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ALICE-CHAN-LIVE!  作者: 岬 にこみ
13/25

五章-①倒錯のみなちゃんハウス・前!

 赤坂方面から、夜の十一時を告げる声が聞こえた。

 静かな時報が、街路灯と一緒に後ろに流れてゆく。

 あたたかいオレンジ色の光が、ひとつ、またひとつ……。


「大丈夫だってば。何もしないわよ」


 女の人が、誰かと話している。

 その声は俺の頭上から心地よくぽつぽつと降ってきた。

 誰かをからかっているような、または交渉でもしているような、楽しそうな笑い声が、瞼の上をくすぐっては零れていく。


 車の静かな振動が、柔らかい布越しに伝わってくる。

 受話器から漏れてくる通話相手の声は少し焦った様子で、何故だかその表情まで想像できるような気がした。


「じゃあね、若葉。今夜は楽しくなりそうよ」


 一段と高くなった向こう側の声は、半ばにして途絶えた。

 ボタンの音ひとつで再び心地よい静寂が訪れる。

 多分、交渉は一方的に成立したのだろう。

 ラジオからは続いて交通情報のお知らせが……。


「あっ、お目覚めかな?」

「……ん、みな……ちゃん?」


 ごしごしと目をこすると、ぼやけた視界に先輩アイドル、春市みなの顔が映り込んできた。

 どうやら事務所で寝落ちしてしまった俺を、車で送ってくれている途中らしい。

 長いまつげがこの位置からだとよく見えた。

 瞼の真ん中辺りに視線がいく、女の子らしい華やかなメイクが特徴だ。


「今ね、タクシーでうちに向かってる途中」

「う、ち……?」


 はて、みなちゃんに自分の家の住所を教えていただろうか。

 寝起きの頭でぼんやり考えを巡らせていると、みなちゃんが「ああ」と唇を動かした。

 ここからは至近距離、耳元にて。


「みなちゃんのーお、う、ち」


 一瞬にして目が覚めた。

 ミニカーを思いきり撒き戻して手を離したように、これまでのまどろみが一気に覚醒する。


「でぇぇあああええ!?」

「おぶっ」

「運転手さんっ、運転手さん俺おりるっおりますっ!」


 ゴン、と頭頂部が何かにぶつかったような気がするが、おかげでさらに目は覚めた。


「元気だなぁ、ありすちゃん。あ、運転手さん、今どの辺ですかー?」


 大急ぎで降りる身支度を整えていると、ぐに、と肉っぽい感触に手が触れた。


「いやん」

 太ももだった。


「!? ごみゃ」


 声にならない声をあげて謝罪しつつも、頭のどこかで冷静な俺が、先ほどまで枕にしていたものも恐らく同じ感触だったろうと分析する。

 だ、だめだ。頭が熱くなってきた。


「や、やっぱ降りる。一人で帰れるから」

「いいから座ってて。もう府中まで来ちゃったし」

「府中ゥ!?」


 そんな、辺境の地に!?


「だ、だってさっきまで、事務所で寝ててっ、タクシーって!? 瞬間移動!? 誘拐!? お客様の中にみなちゃんはいますか!?」

「親御さんには連絡ついてるから、安心して。ありすちゃんママと社長はどうやらメル友になってるらしい」

「メル……」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。

 超・現実的な問題が目の前に差し迫っているのだ。

 それすなわち、男の子のピンチである。

 一歩間違えると、とんでもない泥沼に落っこちてしまう、究極の難関ステージだ。


「ほほほほほ本当に行っていいの? みなちゃんの……い、い、家に」

「んー?」


 女の子の家に行くのなんて、ここだけの話初めてだったりする。

 上目遣いで恐る恐るお伺いをたてると、わしゃりと豪快に頭を掴まれた。


「もしかして気使ってる? 言ったでしょ。可愛い女の子なら大歓迎だって」

「可愛い、女の子……」

「そうそう。楽しくガールズトークしちゃおーうっ」


 車内を流れるジャズ調の歌謡曲が、いたずらっぽい笑顔に心地よく重なる。


「ありすちゃんも事務所に入って、いろいろ溜まってることもあるんじゃない? 今日はなんでもぶっちゃけてよ。恋バナも可」

「こ、恋バナ……はないかな? はは……」

「そう?」


 そうだよ。

 何も難しく考えることはないじゃないか。

 向こうは俺を同じ女子だと思っているのだから、何歩間違えてもエマージェンシーな事態にはならないはずだ。

 それに家にあげるくらいだから、人を呼ぶ準備が整ったきちんとしたお宅なのかもしれない。


「それにみな、一人暮らしだしー」

「ぅなっ!?」

「部屋の壁、超絶ぶ厚いしー」

「ひぃっ」

「あ、ベッドはひとつしかないんだけど……」

「ひぃぃぃぃ」


 整ってる! 想像以上に整っている!?


 タクシーが止まった瞬間、俺はのぼせた頭を冷まそうと、逃げるように冷えた路上に飛び出した。

 見覚えの無い住宅街に、白く短い息がこぼれる。

 嗚呼府中、隠しステージにしてはやけに長閑である。

 タクシーの扉が閉まる音に、ゆっくり後ろを振り返った。


「行こっか」

「……はい」


 もう後戻りできないのだと覚悟を決めて、住宅街の路地をすたすた進んでいく彼女の後を追いかけた。

 真冬だというのに、みなちゃんの薄ピンクのチェスターコートからは、ちらちらと素足が覗いている。

 コートと同じ色で合わせた高いヒールのパンプスは、後ろにリボンがついていて、これもまた歩く度にふわふわと揺れ動いた。


「……なぁに?」

「へ、あ、いや」

「ふふ。……ヘンなありすちゃん」


 ちょちょちょちょっと待てよ?なんですかその悠然とした微笑みは?

 まさか、まさかみなちゃん、こういうの慣れていらっしゃるー!?

 街頭の明かりがふっと途切れた辺りで、みなちゃんは到着ーと足を止めた。


「こ、ここが……」


 ゴクリ、と無意識に唾を飲む。

 暗くて建物の外観もよくわからないが、果たして、アイドルのお部屋とは一体どのような実態なのか!

 俺の想像だと、オートロックなマンションで、エントランスには玉砂利と観葉植物があって、エレベーターからは何故か雑貨屋さんのようないい匂いがして……そして扉をあけるとそこには巨大なくまのぬいぐるみがー……。


 というのを想像している間に、何事もなく鉄筋アパート二階六畳に通された。


「あっどうも、お邪魔しまーす」

「どうぞどうぞおかまいなくー」

「電気のスイッチどこー?」

「入って右のとこ。お茶いれるねー」

「どうぞおかまいなくー。あっプレ〇テある。ソフト見ていい?」

「どーぞー」

「へぇー。女の子もこういうのやるんだー」


 ふぅ……と腰を落ち着けてから、慌てて自分の中のツッコミ魂を総動員する。

 ふぅ、じゃない!

 

 なんだ!? この居心地が良すぎるド生活感溢れる1DKは!?

 玉砂利は!? オートロックは!? ノーチェックでリビングにインしてしまいましたよ!?


 いや、いやいやいやいや……俺は今憧れの女子の、しかもアイドルの部屋に訪問しているはずなんだ……心を落ち着けて貴重な女子空間を堪能しようじゃないか。

 改めて女子ポイントを探そうと、慌てて部屋の中を見回す。

 わぁ! 素敵な木目調のタンス!

 わぁ! 簡素なパイプベッド! 

「わぁ、素敵な……週刊実〇……」


 床に転がるビタミン剤の空びんからも、そっと目を逸らす。


「分かった。アイドルってもしかして三十半ばのオッサンのことだろ」

「し、失礼なっ。そんなにいってないもんねっ」


 ぷのつく擬音語を自分で口にしながら、みなちゃんはお茶と座布団を用意してくれた。


「せっかくこれから女子同士、パジャマパーティーに洒落込もうっていうのに」

「どこが!? ねぇどこが女子会!? どこがパジャマパーティー!? 百歩譲ってアラサーOL残念会なら分かるけどね! ゴメン黙らないで!! わかったよやるよ!」

「ありすちゃんはお茶ね。みなはサッポロ」

「サッポロね……」

「本日もっお疲れ様でーすっ」


 花の金曜日さながらの掛け声とともに、美少女は黄金色の缶をぐいーと飲み下した。


「よーし、今日は語っちゃうよっ。真剣重大しゃべりばっ!」

「ねぇっみなちゃん本当に何歳!?」

「二十七歳」

「嘘でしょ!?」

「えー? ええーっとーぉ? どーっちだぁー」


 ビールの缶を顔の横で振りながら、歯を見せて楽しそうに笑う。

 あー……、俺がもし将来サラリーマンになったなら、家にはこんな女の子が待っていて欲しい……んだけど、そうじゃなくてっ。


「み、見えねぇー二十七歳!」

「えぇー? ありすちゃんそれ褒めてるぅ? 褒めてるのー?」


 上機嫌で酒を煽っているところを見ると、こりゃ本当にアラウンドサーティーでファイナルアンサーなのだろう。


「マジか……アイドルすげぇっ……」


 年上なのは知っていたけれど、まさか十歳以上離れているとは思わなかった。

 事務所の先輩アイドルかと思えばやたらフレンドリーだし、面倒見いいし、家にまで泊めてくれるし。

 それはつまり、年上の余裕というやつだったのか。


「ちょっと関節技、してみ?」

「しないよ! せめて間接チューって言ってよ!」


 酔っぱらってもこの可愛さ……只者ではない……!


「今日はなんでも話しちゃお。女の子同士秘密は無しでっ」

「ええーやっぱりするの? ぶっちゃけトーク」


 なんでもは話せないし女の子同士でもなかったが、機嫌を損ねるわけにも行かず、ひとまず笑顔でグラスを交えた。


「じゃあ第一問っ」

「はいはい……」

「ぶっちゃけ若葉とどこまで行ってるんですか?」


 盛大にお茶を噴出す俺。


「ど、どどどどどこまでって何が!?」

「ちょっとそこまでとか、あっちも行けるのねとか」


 あっちってどっち!?


「みなちゃん、何言って……。お、女の子同士で何もあるわけないじゃな……」

「あっれー、違うの? じゃあこの前ロッカールームで若葉と楽し気にスキンシップをしてたのは……」


 く……っ! かくなる上は、部屋の隅に転がっている一升瓶で記憶を……!


「それに、なんか二人ワケアリみたいだしー。もしかしたら、特別な間柄なんじゃないか……って思ってねー」

「……と、特別な」


 それは……間違っていないのかもしれないけど。

 考え込む俺に、みなちゃんが慌てて付け足した。


「あっ! うちは事務所内恋愛は禁止していないみたいだから……」

「だからちっがーうっ! 気を使ってもじもじするなーーっ」

「あはは、冗談。二人があんまり仲いいから、ついツンツンしたくなっちゃうのよね。特に、若葉が恋愛してるところなんて想像できないからさぁ」

「そ、それは確かに……」


 アイドルだから恋愛禁止なのは当然にしろ、眼鏡をかけている普段の姿でさえ、そういう場面はなかなか想像がつかなかった。

 普段の姿……そういえばみなちゃんは、若様が男だってことは、知っているんだろうか……?


 そんな疑問を口に出すわけにもいかず黙り込んでいると、テーブルの向こう側で春風のような軽やかな笑い声が零れた。


「みなちゃん?」 

「それに、ありすちゃんかわいいから、若葉が独り占めなんてずるい、って思ってね」


 や、き、も、ち。

 目尻をトロンと下げて、なんてことないようにそんな台詞を口にする。

 これだから酔っ払いは……日本の宝なんじゃないかと俺は思う。


「あ、あんまり飲みすぎないでよね」

「ええー? 飲み比べするってゆったじゃん! ありすちゃんのおてつきー」

「はぁ!? 言ってな……ったく、ほらっ飲んだ、ハイ俺の勝ち!」


 空になった緑茶のグラスを、ろれつの回っていない酔っ払いの目の前に突きつけてやる。

 む、と唇を尖らせて次の缶に手を伸ばそうとするのを、慌てて制止した。


「もっとさぁ」


 その手を逆に掴まれて、手首をするりと引っ張られる。


「みなにも興味持ってよぉ」


 じっと睨むように見つめながら、紅潮した頬に手首をそのまま頬擦りしてくる。

 顔の熱さが、直に伝わってくるようだった。


「きょ、興味……」

「ないの?」

「え、あの、な、ない、といったら嘘になるというか」


 軽口を真に受けてしまうほどには、高校生の脳と体は降参しきっているらしい。


「ほんと?」

「う、うん。みなちゃんのこと、すごく可愛いと思ってるし」

「本当ー? 若葉より?」

「わ」


 なんでそこで若様が出てくるの!?


 すぐるくん、お酒の勢いに流されちゃだめよ。それにみなが手をだしたら都の条例が黙っていないわ年齢的に。いえいえ大丈夫。女子同士ならB+まではノーカンよ。


 頭の中の天使と悪魔が囁いている。B+って何!? 

 どうにかこうにか答えを出そうと全力で脳みそをフル回転させているうちに、みなちゃんはいつの間にかすぐ隣まできて座り込んでいた。


「待ってみなちゃん、まだ答えが出ていないのにいきなり実践編は早すぎるって!」

「らいじょうぶらよ、みなとありすちゃんなら、安心安全」


 一体何が安全で安心!?


「ちょ……っ、」


 まさか女の子相手に手荒なことをするわけにもいかず、俺はなすすべもなく重力に任せて床に押し倒されてしまった。

 驚いて見上げると、酔っぱらいは楽しそうに髪をかき上げている。


「みな、嬉しいんだ……。ありすちゃんみたいな可愛い女の子が事務所に入ってくれて。だから、もっともっと仲良くなりたいの」

「う、うん、俺もうれしいよ。でももっと別の方法で分かりあえると思うんだけど……」


 テンパりすぎて一人称に気を使っている余裕もない。


「いっぱい仲良くしようね……ありすちゃん……」

「……待っ、みなちゃん……っ」


 よっぽど、ここで自分は男だと大声で明かしてしまおうかと思った。

 本当に取返しがつかなくなる前になんとか彼女に伝えなくては。


 そう思うのだが、吸い込まれるような濡れた瞳にうまく言葉が出てこない。

 逸らすこともできなくて、俺はたまらずぎゅっと目を瞑った。

 ああ、若様ごめんなさい……俺、親睦を深めてしまいそう……!

 

 どさ、と頭の上に何かが覆いかぶさり、二人の影がひとつになる。


「ご、」


 言わなきゃいけない台詞はこうだ。

 ごめんみなちゃん、俺はみなちゃんが思ってるような可愛い女の子じゃないんだ。

 一応こうも付け足しておこう、と頭の中の男子高校生が提案した。「もし、それでもよろしければ……」


「ぐー」

 ぐー!?

 それは親指を立ててグーということ!? まさかの好意的姿勢に、思わず目を見開く。


「マ、マジで!? 実は俺も是非親睦を深めたいと思っ……」


 思っていたのですが。


「……ぐー……」


 肩にのしかかるゆるふわウェーブは、規則的な上下運動を繰り返していた。


「すこー……」

「……」


 そりゃそうだ。

 あれだけアルコールを摂取すれば、夢心地にもなるだろう。

 だからって、本当に夢の世界に旅立たなくても。


「ったく……無防備にもほどがあるでしょ……おねーさん」


 文句のひとつも言いたくなるってもんだ。

 大きなため息をつきながらベッドにみなちゃんを寝かしつける。


「ん? これって」 


 ふと、枕元にある写真立てが目に入った。


 空き缶、Tシャツ、週刊誌。生活感だらけの部屋の中に、ひとつだけ、やっとアイドルの片鱗を見つけた気がする。


 「……やっぱり、かわいいな……」

 

 写真に写る少女たちといっしょに、知っている歌を口ずさんでみる。


 気持ちよさそうな女の子の寝息が、打ち付けた後頭部に今更ずきずきと染みるのだった。


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