが擦り切れるほど熱かった。
彼らはまっすぐに俺を守ってくれたのに。
頭を下げてまで、俺のステージを守ってくれた。だけど。
どんなに擦り切れたって、振り上げた手を止めるわけには行かなかった。
「ありすさん……っ」
だってふわりんは、この子だけは、「女の子」なんだから。
「……っ、」
強烈な一撃だった。
人を殴った経験なんてない俺がここまで綺麗にヒットを打てたのは、今までのわだかまりが爆発したせいだと思う。
俺はずっとこうしたかった。
いやらしく伸びる卑劣な手を、叩き落してやりたかったんだ、いつだって。
今までの人生の中でだって、ずっと。
だから振りぬいた右手には、確かな手ごたえがあったのだ。
「ちょっとちょっとなんなのかなぁ!? 教育どころじゃないよねぇ!? 警察呼んじゃうからねぇ!?」
「……え、あ、…………あ?」
プロデューサーの喚き散らす声に、ゆっくりと顔を上げる。
「……っ、若、」
だからいつも、後先考えて行動しろって言われるんだ。
つまらない自己陶酔に突き動かされて、その場の感情だけで考えなしに行動して。
その結果を、俺は呆然と目の当たりにしていた。
「若葉っ!」
「若葉さん……っ、血が」
血が。
乱れた前髪の奥で、黒い瞳が痛みに揺れる。
同じ速さで、俺の脳はすべてを理解した。
「若、様……っ、俺っ、」
「大丈夫」
手の甲で、鼻血をず、っと拭う。
少し骨ばったその手の節に、赤黒い血痕が擦り付く。
ゆっくりと、それは俺の目の奥にこびりついた。
騒がしい周りの音は、不思議なくらい耳に入ってこない。
「だって俺、違っ、なんで」
「分かってるから。落ち着いて」
目線を外した床の上に黄色のリボンが落ちているのが目に入り、やるせなさが一気に喉元までこみ上げた。
「……こんなっ」
こんなつもりではなかった。
必死で頭の中のねじを巻いて、時間を巻き戻そうとする。
「なんで……」
「ありす、」
一体どこまで巻き戻せばいいんだ?
空回って、空回って、全部の記憶を絞り尽くしても、どうしたって戻れないんだと分かった。
「だって、俺は……あんたのことが……っ」
恋に落ちた瞬間に戻っても、その人をグーで殴ってしまった事実は、変えられない。
「ありす」
子どもに言い聞かせるように顔を寄せて、優しい声が囁く。
遠くの方で、練習した新曲のイントロが流れ始めた。
手順通りならここでステージに駆け出して……。
「ほら、曲が始まっちゃうよ。もう……なんて顔してるの?」
アイドルでしょう? と言われても、それでも足は動かない。
Aメロの歌詞は、いつまで経っても聞こえない。
あんなにたくさん練習したのに、間違えないように、忘れないようにと。
バックステージがざわつき始める。
「……ありす」
震える俺の肩を正面からそっと抱きかかえるようにして、初恋の人はこう呟いた。
俺にしか聞こえないような、小さな声で。
「ごめんな」




